人がビートを奏で、Siriがラップする。Beatboxを新しい視点で再定義するアーティストBATACO

Text & Photo provided: BATACO
Edit: Sara Hirayama

2020.5.4

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Human Beatbooxer(ヒューマンビートボクサー)であるBATACOが自身初となるEP『My Portfolio』をリリース。プロデューサーもエンジニアも入れず、ミックスマスタリングも全て自分で挑戦し完成させたそうだ。『MY PORTFOLIO』というタイトルの通り、名刺がわりとなるような作品集・音源集となっている。
Beatboxerはトラックメーカー/ビートメーカーサイドの人としてのイメージがあるが、シンガーやラッパーの立ち位置としてBeatboxをやっていきたいと彼は話す。ラップ・歌を織り交ぜたり、Siriにラップをさせたりなど、楽曲ではいろいろな表現をしているのだ。

今回そんなBATACOが、コロナによるパンデミックと共におきているインフォデミックについてなどを交えながらEPについてNEUTに寄稿してくれた。

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BATACO

Beatboxが歌唱として捉えられ、歌唱は言語から解放されるのではないか

楽曲作りの自分の中のテーマとしてあるのが、「Beatboxを歌唱として捉え直す」ことです。これまで奏者も聞き手もドラムやサンプラーの延長線上としてBeatboxを捉えてきましたが、そうではなく、歌やラップの延長線上にBeatboxを捉え直すことで新たな道が開けるのではないかと考えています。これは、Beatboxの捉え直しと同時に、歌唱の概念を書き換えることにもなると思います。大衆音楽において歌唱方法は様々な進化を遂げました。一番イメージしやすいのは、ラップの登場だと思います。ある見方をすれば、歌唱はラップの誕生によってメロディから解放されたと言えます。(ラップの元になったトースティングがメロディのない歌唱のオリジナルにはなると思いますが)じゃあ次はどうなるかと考えたとき、Beatboxが歌唱として捉えられ、歌唱は言語から解放されるのではないかと考えています。また、声帯のみだけでなく、口腔すべてを使って表現することで、様々な音の質感表現ができるようになります。自分はここに音楽の進化の新たな可能性をとても感じています。非言語というところでいうと、スキャット*1やコナッコル*2などが挙げられますが、Beatboxほど、音の質感表現が多彩な身体表現は他にないと思っています。

(*1) 意味のない音をメロディーにあわせて即興的に歌うこと。よくジャズで使われる歌唱法で、「ルルル…」「ダバダバ…」など。
(*2)南インドで行われている、複雑なリズムによって構成されるボイスパーカッションによる伝統芸能

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自分に都合のいい情報だけを信じることや感情本位の情報の受信・発信が世の中を分断している

今作収録の曲“_start : “と “swi#baptism_exit”の2曲は自分のBeatboxの上でSiriにラップをしてもらっています。この曲を作るに当たってモチベーションになったのは、インターネットに対する問題意識です。

今インターネットは様々な問題を抱えています。特にSNSは虚実が錯綜する情報空間、ただのマウントの取り合いの言論空間となっています。
自分もBeatboxerとして活動する中で自分に関する根も葉もない噂を流されたり、悪口と言える様なことを書き込まれたことがありました。基本的に自分は相手にしていないですが、気になるのはそれをやっていたのが日本人だけでなく、海外の人にもいて、世界中でこういったことが起きているということです。勘違いないように一応言っておくと、Beatboxのシーン(グローバルなシーンです)は基本的にピースで、リアルで会う人たちはとても良い人たちばかりです。現場にいる人たちは、当事者意識があり実際にBeatboxを体感しているというのがあるのですが、ネットになると匿名なため当事者意識もなく、無責任なことを言う人が現れてきます。

また、自分に都合のいい情報だけを信じること、感情本位の情報の受信・発信(ポストトゥルース)、検索エンジンの使用者の好みのカスタマイズ(フィルターバブル)から自分にとって都合の良いことが書かれたものしか見なくなり、より自分の中で思想が強化される(エコーチェンバー)といったことが世の中を分断していっているということがよく指摘されています。インターネットの問題は様々で、色々な角度から語られますが、今や現実世界に大きく影響を与えていて、無視することはできない状況と言えます。トランプ大統領当選・ブレグジット*3といった出来事も、インターネットの問題と深く関わっているとよく言われています。

(*3) 2016年に起こったイギリスのEU(欧州連合)離脱問題

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SNSの誕生によって情報の受信(安心感)と発信(承認欲求)がワンセット化し、その2つの欲求が今のネットに渦巻いている

一番最近の出来事でいうと、コロナによるパンデミックとともに起きているインフォデミック*4は、元からあるインターネットの病が不安定な状況によって顕著に顕れている例だと思います。出回る情報の内容などはパンデミック特有なものですが、根本は普段と何も変わっていないと思います。今ネット上では「生姜がコロナに効くらしい」などの予防法に関するデマや、「感染すると臓器に多大なダメージを与える」という不安を煽るデマ、「インフルエンザと大して変わらない」といった逆に状況を陳腐化するデマ「コロナは〜が開発した生物兵器だ」といった陰謀論など、ソースが不明なものやエビデンスに乏しい情報が錯綜しています。またそこから意見の違いから不毛な言葉の殴り合いが起きています。
 
