「楽しさを追及する気持ちを忘れないこと」チャレンジスピリットについて冒険家の舟津圭三とNO YOUTH NO JAPAN能條桃子と考える「THINK SOUTH FOR THE NEXT 2023 Special Talk Event」レポート〈Sponsored〉

Text: Haruki Mitani

Photography: Goku Noguchi unless otherwise stated.

Edit:Jun Hirayama

2024.1.23

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 1989年7月27日、犬ぞりによる初の南極大陸横断がスタートした。地球上で唯一国境をもたない大陸である南極で、環境と平和の重要性を訴えることを目的とし、世界6カ国6人の冒険家で編成された南極大陸横断国際隊はその歴史的な冒険の最初の一歩を踏み出したのだ。

氷点下50℃、秒速50mの地吹雪が上がるなか、7ヶ月かけて約6,040kmの距離を横断するという現代でも類を見ない冒険は世界中から注目を集め、環境問題についても報道された。

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 それから30年以上経った現在、当時犬ぞりで走った経路が地球温暖化の影響で一部消滅するなど深刻な状態が続いている。

こうした現状をより多くの人に発信し、環境問題や平和について考えるために設立されたのが、「THINK SOUTH FOR THE NEXT」プロジェクト。

2019年にスタートして以来、当時彼らが考え、世界に発信した現代社会の問題に改めて注目し環境と平和、チャレンジスピリットの重要性を次世代へ継承している。

今年は「THINK SOUTH FOR THE NEXT 2023 Special Talk Event」と題して、南極大陸横断にてギアを提供していたTHE NORTH FACEとNEUT Magazineがトークセッションを2023年12月16日に開催。

当時、南極大陸犬ぞり横断のメンバーとして参加した冒険家の舟津圭三と、若い世代の政治参加を促進するNO YOUTH NO JAPAN代表の能條桃子をゲストに招き、本誌NEUT Magazine編集長の平山潤がモデレーターとして参加し、「チャレンジスピリット」をテーマに語り合った。

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舟津圭三
冒険家

1956年大阪生まれ。米国ミネソタ州で野外教育のプログラムを学び、若者や一般社会人の野外教育を実践。1988年グリーンランド犬ぞり横断後、南極大陸横断国際隊に参加。その後は米国アラスカ州で中長距離犬ぞりレーサーとして活躍し、3大長距離犬ぞりレースで新人賞受賞するほか冬のアラスカでの犬ぞりキャンプも実施。1990年朝日スポーツ賞、テレビ朝日ビッグスポーツ特別賞。2015年から北海道仁木町NIKI Hillsビレッジにてワイナリー、ガーデン、森のプロジェクトに参画。

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能條桃子
NO YOUTH NO JAPAN代表

X / Instagram

1998年生まれ。2019年、若者の投票率が80%を超えるデンマークに留学し、若い世代の政治参加を促進するNO YOUTH NO JAPANを設立。Instagramで選挙や政治、社会の発信活動(現在フォロワー約10万人)をはじめ、若者が声を届けその声が響く社会を目指して、アドボカシー活動、自治体・企業・シンクタンクとの協働などを展開中。2022年、政治分野のジェンダーギャップ解消を目指し20代・30代の地方選挙への立候補を呼びかけ一緒に支援するムーブメントFIFTYS PROJECTを行う一般社団法人NewSceneを設立。

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平山潤
NEUT Magazine編集長

X / Instagram

1992年相模原市生まれ。成蹊大学卒。大学卒業後、ウェブメディア『Be inspired!』編集長を経て、『NEUT Magazine(ニュートマガジン)』にリニューアル創刊させ、編集長を務める。2019年に自社媒体の運営と企業やブランドとのメディアタイアップやコンテンツプロダクションの事業を展開するNEUT MEDIA株式会社を設立し、「先入観に縛られないNEUTRALな視点」を届けられるよう活動中。

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Part1 「好奇心を刺激するようなことを追い求めてきた」

 三部構成で開催された本イベントで最初に行われたのが、南極大陸横断の日本人メンバーである舟津圭三へのパブリックインタビューだ。冒険家になった経緯や南極横断中のエピソード、次世代に伝えたいことについてNEUT Magazine編集長の平山潤とNO YOUTH NO JAPAN代表の能條桃子が話を伺った

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 冒険家になろうと意識したことはなかったという舟津にとって、チャレンジスピリットの源泉とは何なのだろうか。

平山潤:冒険家になろうと思ったきっかけは何だったんですか?

