皆さん、ご機嫌いかがですか?
僕は柳下恭平(やなした きょうへい)です。本屋です。神楽坂で「かもめブックス」というお店や、日本橋で「ハミングバード・ブックシェルフ」という本棚の専門店をやっています。そんな僕が、本で、皆さんの悩みにこたえていこうというのがこの連載です。
どうぞ、お付き合いくださいね。
本っていいですね。
僕は本が大好きです。
だから、本屋以外にも、友人と「ブックマン・ショー」というユニットを組んで、読書普及をしています。
このブックマン・ショーの「ビブリオ人生相談」は、いつもは本屋で行います。僕がその本屋に挿してある本の中から、みんなの悩みを解決する本を見つけて、そして、目的のページの目的の場所に付箋を貼ります。
僕らがしたいのは読書普及だから、悩めるあなたは、いきなりその付箋の箇所を読むのではなく、本をはじめから読んでいって、やがて、その付箋の箇所を読んだときに、悩みが解決されるというわけです。
信じられないでしょう?
企画倒れしそうなこの企画が、これまでに全部なんとかなったから不思議です。
みんな、きっと悩みってありますよね?
安心してください。その悩みは、本がきっと解決してくれますから。
さて、「ビブリオ人生相談」にようこそ。
今回のお悩み
はじめまして、
めんだこと言います。
今は学生をしています。
早速質問ですが、昼より夜の方がひとりでいることがつらく感じるのはなぜでしょうか?
夜はなんとなくひとりでいると寂しさを感じてしまいます。そんな寂しさをどうにかできないでしょうか?
結局ひとりでいられないような自立できないような感じがしてすごく苦手です。
めんだこさん、はじめまして。
今、あなたは学生さんなんですね。
僕が思うに、それは、とてもいいことです。
今、学んでいることが、この先の人生で直接役に立たないことでも、
もちろん、役に立つことでも、「学ぶ」という行為そのものが、とても有益なのだと思います。
その金銭的メリットを生まない、あるいは自分への投資ともいえる、
学ぶという技術と経験は、とてもとても豊かなものです。
ですから、その学生という身分を、楽しんでくださいね。
さて、僕はめんだこさんと同じ年のころに、オーストラリアにいました。
シドニーで8ヵ月暮らしていたのですが、違う町を見たくて、オーストラリアの外縁にぐるりと位置する国道一号線を、反時計周りで旅をすることにしました。
当時はコミュニケーションをインターネットに依存していなかった時代でした。
その時の僕には、半径1500キロメートル以内に日本人の友だちはいなくて、
つまり、僕は日本語で話すことができなかったのです。
英語という世界の覇権言語を使って、言うべきことは言えるけど、話したいことは話せていないような気がするのでした。
その生活には、僕が今までに経験したことのない孤独がありました。
僕たちが誰でも持っている自我というものは、きっと、砂のようなマテリアルでできていて、「他者との関係性」という湿り気がなければ、サラサラと形を作れずに崩れてしまうようでした。
そのときの僕のアイデンティティはとても乾いていました。
それが、僕の深い孤独を作っていたように思います。
友だちと日本語で話したい。
僕の愛する日本語で何かが読みたい。
ひとりで旅をしているときに、そんなことを、ずっと考えていました。
オーストラリアの北に、ダーウィンという街があります。
日中は長距離バスに乗り、もうすぐ夕方だという時間に、その街に着きました。
宿を見つけなくては、とも思ったけれど、
旅の疲れと、人恋しさから、僕は悲しい気持ちになっていて、
海岸に行ってみようと思いました。
バスの中で聞いた話ですが、その日はお祭りのようなものがあり、
海岸には屋台もでているみたい。僕は小さなマーケットにある人の賑わいに紛れてみようと思ったのです。
ねえ、僕もあなたと同じ歳のころに、夜が寂しかったことがあるんですよ。
誰かがいれば、灯りがあれば、夜が夜ではなくなるような気がしたんですよ。
でも、言葉が通じない孤独の惑星で、昼でも夜でも、僕は一人だった。
結局、昼夜は関係なく、何者でもない僕を、誰も知らなかったんです。
どのような時にも救いはあります。
いい匂いがしたから、僕は中国料理の屋台でワンタンスープを買いました。
そして、結局、喧騒から逃げ出すように、浜辺で一人、スープを啜りました。
そのスープがとてもおいしかったのです!
久しぶりに体験した出汁という概念!
味覚と共に感性が、とても開く感じがしました。
大げさだと思いますか?
でもね、とてもおいしかったんですよ。
ずいぶん久しぶりに、きちんとしたものを食べたような気がしたんです。
折りしもそのとき、海に夕焼け。
僕は、なんだかとても癒されました。
嗅覚から開かれた僕の感性は、夕焼けを強く受け入れて、
なんだかじんわりと、感動したのです。
そして、バカバカしいかもしれませんが、
この向こうの、この地球のちょうど裏側で、
僕が夕日だと思って見ている太陽を、朝陽だと思って見ている人がいるのだな、
と気づきました。
「ちょうど今、反対側で、誰かが僕とおんなじ太陽を見ている!」
僕はそのくだらない思い付きにひとりで興奮していました。
僕はひとりじゃないぞ、と思いました。
芸術や風景に共感できるうちは、僕はまったくひとりじゃない。
めんだこさん、あなたが叫びだしたい、その夜に、
必ず、同じ気もちの人がいますよ。
この広い世界のどこかに、必ずいます。
それで安心することはできませんか?
あなたとわたしが生きるこの広い世界について『朝のリレー』
僕は、あなたの悩みに、谷川俊太郎さんの詩でこたえたいと思います。
「朝のリレー」という詩です。
とても、いい詩です。夜に読んでみてください。
「この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている」
この言葉に勇気をもらってくださいね。
さて、ここまで読んでくれて、ありがとうございます。
皆さんが送ってくれた、皆さんの悩みのすべてに、僕は共感しています。
自分でも、この感情に驚いています。
シリアスな状況に温度差はもちろんあるけれど、どれも悩みは悩み。
あなたの悩みを読むときに、僕は別の人生を生きているような錯覚に陥ります。
お便りをありがとう。すべてにこたえることはできないけれど、それでも、ありがとう。
皆さんのお便りをお待ちしていますね。