「韓国人いいなって言う人は歴史や背景を知ってもそう思えるのかな?」在日コリアンのモデル・SHINが語る日本での人種差別の記憶|イエローライト

Text: Natsu Shirotori

Photography: Takanobu Watanabe unless otherwise stated.

2022.2.15

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NEUT 2022年 特集「イエローライト」

 2020年、世界中で新型コロナウイルスが拡大していくと同時に、最初に広がった地域が中国だったことを理由に各国でアジア人に対するヘイトクライムの増加が問題となった。そんななか、欧米を中心に「#StopAsianHate」というハッシュタグの元、アジア人差別に対抗するムーブメントが生まれた。
 NEUT Magazineは、海外におけるアジア人差別に声を上げると同時に、日本を拠点とするウェブマガジンとして、日本国内でおきている同じアジア人への差別に目を向けたい。
 外国で起きているアジア人差別に関するニュースを遠い国の出来事として見てはいないだろうか? 「アジア料理」「アジアン雑貨」「アジア人」。日本国内でアジアという言葉が使われるとき、どこか日本はアジアではないような印象を受ける。意識の奥深くで、他のアジア諸国と日本を区別し、差別してしまっているのではないか? 
 特集「イエローライト」では、日本国内におけるアジアンヘイトに目を向け、日本以外のアジアの国にルーツを持つ人々にインタビューを行っていく。

 「私、韓国人なんだ」。例えば友人からそう聞いたとき、あなたはどんな反応をするだろう。世界中に巻き起こるK-POPブームを発端に、映画やドラマなどコリアンカルチャーは日本でも再び大ブームとなっている。韓国へ留学したり韓国アイドル界でのデビューを目指したりする人も増えてきているだろう。若者を中心に、今や韓国は憧れの地となりつつある。
 一方で大型書店の一角に積み上げられた韓国を非難する本のコーナーや、ニュース番組で流れる韓国を「反日」とする報道、そして、ニュースサイトのコメント欄に並ぶ韓国に対するヘイトコメントの数々。これらもまた、日本国内で起こっていることだ。
 日本において、韓国への矛盾した二つの態度が同時に存在している。そして、私たちはこの矛盾した態度を紐解くための歴史を十分に知らないのではないだろうか。今回インタビューしたモデルのShinも、憧れと冷たい視線、二つを同時に浴びながら日本で生活する在日コリアンの一人だ。在日コリアンとして、幼い頃から日本で差別を経験してきたSHINの記憶を辿る。

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在日コリアンでいることは良くないことだと思っていた

ーまず、あなた自身について教えてください。

モデルをしているSHINと申します。生まれ育ちは京都で、高校を卒業してから韓国でモデル活動を始めました。1年半ぐらい韓国に住んだのち、2017年から東京に拠点を移しました。今日の取材場所は私が学芸大学にしばらく住んでいたときによく来ていた喫茶店なんです。
家にも近く、たまたま通っているうちにお店のママも在日コリアンだと知りました。世代が違うママとお互いの経験を共有したり、実家の韓国料理や文化について話したりすることができる、今では私の第2の家のような場所です。

ーご家族について教えてください。

家族構成は、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、私です。母子家庭で貧しかったため、お兄ちゃんは学生しながら働いてお母さんと共に生計を立ててくれていました。

両親は私が4歳のときに離婚しています。4歳までは「申(しん)」という苗字を名乗っていましたが、両親の離婚後は母の実家の通名*1であった「青山」という苗字を名乗るようになりました。韓国名と日本名、二つの名前がありました。おばあちゃんから「あまり朝鮮人であることを外に出さない方がいいよ、差別を受けるから」と言われ、家族のなかでも日本学校に通うのであれば「青山」の方がいいという意識がありました。その後、私は小学4年生から朝鮮学校に編入したのでまた「申」を名乗るようになったのですが、その頃から在日コリアンであることに誇りを持てるようになりましたね。

