NEUT 2022年 特集「イエローライト」
2020年、世界中で新型コロナウイルスが拡大していくと同時に、最初に広がった地域が中国だったことを理由に各国でアジア人に対するヘイトクライムの増加が問題となった。そんななか、欧米を中心に「#StopAsianHate」というハッシュタグの元、アジア人差別に対抗するムーブメントが生まれた。
NEUT Magazineは、海外におけるアジア人差別に声を上げると同時に、日本を拠点とするウェブマガジンとして、日本国内でおきている同じアジア人への差別に目を向けたい。
外国で起きているアジア人差別に関するニュースを遠い国の出来事として見てはいないだろうか? 「アジア料理」「アジアン雑貨」「アジア人」。日本国内でアジアという言葉が使われるとき、どこか日本はアジアではないような印象を受ける。意識の奥深くで、他のアジア諸国と日本を区別し、差別してしまっているのではないか?
特集「イエローライト」では、日本国内におけるアジアンヘイトに目を向け、日本以外のアジアの国にルーツを持つ人々にインタビューを行っていく。
「自分の顔が好きじゃなかったからです。私の顔は、目が一重で『ザ・アジア人』の顔をしているんですよね」
メイクアップアーティストのYuui Visionは、メイクに興味を持ったきっかけについてそう話す。
切長な目を強調する力強いアイメイクをはじめとする独創的なメイクアップが印象的なYuui。今でこそ自身のオリジナリティを謳歌するYuuiだが、過去には自らの顔立ちにコンプレックスを持っていたことや、自身のルーツに関係して差別を受けたことがあるという。幼少期からどこか日本社会に生きづらさを感じ、十数年前に1人ニューヨークへと旅立ったYuuiが日本に戻ってきたのは2021年のこと。多様な人種、多様なコミュニティと関わり合いながら、自身のマイノリティとしての体験や思考を振り返る機会も度々あったようだ。Yuuiは今、日本でマイノリティ同士が差別を受けた経験をケアし合う場所作りや、アクティビストとしてマジョリティの意識を変えていくことに挑戦し始めている。日本での差別の体験、そしてなぜそのような活動を始めたのか、話を伺った。
日本では隠したかった“アジア人顔”
ーまず、あなた自身について教えてください。
Yuuiです。メイクアップアーティストをしています。生まれは東京で、2007年にニューヨークに移住し、メイクアップアーティストとしての仕事を始めました。当時はレディー・ガガさんが人気だったのですが、レディー・ガガ風の格好でパーティなどに行っていたところ、そこで友達になった人にメイクをしてくれと頼まれて、それから雑誌やカタログなどのお仕事もいただけるようになりました。2021年に日本に戻ってきて、今は日本でお仕事をしています。
ーメイクを好きになったきっかけはなんですか。
自分の顔が好きじゃなかったからです。私の顔は、目が一重で「ザ・アジア人」の顔をしているんですよね。思春期のときは浜崎あゆみさんの全盛期で、目がくりくりしていてかわいい、私とはかけ離れた顔が人気な時期でした。どう頑張っても人気の顔に寄せることはできないし、日本で「その目いいね」って言ってもらえることはなかった。だからコンプレックスから派手なメイクを始めたように思います。一方で、ニューヨークに行くとその嫌いだった目を「綺麗ね」と褒めてくれる人が多くいました。コンプレックスだと思っていたものも、見方や環境を変えたら強みになるんだと気づきました。今では自分の顔も好きだし、この大胆なメイクも自分の顔を隠すためのものから、ただただ好きなメイクに変わりました。
ーご家族についても教えてください。
両親は日本人の父と、文化大革命の時代に中国から台湾に逃げた両親を持つ母です。母については一概に台湾人なのか中国人なのかは私は言えません。私自身は台湾にしか行ったことがないし、母が話す中国語もとても台湾寄りなので、自分のことはどちらかというと台湾と日本のハーフだと思っています。ただ、政治的な問題もあって、家族のなかでも中国人とのハーフだという認識もあるので、毎回説明が難しいですね。
