パリス・ヒルトンが着ていたネイティヴ・アメリカンのハロウィンコスチューム、セレーナ・ゴメスがつけていたインドのビンディ、ケイティ・ペリーの着物風ステージ衣装。どれも「ある問題」として話題となっていたことをご存知だろうか?これがなぜ問題であるのかわからないあなた。実はあなたも、知らないうちに加害者になっているかもしれない。
「文化を盗む」という問題
「文化を盗む」とはなんだろう?
実は全米の人気アイドル、セレーナ・ゴメスはこの問題で「有罪」となっている。事の発端は、彼女が自身のコンサートで額につけたビンディ*1。彼女はそれによりインドのヒンドゥー教団体から抗議を受けたのだ。なぜかというと、ファッションとして自分の属さないマイノリティ(少数派)の「文化」の一部をまねるという行為は、その文化を自分の都合で使っているとみられることがあるから。今回は、ヨーロッパ系とメキシコ系のルーツを持つセレーナ・ゴメスが、自分の文化ではないインド系グループの文化を、「本来の意味を無視して自分の都合よく使った(盗んだ)」ことで問題になったのだ。(参照元:Sanskriti)
(*1)インドの既婚女性がつけるシンボル、女性の第三の目と考えられ宗教的にも重要な意味を持つ
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ほかにも、「お騒がせセレブ」として名高いパリス・ヒルトンがハロウィンの衣装として。そして、歌手のグエン・ステファニがミュージックビデオでの衣装としてネイティヴアメリカン(アメリカ先住民)の伝統衣装を身につけていたことにも非難が相次いだ。アメリカのような多文化社会では、その国におけるマジョリティの人種がマイノリティの文化を盗むという行為、「文化盗用」(cultural appropriation)が大きな問題となっている。(参照元:CELESY)
「文化盗用」を気にしない日本
「日本文化を低く見ていて、人種差別的だ!」そんな批判を欧米で浴びたのは、アヴリル・ラヴィーンが日本の「カワイイ文化」をテーマとして作成したミュージックビデオ。
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アヴリル本人は「私は日本が好きだから作った、人種差別なんかじゃない」と反論しているようだが、あなたはどう感じるだろうか。さらには、「日本のような国」をテーマにしたオペラが、「白人」がマイノリティであるアジア人を演じたという理由で人々の怒りを買い中止に追い込まれたり、ボストン美術館が企画した着物試着イベントが「民族蔑視」との批判を受けて同じく中止となったりもしているようだ。(参照元:THE HUFFINGTON POST①, THE HUFFINGTON POST②)
しかしながら、これらの問題はどれも、不思議なことに、日本ではニュースにはならなかった。日本にいる多くの日本人は、日本文化という多数派の「文化」のなかで生きている。そのため、自分の属する「文化」が一体何なのか、意識していない人が多いのかもしれない。良い面を見れば、それは「文化盗用」に対して寛容であるということだが、その一方で、日本には「文化盗用」の概念が存在していないということなのかもしれない。
「盗用」なのか「尊重」なのか?
マイノリティの「文化」を盗むことは「盗用」。しかし、マジョリティの文化を使うことは当たり前のように行われている。マジョリティの人々は自分の「文化」を持っているという意識が薄いだけでなく、その文化がほかの文化に対して支配的で、そこらじゅうに溢れているから。ヨーロッパ系(白人系)のファッションや音楽スタイルを真似をしても批判を受けることがないのは、そんな理由からだろう。
これについて、私たちはどう考えるのがいいのだろうか。人が相手の「文化」に敬意を払って取り入れているのか、それとも背景を知らずに「見た目」だけで身につけているのか、そしてそのふたつの境界がどこにあるのかを判断するのは容易ではない。音楽フェスのファッションとして欧米でも日本でも人気の高いインドのビンディをつける前に、それが一体どんな意味を持つものなのか知るべきなのかもしれない。「可愛いから」という理由で身につけるのはやめ、そのアクセサリーに込められた「文化」について、考えるべきではないだろうか。
※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。