「ハラスメントはなぜ起こるの?」男の子でも女の子でも立場は関係なく、“誰でも加害者になる”可能性| “社会の普通”に馴染めない人のための『REINAの哲学の部屋』 #006

Text: Reina Tashiro

Photography: Junko Kobayashi unless otherwise stated.

2018.2.26

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こんにちは、伶奈です。大学院まで哲学を専攻しちゃったわたしが、読者から日常の悩みや社会への疑問、憤りを募り、ぐるぐる考えたことを書き綴る連載の第6弾。一方通行ではなくみんなで協働的に考えられるようにしたいので、時に頷き、突っ込みながら読んでくださると嬉しいです。

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伶奈ってだれ?▶︎
「当たり前」を疑わない人へ。「哲学」という“自由になる方法”を知った彼女が「答えも勝敗もない対話」が重要だと考える理由。

今回の相談:ハラスメントってなぜ起こるんですか?

はじめまして。優と申します。パワハラはなぜ起こるのでしょうか。先日、上司のパワハラにより会社を退職しました。昨今のパワハラ、セクハラなどについて哲学の世界を覗くことができれば嬉しいです。よろしくお願いいたします。

(優、27歳 )

優さん、こんにちは。ご相談ありがとうございました。ハラスメントについて考えてみます。

ハラスメントはなぜ起こるのか? ー人間は弱いのだ

 ハラスメント(Harassment)とは、「嫌がらせ」のこと。パワハラ、スメハラ、アカハラ、モラハラ、アルハラ。何種類のハラが世界に存在するのだろうか。

定義を調べると、「他者に対する発言・行動等が本人の意図には関係なく、相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、脅威を与えること」(引用元:大阪医科大学)と出てきた。

「ハラスメントはダメだ!」なんていくらでも言えるけど、言葉は消費され大切な理由が流されていく。「2018年ですよ、もう答えが出ていますから」という世の中が、正しい表情で見つめてくるから、ぐるぐる思考することすら恥ずかしくなることもある。でも、優さんの質問を読んで、ハラスメントの問題に対して語れるとうっすら自負があったはずのわたしは、まだ自分自身の言葉を探している段階だと気がつきました。考えよう。

わたし自身もハラスメントに関しては、悔しい、辛い、情けない思いをしてきました。日常をふと顧みても、遠く異世界の問題だと思い込んでいたハラスメントが動かぬ岩のようにゴロゴロ転がっている。でも、情けないと感じるのはなぜだろう。

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最初に「ハラスメントはなぜ起こるのか?」ということを考えてみます。(今回は、パワハラやセクハラ、スメハラを含むハラスメント全般について考えたいと思います )

ハラスメントが起こるのは、端的に「弱いから」でしょう。有無を言わせない様子から一見強そうに見える加害者は、「欲望を抑えられない」「人を支配してしまう」という「人間の弱さ」が露呈している、とても惨めな姿だと思います。本当は「人間関係にお前の幼稚さ持ち込まれても知らんがな」の一言に尽きるのだけど、怒りや欲望や暴力を剥き出しにする圧倒的幼稚さを前に、わたしたちは抵抗できず、被害者は常に弱い立場に置かれてしまうのです。

理性、想像力、そしてコミュニケーション

人間はみんな、他者を支配、吸収してしまおうとする弱さを持っています。けれど、人間を他の動物と隔てる「理性」という機能で、そのどうしようもなさを制御しています。

この「弱さ」は、理性の欠如に起因すると同時に、他者と自分との線引きができなくなる「土足問題」でもあると思います。言い換えると、他者を他者だとわかる「想像力」の乏しさ。わたしだって、急に思い出すことがある。「そっか、あなたはわたしじゃないんだ」。わたしたちは、つい自分の見ている範囲を他者の基準にしがちだ。まじで、しがちなのだ。

ハラスメントあるある文言、「え〜別にされても良いって顔してるよ〜」「NOと言わなかったからYESだろ」「なんでこれもできないんだよ」「やれって言っただろ」。おい、落ち着いてくれ。わたしの心や気持ちや意図、少しは想像してくれ。

ところが、想像力には限界があります。表情を読み、相手の言わんとしていることを想像することは大事だけど、想像力を完全に働かせることはできないから。想像はあくまでわたしのなかに保存され、あなたの脳内とわたしの脳内が触れ合うことは一生ないのだから。

だからこそ大事になるのは、「コミュニケーション」だと思うのです。ハラスメントは「言った、言わなかった」「嫌だった、嫌がっているなんてわからなかった」と、二者が永遠にすれ違いを繰り返す、圧倒的コミュニケーション不足の問題でもあるからです。