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ーそれまで在日コリアンであることに誇りを持てなかったのはなぜでしょうか? また、どのようなきっかけで意識が変わったのでしょうか。

小さな頃は、自分に韓国の血が入っていることが本当に嫌だったんです。韓国人であることを周りに言うと嫌われるんじゃないかと不安がっていたんです。小学生の頃に、友達から家族の名前を聞かれたときには必ず日本名で答えていました。また、2002年のサッカーW杯のときには家族みんなは韓国を応援していたけれど、6歳の私は一人で日本を応援していました。

でも、お姉ちゃんが中学生から韓国系の学校に入学して、韓国舞踊を習い始めたんです。公演を見に行ったときにお姉ちゃんの踊る韓国舞踊に魅せられて衝撃を受け、私も踊りたい!と思いました。それをきっかけに朝鮮学校に編入して、朝鮮語を学んだり、文化を学んだり、歴史を学んだりしました。もちろんこのときから舞踊も熱心に練習しました。「昔こんな歴史があったから今この学校があって、自分が通っているのか」と歴史が一つ一つ自分のルーツと繋がっていく感覚がありました。朝鮮学校に入学して初めての日、教室に入った瞬間の友達の暖かさは今でも覚えています。みんな同じ韓国人で、自分に興味を持ってくれて居心地が良かったんです。

(*1) 通称名の略で、戸籍上の名前とは別に、外国籍の人が社会活動をするうえで使用される名前。1939年に日本政府によって「創氏改名」と呼ばれる制度が作られ、朝鮮人に対して姓を日本式に変更することを強制した。日本の敗戦により無効化されたが、現在もその名残が残っている。

初めて経験した人種差別の記憶

ー日本で暮らしているなかで在日コリアンであることを理由に差別を経験したことはありますか。

初めてかつ一番衝撃的だった体験は、中学2年生のときでした。京都駅の地下街のお手洗いにお母さんと2人で入りました。朝鮮語で少し会話をして、お母さんが1人でトイレに入っていきました。そうしたら、鏡の前で化粧直しをしていたおばさんが残された私に向かって鏡越しに「朝鮮人、FUCK YOU」って言ってきたんです。それも見下した顔でニヤニヤしながら。初めての体験だったので私は驚いたし、腹が立って「今、何て言いました?」と言い返しました。おばさんは、「何も言ってませんけど。私日の丸ですけど何か​?​」と返してきましたが何としてでも謝って欲しかったんです。だんだん激しくなって、おばさんとの距離も近づいてきたときにお母さんが出てきて、「落ち着いて、行くで」と慌てて私をトイレから引っ張り出しました。その瞬間、私は涙が溢れて体が震えました。帰りの電車の中でも​ずっと泣き​っ​ぱなしで、本当に生きづらい、自分はそういう存在なんだと思いました。きっとお母さんの世代はもっと激しい差別を経験しているから、冷静に「あんたも同じ土俵に立ったらあかんで」って言ってくれたんでしょう。このときから、自分は絶対に国籍や肌の色で人を判断しないようにしようと思い始めましたね。

その後、東京に来てからアパレルで働いていた時期もあったのですが、お会計対応をしていたお客様がラッピングが気に入らなかったみたいで、私のネームプレートを見て「あなた日本人じゃないでしょ。日本で働かない方がいいよ」と言われたこともあります。中学生以来久しぶりにされた差別で、大人になってからもこういうことがあるのか、と結構傷つきました。

ーそのような差別の体験や問題について周りの友人や家族と話すことはありますか。

日本の友達にはあまり話さないかも。最近は在日コリアンと言うと「いいな」とポジティブな反応が返ってくるし、在日として生きていて辛いことや生きづらさについて聞いてくる子はいません。深いところまで話さないと自分から話すきっかけもないですしね。あえて自分が傷ついたことを人に言うべきなのかどうか、もしかして日本の友達も差別的な気持ちを持っているのかもしれないと思ってしまうこともあります。

