「当時はいじめを受けて当然だと思ってしまっていた」中国にルーツを持つモデル・NOHARAの日本での人種差別の記憶|イエローライト × PUMP management

Text: Natsu Shirotori

Photography: KISSHOMARU SHIMAMURA unless otherwise stated.

2022.5.24

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NEUT 2022年 特集「イエローライト」

 2020年、世界中で新型コロナウイルスが拡大していくと同時に、最初に広がった地域が中国だったことを理由に各国でアジア人に対するヘイトクライムの増加が問題となった。そんななか、欧米を中心に「#StopAsianHate」というハッシュタグの元、アジア人差別に対抗するムーブメントが生まれた。
 NEUT Magazineは、海外におけるアジア人差別に声を上げると同時に、日本を拠点とするウェブマガジンとして、日本国内でおきている同じアジア人への差別に目を向けたい。
 外国で起きているアジア人差別に関するニュースを遠い国の出来事として見てはいないだろうか? 「アジア料理」「アジアン雑貨」「アジア人」。日本国内でアジアという言葉が使われるとき、どこか日本はアジアではないような印象を受ける。意識の奥深くで、他のアジア諸国と日本を区別し、差別してしまっているのではないか? 
 特集「イエローライト」では、日本国内におけるアジアンヘイトに目を向け、日本以外のアジアの国にルーツを持つ人々にインタビューを行っていく。

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イエローライト × PUMP management

5月〜7月の記事は、特集「イエローライト」と東京を拠点とするモデルエージェンシー「PUMP management」のコラボレーション。PUMP managementは、カッコイイ・カワイイの固定概念を疑い、個々の魅力を吸い上げてプッシュするエンターテイメントを届けるべく活動をしている。5月〜7月のイエローライトでは日本以外のアジアの国にルーツを持ち、唯一無二の魅力が輝くPUMP management所属のモデル3人にインタビューしていく。

 「この取材、ぜひ受けさせていただきたいです!!!!」
 日本国内におけるアジアンヘイトについて取材する連載「イエローライト」に対してそんな返事をくれたのが、今回インタビューしたモデルのNOHARAだった。取材する側の筆者でさえも、毎回苦しい差別の経験を聞くことに緊張しながら臨んでいるのだが、NOHARAは取材を快諾してくれた。
 彼は中国と日本にルーツを持つ。中国に対する日本国内の態度はさまざまで、ここ10年前後の間でも、大きく印象が変わったことだろう。NOHARAが今回の取材で話してくれたのは10年以上前、10代の頃の体験について。それは、子ども同士の悪質な「いじめ」についての記憶だ。彼は、ただ中国と日本のミックスであるというだけで、長年いじめを受けていたという。苦しい差別の記憶はNOHARAのなかに鮮明に残っている。
 そんな経験を経て自分のルーツを隠していた時期もあるという彼は、モデルとして活動する今、自身のアイデンティティについて、そしていじめの経験について積極的に話すようにしているというがそれはなぜなのか。話を伺った。

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NOHARA

小学校2年生で中国に留学

ーまず、あなた自身について教えてください。

NOHARAと申します。今は、モデルとしてランウェイに出たり、ブランドの広告や雑誌に出たりと、ファッション関連のお仕事をいただいています。モデルのキャリアは大学4年生の冬頃から始めて、現在1年半くらいになります。

元々は大学で法律の勉強をしていて、法律関係の仕事に従事するつもりで資格の勉強をしていました。でも、就活が進むにつれて、「今しかできないことをやりたい」という気持ちが出てきて、前々から興味があったモデルの道を選択しました。

ーご家族について教えてください。

僕は中国と日本のハーフで、父が中国人で母が日本人という家庭で育ちました。生まれは東京の東大和市で、2歳年上の兄がいます。小学校2年生から6年生の約4年間、兄と一緒に中国の大連という都市に留学していました。その間、両親は日本に残って仕事をしていて、僕たち兄弟は中国に住んでいる祖母に育てられました。

極貧というわけではなかったのですが、いわゆる貧しい家庭でしたね。お金がなくて、幼い頃はご飯にカップラーメンをよく食べていました。でも、父親と母親のことは、とても愛情深い人間だと思っていて、僕と兄に飯を食わせるためにあくせく働いている姿はよく見ていました。誰よりも息子たちを愛してくれるような愛情深い親に育てられて、そのことを誇りに思っています。

ー小学校時代に中国へ留学することになったのは、ご両親の勧めだったのでしょうか。

その通りです。「中国語を話せた方が、絶対に将来役に立つから」と言われて、留学に行きました。先見の明ですよね。当時は、周りのみんなと一緒がいいし、中国に行くのはちょっと嫌だなと思っていたのですが、今は中国語も話せるようになって、行ってよかったなと思っています。

留学に行く前は、僕と兄は全く中国語が話せない状態だったので、会話もおぼつかないし、とにかく大変でした。教本やドラマでどうにか学んでいたのを鮮明に覚えています。

中学から日本に戻ってきているので、中国と日本の学校の違いも印象的でした。中国の教育はとても厳しくて、授業を受けるときに先生から姿勢を指定されたり、課題が終わらないとご飯を食べさせてもらえなかったり。音楽や体育の授業に参加させてもらえないこともありました。日本に帰ってきて、いい意味で本当にゆるい教育スタイルだなと思いました。