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理性をもって思考する学問、哲学ですが、同時に永遠のテーマは、「善い人間とは何か?」「善い生とは何か?」でした。所有欲や支配欲のなさ、知恵や謙虚さ、禁欲さや節制や公正さ、正義感を持つひとが、古代ギリシャ時代から徳の高い人格者と言われてきたけれど、その理想の人間像は今でも変わらないようです。

賢者に想いを巡らせるのは、人間が弱いから。よい人間になりたい、と願い憧れてきたから。まず、この弱さに自覚的になることが、人間のスタートラインだと思います。

「本当は嫌がるべきか」は、言える?ー無知にどう向き合うか

冒頭の定義「本人の意図には関係なく」とありますが、ハラスメント問題の厄介さは、「本人が問題だと自覚していないことが問題」というところに存在している気がしています。そのときは「それ、ハラスメントだよ」という第三者の指摘と、「え、そうなの?」という無知との戦いが勃発します。
 
ここで考えるべきは、社会的にハラスメントとみなされていることを、当事者同士が気づいていない、もしくは嫌がることを知らない場合、やめさせるべきなのか?「間違っていますよ」と断罪していいのか? ということ。
 
個人間のコミュニケーションはどこまでも自由だからやめさせる必要はないと、この前まで考えていたのだけど、どうも違う気がしてきました。(コミュニケーションをとった上でハラスメントでないと当事者同士が自覚している場合、そしてその行為が相手を傷つけるのではなく別の目的のための手段である場合、自由だと思う。SMプレイとか、勝手にすればいい)

やめさせるべき理由の一つは、時代の変化に対応すべきだから、ということ。2018年にもなって「おしり触られても仕方ないですよ〜」という人たちがつくる風潮のせいで、苦しむ被害者がいるのだ。社会は、そこに生きるすべての人の言葉と身体で成り立っている。だから、いくら楽しくても、笑えても、この社会で生きる限り、自分の狭い観点から抜け出し、その言葉が無思慮にハラスメントに加担していることに気がつく必要があると思います。

二つ目に、仕方ないと錯覚しているだけで、まだ無知だからということ。結局、わたしたちが何を不快に思うか?という感覚も時代がつくっていくものです。だから「本来は嫌がるべきことだ」と伝えてもいいと思います。無知は恥ずかしいことなのだ、と。

いまは「人間の尊厳とはなにか?」という壮大な問いを前に、人間が変わらないといけない時代。抜け出した先が未知の世界であっても、「おわる世界」があれば、より高次の「はじまる世界」がある。その景色は、おわった世界よりも、より価値があるものです。えた・ひにんという身分制度が常識であった時代から、人間の尊厳や平等が尊重される時代に変わってきたのは、「はじまる世界」を恐れなかった人類の不断の努力なのだ、とわたしは思います。

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もしかしたらわたしも、加害者になりうるかもしれない

でも正直、わたしはとても怖い。

無意識のハラスメントが。誰をどこでどう傷つけているかわからないということが。共感を求めたはずの被害者意識が肥大し「わたしの方が大変だった」というマウンティングを繰り広げそうになることが。そして人間が、実は理性や想像力やコミュニケーションをうまく使いこなせないということが。

たとえ「死ね」と直接言わなくても、ディナーにしつこく誘わなくても、お尻を触らなくても、すべての言葉や行為が、それが発せられた瞬間、毒矢になる可能性をもつ。街で聞く誰かの「幸せだな」という声が、大切な人を亡くしたばかりの人の背中を刺すかもしれない、世界はそんな不安定な場所なのです。

だから、もしかしたらわたしも、加害者になりうるかもしれない。なっているかもしれない。そう自覚し、隣りの人に想像力を持って接することができるかどうかで、世界は違って見えるのかもしれません。

そして、誰かを傷つけていたと知ったときに、これまでの自分を捨て、変わる勇気を持てるかどうかが、このどうしようもないわたしたち人間を救う、唯一の道だと思います。

みんなで血相を変えて絶対的な正しさや他者を攻撃する言葉を探すよりも、かっこいい理念やイデオロギーにしがみつくよりも、自分自身の弱さに気づき、人と人とのコミュニケーションのなかで、言葉を積み上げながら生きたいなと、わたしは思います。

続きは一緒に考えてくれたら嬉しいです。意見や批判、感想をお待ちしています。Twitterハッシュタグ「#REINAの哲学の部屋」で。

3月の連載のテーマ募集します!

田代 伶奈

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ベルリン生まれ東京育ち。上智大学哲学研究科博士前期課程修了。「社会に生きる哲学」を目指し、研究の傍ら「哲学対話」の実践に関わるように。現在自由大学で「未来を創るための哲学」を開講。Be inspired!ライター。

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※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。

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