舟津圭三:当初、冒険家になろうという意識は全くありませんでした。自然や人との出会いが好きだったので、自転車で旅するところからスタートしていて。冒険しに行くというよりも、自分の好奇心やワクワクを刺激するようなことを追い求めていました。砂漠の魅力に取りつかれたときは、世界最大級の砂漠であるサハラ砂漠を自転車で走ろうと決めました。

興味があるところに足を運んで体験を積んでいくと、自分の経験値が上がる。そうすると、どんな困難にぶつかってもその経験から一つひとつクリアしていけるようになるんです。そこに面白みを感じるようになりましたね。

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 インタビューは南極大陸横断中のエピソードトークへと移る。南極大陸横断に密着したドキュメンタリー映画「Trans-Antarctica Expedition」では、弱ってきた犬のために一定距離を、ロシアが基地間で使用する雪上車を借りて移動する案が出る場面がある。だが、隊員たちは話し合いにより自らの足で歩いてゴールすることを決断した。そのシーンについて舟津は次のように語る。

舟津圭三:6カ国の6人がそろって完走する、それこそが国際協調をアピールできる唯一のことだったんです。だから這ってでも行こうという意見にまとまった。それはすごくよかったですね。

「Trans-Antarctica Expedition」のティーザー

 このドキュメンタリー映画で誰もが固唾をのむ場面、それはゴール目前で舟津が遭難してしまったシーンではないだろうか。地吹雪で視界が遮られながらもメンバーが必死に捜索する場面が映されているのだが、その時の心境についてもこう振り返る。

平山潤:舟津さんが遭難しかけたシーンがありましたが、その時どんなことを考えていましたか?

舟津圭三:次の日がゴールという、あと26km残したところで起こったアクシデントでした。外に出た後、自分のテントに戻れなくなってしまって。

地吹雪やマイナス40℃〜50℃が続く環境を通過してきたんですけど、最後は海に近かったからマイナス15℃くらいで比較的暖かかった。そういった心の緩みがあったんです。

70cmくらいの穴を掘って潜り、一夜を過ごしました。その穴の中で聞こえるのは自分の心臓の音だけです。まるで胎内にいるような感じ。自分の命はここにあるんだということを実感し、7ヶ月歩いて来てここでくたばれないという思いが勝りました。

翌朝、仲間が見つけてくれたときは本当にうれしかったです。みんな涙を流していて、それを見た自分も涙を流してしまいました。苦しい場面があったら、あの時の体験を今でも思い出しています。生きて帰れたから良かったですけど、自分にとっては大きな体験でした。

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 ドキュメンタリー映画では、国籍の違うメンバー同士が自国語や自分の国の文化を教えたりとフレンドリーに交流している姿が印象的だった。言語や文化の違う6人が過酷な環境のなかどのように励まし合い、支え合いながら6,040kmに及ぶ道のりを歩んできたのだろうか。

能條桃子:現在でもメールやzoomでやり取りしているそうですが、国同士の関係がメンバーの関係に影響与えることはあるんですか?

舟津圭三:当時も現在も、自分たちの国の文化や違いをリスペクトし合おうという意識があります。それは、この南極横断を完遂するために絶対に必要だとお互い分かっていたので、横断中も違いを乗り越えていこうという共通意識がありました。

人間として一つにつながっているという思いは今でもメンバーの心の奥底にずっと残ってると思うし、それを大切にしたいです。

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 最後に舟津は若い世代に向けてのメッセージを語った。

舟津圭三:戦争や気候変動の問題など、世界が混沌として生きづらい時代だと思います。でも、これからの世の中を作っていくべき若い世代が中心となって、将来のために何をすべきかという意識を1人ひとりが高めていけたらいいなと思います。

Part2 「チャレンジスピリットを保つ秘訣は小さな成功体験の積み重ね」

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 次に行われたのは平山潤と能條桃子による、チャレンジスピリットについてのトークセッション。NO YOUTH NO JAPANの発起人でもある能條だが、現在は被選挙権年齢の引き下げと地方議会から女性議員を増やす活動に注力しているという。そんな能條が考えるチャレンジスピリットや、それを維持するために必要なことについて深掘りした。

平山潤:アクティビストとして活動する一番のモチベーションはなんですか?