家庭としては、幼いときから海外が身近にある家庭で、自分のお金で動くならどこにでも行っていいよと言われていました。初めて海外に1人で行ったのは15歳のときでした。私は学校もあまり楽しくなかったので行っていなかったのですが、自分で計画して行動するぶんには何も文句を言われない家庭でした。
自ら“ハーフ”だと明かす理由
ー日本で暮らしているなかで人種的アイデンティティを理由に差別を経験したことはありますか。
あります。よく覚えているのは幼い頃に母と一緒にいたときの記憶ですね。お母さんは日本語が上手ですが、どうしても独特のアクセントがあるので、授業参観やPTA活動でお母さんが話す機会があるとそれを聞いた周りの人の見る目が変わっていたように思います。学校以外でも、家族で上野に行ったとき、白人の方への対応と私のお母さんへの対応で全く違うことをされて、幼いながらに、日本にも差別はあるんだって感じました。アジア人と、白人と黒人、それぞれ別の外国人として扱われているんだって知りました。
こういった周りの人の雰囲気や対応から感じることもありますが、直接的に言われることもあります。過去に日本のあまり好きじゃないところを周りの日本のルーツを持つ人たちに言ったときに、「じゃあ国に帰れ」と言われたことがあります。日本の政治について発言するときも「でもお前は純日本人じゃないから黙っておけ」って思われているんじゃないかなって不安になることもあります。私は、日本のパスポートも持っていて、ハーフではあるけれど、日本人なんですよね。多くのハーフの子は20歳くらいになると国籍を決めるんです。でも、私のお母さんはすでに日本に帰化していたので、私は自然と日本人になりました。日本人ではあるはずだけど、ずっと100%日本に馴染んではいないように感じていました。そんな生きづらさを感じて、いつからか自己紹介をするときに自らハーフであることを明かすようになりました。
ー“ハーフ”であることを話したがらない方もいるかと思いますが、なぜ自ら明かすのでしょうか。
防衛のためだと思います。日本では特に、自然と中国の悪口を言う人が多いように感じます。「中国人はうるさい」とか「中国製のものは粗悪品が多い」とか。正直、私も同じように思うときもあるけれど、言われていい気はしませんよね。それに、そんな悪口が自然とされている場所で、私が「でも私は中国とのハーフなんだよね」って言ったときの気まずさといったら…。多くの東アジアとのハーフの人は、ハーフであることを明かした方がいじめられるんじゃないかって思っているかもしれませんが、私は自分から言った方が傷つかないだろうと思って過ごしてきました。
あと、これはいいことなのか悪いことなのか分かりませんが、ハーフであると明かすことによって、マジョリティの人たちが安心するという側面もあると思います。意図が分からないのですが「ハーフです」と言うと「だから英語ができるんだね」って言われたりするんです。私は英語圏の国とのハーフではないのに。「ハーフだから」と自分たちと違うことに何かしら理由づけをしたがっている印象があります。ラベルを貼ることによってすごく楽になるんだろうなと思っていて、それは私自身も他者にしないように気をつけたいなと思っています。
ー差別の経験について身近な人と話すことはありますか。
マイノリティ同士は、生活するなかで似たような生きづらさを感じることがあるからか、繋がりができやすい側面があると思います。そういう繋がりのなかで、マイクロアグレッション*1の話が出ることはありますね。マイクロアグレッションを受けた経験は、人に話すことで癒される部分もあると思っています。マイクロアグレッションを受けると、自分が悪いんじゃないかって思ってしまうときもあるけれど、仲間内で傷ついたり悲しい思いをしたことを共有して、その感情は間違っていないって言ってもらえることによってすごく癒される。だから、私もそんな場所を作りたいなと思って最近は活動しています。
(*1)マイクロアグレッションとは、相手を差別したり、傷つけたりする意図はないが、無意識の偏見や無理解、差別心が表れている言動。「黒人はダンスが上手い」「ゲイはおしゃれ」など、一見ポジティブな発言のように見えて、特定のコミュニティに属している人をステレオタイプでまとめて扱う場合などもある。