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中国と日本、どちらでも「帰れ」と言われる

ー日本で暮らしているなかで中国と日本のミックスであることを理由に差別を経験したことはありますか。

たくさんありました。僕の場合は、「いじめ」という言葉を使わせてもらいます。中学生になって、中国から日本に帰ってきてまず「中国から戻ってきやがった。自分の国に帰れ」みたいなことを、留学前まで友達だった人たちから言われました。そのまま、下駄箱に僕の上履きがなかったり、体育の授業から帰ってきたら僕のネクタイがなかったり、分かりやすいいじめが続きました。日常生活全般を通して、本当に些細なこと、僕に非がないことであっても強く非難されてきました。

でも、小学2年生で中国に行ったときにも同じようなことがおこったんですよね。「日本鬼子」*1という言葉があって、日本から来た僕に対して「帰れ」「お前となんか話したくねえよ」みたいなことを言われ続けました。中国と日本の両方でいじめを受けました。

(*1)主に中国語圏で使用される、日本人を蔑称する言葉。読みは「リーベングイズ」

ーそのような状況については、家族や周りの人に相談したことはありますか。

ないですね。「いじめられているんだよね」と両親に打ち明けることはできなかったです。心配をかけたくなかったし、僕を悩みの種だと思ってほしくなかったんですよね。その頃から両親のことは大切に思っていたので、子どもなりに気を遣って、「学校ではいい感じだよ」と報告していました。

他に身近な大人だった先生たちは、いじめの現場を何度も目撃していたのに、何もしてくれなくて、信頼に欠ける大人だったなと今でも思います。担任の先生にもいじめの現実を無視されていました。当時の僕にとって、口には出して僕を非難してこないとしても、いじめを認知しているのに何もしないということ、それすらもいじめだと感じられました。

あと、兄は僕と同じようにいじめを受けていたし、お互いに現場を目撃し合っていました。でも、2人とも控えめな性格だったし、当時はいじめを受けて当然だと思ってしまっていたので、話はしなかったですね。日本と中国のハーフで、留学生・転校生であれば、当然目立つし標的にされるよねという共通認識がありました。

ー高校生以降は、その状況が変わったのでしょうか。

高校に行ってからは、いじめを受けることはなくなりました。メンツが変わったというのも大きいのですが、僕が中国と日本のハーフであるということをみんな知らなかったし、打ち明けなかったことも大きいと思います。その頃は心のどこかにトラウマチックなものがあって、日本と中国のハーフであることを隠していかないといけないんだなと思っていて。自ら進んで「俺、日本と中国のハーフなんだよね」なんてことは当時は言えなかったです。

今の時代は、インターネットの普及によってすごく多様化してきたいじめや差別が大きな問題だと思っています。直接、対面で差別用語を投げかけることはやりづらい世の中になってきているとは思いますが、ネットはまだまだ匿名の世界で、いまだに誰かを傷つけるような差別や誹謗中傷がたくさん見受けられます。

例えば「中国人爆買い、消え失せろ」みたいな見出しで書かれている2ちゃんねるのスレッドとか。なんでこっちがお願いしているんだろうとは思いますが、頼むからやめてくれって気持ちになります。

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今「日本と中国のハーフです」と積極的に言う理由

ー現在はご自身のルーツをオープンにしていらっしゃるかと思いますが、どのように意識が変化しましたか。

モデルの仕事を始めてから意識が変わってきました。自分はどういうモデルでいたいのだろうかと考えたときに、等身大の自分でいたいなと思ったんですよね。それに、僕がモデルをやっている理由の一つに、社会貢献をしたいという気持ちもあるんです。自分が積極的に話すことによって、世の中にはこういうバックグラウンドを持った人もいるってことを1人でも多くの人に知ってもらえるのかなと思っています。だから、今はどこの現場に行っても「僕、日本と中国のハーフです」って日常会話のなかで話すようにしています。決して恥ずべきことではないし、自分のアイデンティティに誇りを持っています。

ー最後に、今回この取材を受けてくださった理由を教えてください。

NEUTは今の時代を変えていくような、触れずらい話題にも切り込んでいく鋭いマガジンだと思っています。僕もそこに参加して、僕の経験を通して何か伝えられたらいいなと思って取材を受けました。

今回の記事を読んでくれているそこの君に向けて、伝えたいです。いじめを受けて、痛みを味わい、それでも成長してきた僕という大人がここにいます。もし、いじめを受けている人がいたら、大小はあれど、少しは同じような痛みが分かると思います。本来、いじめ相談センターや周りの大人に打ち明けることは全然恥ずかしくないことだけれど、僕もそうだったように、打ち明けるのが難しいこともあると思います。そういうとき、僕でよければ相談に乗ります。InstagramをやっているのでDMをくれれば、言葉を返します。

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 今回の取材でNOHARAが語ってくれたのは「いじめ」の経験であり、「差別」の経験でもあると言えるだろう。日本では、報道番組や新聞など、多くのメディアで「いじめ」という言葉が使われる。しかし、「いじめ」の根底には、NOHARAが「中国/日本に帰れ」と言われたように、人種的なルーツに関わる差別心が潜んでいることも多々ある。
 差別はどこからやってくるのか。「いじめ」と呼ばれる子ども時代の出来事が、多くの人が最初に目にする差別の現場なのかもしれない。子どもは大人を見ている。過去には戻れないにしても、これからの世代に差別の種を植え付けないために、私たちがお手本にならなければならない。

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NOHARA

Instagram

NOHARA(24)中国人の父と日本人の母を持つ。自身も4年間中国大連に留学経験があり、中国語・日本語・英語のトリリンガル。187cmの高身長を生かし、コレクションランウェイを中心にモデル活動をしている。モデル以外にも表現力が評価されMVをはじめとする映像系のオファーも絶えない。東京ベースとし、現在はミラノでも活動している。

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