能條桃子:声を上げたら変わるという小さな成功体験の積み重ねです。自分の考えや思いを発信し自ら活動することによって報われた経験をしたので、行動すれば現場を変えることもできると思うようになりました。ダイレクトに全てが変わらなくても、やっていることって無駄じゃないなって。

平山潤:その成功体験を得るためにさまざまな壁があると思いますが、挫折はしないんですか?

能條桃子:いいことがあると忘れちゃうんですよ(笑)。声を上げたらもちろんバッシングやネガティブなコメントも来るけど、1人じゃなくて仲間がいるっていう心強さがあるのはもちろん、陰で応援してくれている人もきっといるなと信じています。

あとは、先人がいるっていうことですね。例えば、選挙権や女性の参政権といったように、自分が当たり前だと思っていた権利って、上の世代が頑張って獲得してきてくれたものだと気づく瞬間があって。活動を始めた頃はフラストレーションから発信を行っていたけど、発信だけじゃなく自分も参加するっていう意識に変わっていきました。

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 仲間がいるからチャレンジできるということがお互いの共感ポイントだったと話す平山と能條。イベントに来てくれる読者や、NO YOUTH NO JAPANをきっかけに能條の出身大学に入学した学生など、発信を受け取ってくれる誰かがいることがチャレンジスピリットの秘訣になっていると話した。

Part3 「チャレンジスピリットのために何をする?」

 最後に来場者と共にチャレンジスピリットついて考えるワークショップが行われた。チャンレンジスピリットというと大きく聞こえてしまうが、そこには日常生活のなかで挑戦していることも含まれる。

そんなチャレンジスピリットについて、来場者が今どんなことに挑戦しているのか、そのチャレンジスピリットを維持するために何をしているのかを思い思いに回答してもらった。

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 ある来場者は、「さまざまな場所に足を運び、そこで縁を作ることにチャレンジしている」と回答。この回答に対し能條は、自分の好奇心を失わないようにするためのセルフケアの重要性も語った。

能條桃子:何かに挑戦したり行動を起こしたりする熱量は、目の前のことに追われていたり、常に安全だと感じられていなかったら湧いてこないので、まずは自分が健康でいる必要があると思うんです。睡眠をとるとか美味しいものを食べるとか、そういった行為もチャレンジスピリットを保つ秘訣につながっているなと思いました。

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 最後の質疑応答タイムでは、モチベーションをどのように保っているのかという質問があがった。

能條桃子:飽き性なので、モチベーションを意識的に保たなきゃいけないことは本当にやりたいことじゃないんだなと思って、早々に諦めをつけます(笑)。なので、日頃からチャレンジしたいことを絞るようにしています。

今、取り組んでいる非選挙権年齢の引き下げの活動は、5年ほど思い続けていたことです。忘れられないことや長年思い続けていることって自然と頑張れると思うので、誰かがやってくれるのを待つんじゃなくてやっぱり自分から行動しようと決めました。

舟津圭三:私は楽しさを追及する気持ちを忘れないことだと思います。昔、物価が高いアメリカに行こうと思ったときは、野宿で過ごすことを決めて行きました。自分の思いが強ければ、生活を削ってまで興味のあるところに飛び込んでいくこともできると思います。

幸せの定義は人それぞれですが、モチベーションは幸せになりたいという思いから生まれると思うので、いいことがあると信じつづけてチャレンジスピリットを保っていくことが大切なんじゃないですかね。

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 今回のトークセッションを聞いていて感じたことは、チャレンジスピリットの根源にあるのは、過酷で辛い状況に打ち勝つ気概よりも自分自身の好奇心や楽しいという思いがあるということ。

そういった飽くなき探究心から突き動かされて生まれるチャレンジスピリットを実行し維持するうえで必要なのは、南極大陸横断国際隊がかつてそうしたように、お互いをリスペクトし合うことや自分自身を大切にすることなのかもしれない。

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