誰も「分かる」とは言えない
ーニューヨークにいた頃に、アジアン・ヘイトの増加などを近くで見られていたかと思いますが、当時についてお話しいただけますか。
当時、ニューヨークではアジア人がマスクをしているとコロナにかかっていると思われて殴られたり、罵声を浴びせられる事件が増え始めた頃でした。そんな時期に、何を思ったのか、私はあえてマスクをして地下鉄に乗ってやろうと思ったんです。住んでいたチャイナタウンからミッドタウンまでの間、地下鉄の私が乗った車両からは人がいなくなり、地上に出れば私を見た人が車道を超えて逃げていく。今までに感じたことのない緊張感で、いつ飛びかかられ殴られるか分からないような状況になりました。たった20分くらいの距離が5時間くらいに感じられたんです。
そこで、私が思ったのは、私って差別の問題について全く分かっていなかったってことなんです。恥ずかしながら、ハーフだし差別されている人の気持ちは分かると思っていたんですけど、全く分かっていなかった。黒人の方や、トランスジェンダーの方などはあれを毎日経験しているかもしれないんです。
マイノリティに属する私がこれだけ理解できていないのだから、マジョリティの人に分かってもらおうとするのは難しいですよね。それで、最近は分かっていない人を避けるのではなくて、私のように今は余裕が多少ある人が、そういう人とも会話しようとしなければいけないなと思い始めました。
ー実際に体験しないと分からないと感じた一方で、マジョリティ側にも伝えていく必要性があると感じられたんですね。
差別をしてくる人のなかには悪意を持っていない人も多いんです。「中国のものって粗悪品が多いよね」と言うとき、もしかしたらその場に当事者がいるかもしれないとは考えていなくて、「今日天気いいね」と同じようなノリで言っているんだと思います。なんで中国にネガティブな印象を持っているのか、なぜそう思うのかって聞いてみると意外と答えられない人もいるのではないでしょうか。
本当は、私がニューヨークで経験したように、同じような経験をしなきゃ分からないし、今まで私たちも差別を経験してきたのだから、同じように経験すれば分かってくれるのではと思っちゃうときもありますが、それだと分断が深まるだけです。本来は私の責任じゃないはずだけど、今は多少余裕のある私が、悪意なく差別してしまっている多くの人に対しても消化しやすい形で話していくこともしなくちゃいけないのかもなと思い始めています。
そして、この記事を読んだ人や当事者がこういう話をしたときに気づいてほしいのが、自分は相手のことを「分からない」ということです。分からないこと自体は悪いことじゃないんです。だけど、分かっていないことに気づければ、これからどんどん知っていくことができるし、社会は良くしていけると思います。
取材中、Yuuiはマイノリティ同士の経験の開示が癒しになると語った。そして「私のように今は多少の余裕のある人が」マジョリティと対話をしていかなければ、と語った。だとすれば、差別を受けづらい日本の“マジョリティ”に属する人が一番余裕があるはずで、行動に出るべきなのではないだろうか。
辛い話を聞いたとき、つい口をついて出る「分かる」という言葉。過去を振り返ると筆者もよく使ってしまっていたような気がする。しかし、この特集の取材を通して、筆者自身も「分かっていなかった」と目が覚めるような数々の話を聞いてきた。自分のルーツを話すべきかどうかという悩み、日本について意見を言うと投げかけられる人種差別的な言葉、外国語のアクセントがあるだけで変わる自分の母への周りの視線…。日常に、私が「分かっていなかった」緊張が潜んでいる。当事者以外の私たちが「分かっていない」ことを自覚したうえで、動き始めなければいけないのではないだろうか。
Yuui Vision
Yuui Visionはニューヨークと東京を拠点とするメイクアップアーティスト。既存の美の枠にとらわれないクリエイションを発信。ファッションの仕事の傍ら、mutual aidプロジェクト「Community Fridge Tokyo」を運営するなど社会問題に取り組んでいる。▷Website / Instagram / note