でも、同じ在日の友達同士だったら話すこともあります。アパレルで働いていたときの話もお世話になっている在日の先輩に電話して励ましてもらったりしました。

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ー日本人の友達からはポジティブな反応が多いとのことですが、K-POPブームも手伝って特に若い世代は過去の出来事を知らずにそのような反応をする人も多いかもしれませんね。それに対しては違和感などを感じることはありますか。

まだうまく言語化できないけれど、違和感というか、不思議な気持ちになります。「韓国大好き」って言ってくれる人もいるけれど、その人は韓国のどこを見て好きと言ってるのかと思います。例えばK-POPやドラマ、映画が流行ったりして交流が進むのは良い動きだと思います。

でも日韓の関係が悪化したときには、ネットを見ると嫌でもネガティブなコメントが目に入ってきます。それを見た瞬間にほんの一瞬ですが、私はすごく怖くなるんです。だから、「韓国人いいな」「韓国人と結婚したい」と友達に言われたら、歴史や背景を知ってもそう思えるのかな、と心の中で思うときもあります。

より良い社会を作るための選挙権がない

ー日本社会について最近特に気になっていることはありますか。

最近気になるのは選挙権の問題です。昔はあまり気にしていなかったけれど、大人になるにつれて選挙権がないのは辛いなと思うようになりました。価値観も変化して、今後も生きていく日本の社会を良くしたいと思うし、今の社会や政治には違和感があるけれど選挙権がないんですよね。

私の国籍は韓国だけど、在日コリアンは日本に永住権を持っているんです*2。1980年代は在日コリアンの数が70万人もいましたが、今では40万人ほどしかいません。それは、多くの方たちが異国の地、日本でより良い暮らしを求めて日本人に帰化をしたからです。もちろん日本国籍を取得すると選挙権を得られるだけじゃなく、就職の選択の幅が広がります。税金も、日本の人たちと同じように払っているのに選挙権がないのはおかしいと思います。去年の衆議院選挙でもNEUTの記事や、SNSで友達の投票したという発信を見て、投票できるのは羨ましいと思いました。

ー最後に、今回この取材を受けてくださった理由を教えてください。

今、25歳になって社会のことをもっと知りたいし、より良い社会を作っていきたいと思います。そんななかで、自分は在日コリアンで、ある種特殊な存在だと思っています。だから、同じような境遇の人たちのためにもなるかもしれない。自分のことを伝えられたら、と思いこの取材をお受けしました。同じような志を持った人たちが増えると、時間はかかっても世の中は良い方向に変わると信じています。私は洋服を魅せるモデルだけではなく、少しでも社会に寄り添うことのできる人でありたいです。

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 小学校や中学校の歴史の教科書を見直してみてほしい。在日コリアンや、朝鮮半島と日本の間にある根深い歴史について、“日本人”はどのくらい知っているだろうか。K-POPも韓国ドラマも韓国映画も韓国料理も「大好き」な筆者には、身の引き締まる取材となった。
 過去に日本が行った支配や戦争の歴史を知らずに韓国を「大好き」だと言う日本の若者たちの裏側で、未だ差別を経験している在日コリアンの若者もいる。今こそ、見て見ぬふりをせずに、負の歴史に向き合うべきなのではないだろうか。

(*2) 1910年以降、日本は朝鮮を植民地化し、戦争などに伴って労働力を賄うために朝鮮人を強制的に日本に移住させていた。日本の敗戦後、帰国した者も多いが、当時の朝鮮半島の政治や経済状況の不安定さから日本に留まる者も多かった。その後、1965年の日韓法的地位協定によって韓国籍の者に、1993年には「特別永住者」の枠が設定され、朝鮮籍の者にも永住権が渡された。現在、日本には約40万人の特別永住者の在日コリアンが暮らす。

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SHIN

モデル。京都生まれ京都育ち。高校卒業後にソウルでモデル活動をスタートさせたのち、2017年より東京に拠点を移す。▷Instagram

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