「友達と恋人の違いは自分たちで決めればいいと思います」。人間関係はグラデーション|かもめブックス柳下恭平の出張!ビブリオ人生相談 #004

Text: Kyohei Yanashita

Photography: YUUKI HONDA unless otherwise stated.

2019.5.22

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皆さん、ご機嫌いかがですか?
柳下です。

神楽坂で「かもめブックス」というお店や、日本橋で「ハミングバード・ブックシェルフ」という本棚専門店をやっています。そんな僕が、本でみなさんの悩みにこたえていこうというのがこの連載です。

どうぞ、お付き合いくださいね。

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ん?

「本でみなさんの悩みにこたえる?」
それって、どういうことでしょう?

本っていいですね。
僕は本が大好きです。

だから、本屋以外にも友人と「ブックマン・ショー」という「読書普及」をしていたりします。

いろいろと活動をしていますが、「ビブリオ人生相談」はいつも、喜んでもらえます。

そう、本が!
本が、僕たちの悩みにこたえてくれる。本には大抵のことが書いてあるから。

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イベントとして、リアルスペースで行うブックマン・ショーの「ビブリオ人生相談」は、いつもは本屋で行います。

僕がその、本屋に挿してある本の中から、みんなの悩みを解決する本を見つけて、そして、目的のページの目的の場所に付箋を貼る。

僕らがしたいのは読書普及だから、悩めるあなたは、いきなりその付箋の箇所を読むのではなく、本のはじめから読んでいって、やがて、その付箋の箇所を読んだときに、君の悩みが解決されるというわけです。

信じられないでしょう?
企画倒れしそうなこの企画が、これまでに全部なんとかなったから不思議です。

とにかく、生きていればうれしいことはたくさんある。
でも、つらいこともあったりする。みんな、きっと悩みってありますよね?

安心してくださいね。

「ビブリオ人生相談」で、きっと、その悩みは解決されますから。

今回のお悩み

はじめまして、こんにちは。
tommyと申します。

ご相談なのですが、「友達」と「恋人」の違いや差が分かりません。
この線引きを様々な方にお聞きしているのですが、性欲が湧くかもしくは嫉妬をしてしまうかどうかというものが一種の線引き・違いになっているという意見が多かったです。

しかし私は、ノンセクシュアルといい性欲があまりないセクシュアリティである且つ嫉妬をしたことがないためその感覚がいまいち分かりません。

自分と関わってくださっている全ての人のことが好きです。
その中には特別好きという気持ちもありますが、性欲もなければ嫉妬もありません。
だからこそ友達と恋人の違いや差が分からなくなるのです。

他者に対して性的欲求を持たないノンセクシュアル。
恋愛感情をもたないエイロマンティック。

最近は、色々なセクシュアリティに名前が付いてきているので、分類がしやすいけれど、うん、僕たちは分類しすぎているともいえますね。

こういうのって、グラデーションでもあると思うから。

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ポイントはセクシュアリティに名前が付いて、それが定義されても、そのパートナーとの関係性には、まだ、名前が付いていないってことかもしれません。

ストレートの男性と女性のパートナーシップを恋人と呼んで、ゲイ同士やレズビアン同士を恋人と呼ぶ。ここまではオーケー、言葉があるからそれについてコミュニケーションを作ったり、ディスカッションもできる。

でも、たとえば、アセクシュアルの女性とレズビアンが作り出す関係性について、そこに明確な言語化がまだない気がする。それを恋人と呼ぶのか、友人と呼ぶのか。

身体性や性自認とかは、一旦おいとくけれど、だから、僕たちは言葉を持たない部分の議論ができないままです。

でも、議論なんてそもそも必要なんでしょうか?

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たった200年前、自由な恋愛ができなかった二人の話『蝉しぐれ』

とにかく、自分が、自分のセクシュアリティをパートナーと共有していればいいんじゃないかなって、僕は考えます。人のセックスを笑うな。その区別を無理に一般化しなくてもいいんじゃないかな。

パートナーと自分だけが、分かりあっていれば、それでいい。
ふたりだけの小さな王国って、とても豊かです。

その上でぼくはtommyさんに『蝉しぐれ』藤沢周平著(文春文庫刊)をオススメしようと思いました。

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この物語は、封建時代の武家の恋を描いた青春小説で、身分の上下、世相の混乱、本音を殺す建前のコミュニティ、自己を殺して「家」というコミュニティを生かす、そんな時代の中では、個人の恋心はとてもはかないものになります。

恋心を胸中に秘めて、時代と社会に翻弄された二人の恋は、物語の最後にようやく結末を迎えます。

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「でも、とてもそんなことは言い出せませんでした」。

という一文があります。

読んでもらえればわかると思います。なんて複雑なハッピーエンドなんだろう。ああ。

ジェイン・オースティンが描いた『プライドと偏見』の世界もそうだった。
コントロールされた恋愛の先にしか結婚がないのならば?
それだけなら窮屈ですよね。

友達だろうと恋人だろうと、その複雑な関係性に言葉はなくても、少なくとも僕らの時代は、自分の気持ちに正直であろうとするハードルが、200年前よりもずっと低くなっている。

なくなったなんて言わない。
でも、ずっと少なくなっている。

それはそれで、とても豊かなんじゃないかなあって、今回tommyさんの悩みをきっかけに『蝉しぐれ』を読んで、そう思いました。僕の思考実験は極端かもしれない、それでも。

「自分と関わってくださっている全ての人のことが好きです。その中には特別好きという気持ちもありますが、性欲もなければ嫉妬もありません。だからこそ友達と恋人の違いや差が分からなくなるのです」。

と、tommyさんは書いていました。

もしも僕のパートナーに性欲も嫉妬(という適度な所有と適度な所属は、それはそれで居心地がいい)もなければ、僕は少し寂しいけれど、パートナーがそういう人ならしょうがないですよね。

好きなんだからしょうがない。

友達と恋人の違いは自分たちで決めればいいと思います。誰に何と言われようとね。

それこそセクシュアリティと同じように、グラデーションだと思うから。

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さて、今回もたくさんのご応募ありがとうございます。
皆さんが送ってくれた、皆さんの悩みのすべてに、お答えできなくてごめんなさい。

困っていること、考えていること、知りたいこと。
僕は何者でもないけれど、本が教えてくれると思います。
本には大抵のことが書いてあるから。

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では、皆さんのメッセージをお待ちしていますね。

 

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