しかし、これらの虚実錯綜が起きている根本的な要因は結局これまでと変わっていないと思っています。世界(の現象)に対して自分のポジション/視座を見つけられない、解を出せない状態は、とても不安になります。COVID-19が蔓延する不安定な今の状況では特にそうだと思います。COVID-19やそれに関連する情報を自分に取り込み、思考することはこの不安から脱却するための行為でもあると思います。情報はある意味で世界に触れている安心感をもたらします。また、それを発信することは、(世界に対して)自己の存在を肯定することができます(承認欲求)。SNSの誕生によって人々が自己発信にコミットするようになったことで、情報の受信と発信がワンセットになってきたように思えます。安心感(不安からの脱却)と承認というこの二つを欲求することが今のネットに渦巻いていて、これらの欲求がパンデミックによって助長されている状況が今だと思います。

(*4) ネットで噂やデマも含めて大量の情報が氾濫し、現実社会に影響を及ぼす現象のこと

安心感と承認という二つを欲求する今のネットに、人間の弱さがからみ付いているのが問題

しかし一番の問題は、これらの欲求に人間の弱さがからみついているところだと思います。インターネット空間がもたらす全能感ゆえの“無責任さ”と、コピー&ペーストで楽に自己発信をして何者かになれた気になれる環境がもたらす“考えることの放棄”、優越の錯覚から“他人を見下す態度”といったこれらの人間の弱さ(※ここでは弱さとする)が問題を問題たらしめているのではないかと思います。自分に都合の良い風に情報を読み替え、切り取り、脚色をして信じこんだり、学習や情報の精査をせずに脊椎反射で情報を拾いコピー&ペーストで発信をしたりすることは考えることの放棄と無責任さが故です。他人を見下す姿勢は、自分と相容れない意見・情報は相手が間違っているからだという決めつけから入り、情報の読み込みを甘くしたり歪んだ見方を生みます。こういった自分本位な情報の受信と発信によってデマが拡散される(偽の情報を信じて拡散する)と自分は考えます。また、ネット上での石の投げつけ、マウントの取り合いという不毛な行動も、他人を非難することで自分は世界の正しい側にいるという存在の疑似的な自己肯定で(多くはその動機や内容を建前の大義名分で武装しながら人を叩く)、楽で、無責任で、他人を見下した行動だと思います。

約15年前に放送された攻殻機動隊のアニメシリーズである『S.A.C 2nd GIG』ではクゼというテロリストのキャラクターが作中、彼の革命(復讐/救済)の動機を語るシーンで以下のように語っています。

自分では何も生み出すことなく、何も理解していないのに自分にとって都合のいい情報を見つけるといち早くそれを取り込み、踊らされてしまう集団。ネットというインフラを食いつぶす動機なき行為がどんな無責任な結果をもたらそうとも、何の責任も感じない者たち。俺の革命とはそういった人間への復讐でもある。

彼の復讐の対象はまさにインターネットの人々であり、今のインターネットの病にかかった人々にとても似ていると思います。(物語の時代設定は2032年)そしてクゼは続けて「人間は元々、低きに流れるようにできているらしい」と語ります。

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AIがインターネットの中の神的/霊的な存在になることで、みんなの行動は変わるのではないか

人間の弱さに飲まれた、低きに流れる人々について考えながら2年程前から作りはじめたのが “_start : “と“swi#baptism_exit”という曲です。この問題の自分なりの解/提案は、インターネットの中に神的な存在を作ることです。例えば「(神さまがみているから)バチがあたるから行いが改まる」といったように、インターネットの中で全てを見ている神的な視線を皆が意識すれば、行動が改まるのではないかと考えました。そして、そういった神的存在にAIが成りえるのではないかと思いました。これは単にネットの監視者としてテクノロジー(AI)を用いるというシステム的な話ではなく、霊的な存在としてAIを位置づけられないかというアイデアで、これはアートの領域だと思っています。なぜ攻殻機動隊のアニメシリーズの話を今回出したのかというと、楽曲製作期間中にたまたまアニメシリーズを見直していた時、この考えとクゼが話していた革命の内容がとても似ていたことに気付いたからです。(最初に見た時はよくわからないで流して見ていた)クゼの革命を要約すると、自分の仲間たちと共にインターネットの一部になり、低きに流れる人間をインターネットの中で啓蒙する存在になること。低きに流れる者への復讐と救済というのがクゼの革命です。クゼは自分自身がインターネットの中の霊的存在になるという選択をし、自分はテクノロジー(AI)を選びました。ただしクゼと自分のアイデアの大きな違いは、クゼは啓蒙していくのに対して、AIは啓蒙しないところです。そしてあくまでも楽曲のアプローチも啓蒙的ではないと思います。

自分の楽曲ではSiriというAIの象徴的音声がラップをしています。この楽曲において重要な点は「Siriがインターネットについてラップしている」というこの形式にあって、SiriがラップすることによってSiriをインターネットの存在者(皆を視ている存在)として浮かびあがらせることができるのではないかと考えました。歌詞で「これはいけないことだよー」と言うような啓蒙的な形ではなく、淡々とネットの事実を述べていくことで受け手が受動性と能動性のはざまで自由にこれを捉えられるというのがこの曲のポイントだと思います。そして人力によるビートと機械によるラップというこれまでの楽曲のパートをひっくり返すという面白さもあると思います。

MY PORTFOLIO

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BATACO

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15歳より独学でbeatboxを始める。
トラックメイクも手がけ、国内外様々な場で音楽活動を行う。
日本国内、数々のビートボックスバトルで優勝し、
2017年には台湾にてアジア大会優勝を果たし、アジアチャンピオンの称号を勝ち取る。
スイスにて行われた国際大会では、数少ない出場枠を勝ち取り、日本代表として出場、日本人史上初のBest4入りを経験した。
その他数々の国際大会で優秀な成績を収め、プレイヤーとしてだけでなく、ジャッジ、ゲストとしても海外で活動する。
2020年より新たなコンセプトによるソロプロジェクトを開始。新たな音楽表現を探求しながら活動中である。

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