エリート消防士から農家へ。挑戦を楽しむ彼が「自然栽培のいちご」に注ぐ熱い想い|EVERY DENIM山脇の「心を満たす47都道府県の旅」 #011

Text: YOHEI YAMAWAKI

Photography: Shunsuke Shimada

2019.3.4

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こんにちは!EVERY DENIMの山脇です。EVERY DENIMは僕と実の弟2人で立ち上げたデニムブランドで、3年間店舗を持たず全国各地でイベント販売を重ねてきました。 2018年4月からは同じく「NEUT」で連載を持つ赤澤えるさんとともに、毎月キャンピングカーで日本中を旅しながらデニムを届け、衣食住にまつわるたくさんの生産者さんに出会い、仕事や生き方に対する想いを聞いています。

本連載ではそんな旅の中で出会う「心を満たす生産や消費のあり方」を地域で実践している人々を紹介していきます。

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▶︎山脇耀平インタビュー記事はこちら

今回ご紹介したいのは、「美岳小屋(みたけごや)」という屋号で、愛知県みよし市、豊田市にていちごとピーナッツバターを生産する農家・林剛(はやし たけし)さん。

農薬や肥料を使わず、自然栽培でのいちごづくりにチャレンジする彼は、もともと消防士でした。なぜ公務員から農家の道へ進んだのか、そしてなぜ難易度の高い自然栽培に取り組むのか、その裏側にある想いについて伺いました。

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林剛さん

とにかく難しい、いちごづくり

愛知県みよし市と豊田市の境に拠点を構える林さん。国内自動車産業の中心・豊田市で、3年前からピーナッツ、2年前からいちごづくりをスタートした。

ビニールハウスの中で管理されるいちごたちは、すべて無農薬、無肥料で育てられている。取材当日、ハウスにはこれまで見たことのない大きさのいちごがたくさん並んでいた。

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寒暖差を演出することで、いちごはうまく育つと林さんは話す。日中は太陽の光をたっぷり浴びせ、夜には外気を利用し室温といちごを冷やす。これをうまくコントロールできるかが鍵となるのだ。

もちろん、肥料を使わないゆえに、いちごの生育は遅い。ただ時間をかけてゆっくりと育つ分、味が乗って美味しくなるそうだ。他にも、年間約60回は散布されるという農薬を使わないことで、いちごが弱りすぎてしまわないよう、つねに気を使う必要があるなど、とにかく苦労は絶えない。

12月から5月までが収穫期間とされるいちごだが、2年前は自然災害により2月で収穫をストップ。予定していた数の3割しか獲ることができなかった。

林さんはなぜ、これほどまでに難しいとされる自然栽培でのいちごづくりに挑戦するのだろうか。そのきっかけは、10年以上前に遡ることで明らかになった。

エリート消防士から農家へ

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1988年愛知県生まれの林さんは、高校卒業後、豊田市で消防士の職についた。幼少期から目立ちたがり屋、負けず嫌いの性格で、1年目からアグレッシブに働いた。

結果2年目には、救助の部隊に任命され、消防士の中でも花形となる人命救助を務めることに。日頃からトレーニングを欠かさず、同僚とも切磋琢磨する中で、年に1度開催される救助の大会では、在籍中に3度東海チャンピオンに輝くほどの実績を挙げた。

そんな林さんが農家の道を進むことになったのは、家族がきっかけだった。養子として入った林さんの母の家系(つまり、林家)は、もともと開拓者で、いま林さんが畑を管理している土地も、林家が行政に委託され切り開いた土地だった。

古くから畑を続けてきたこの土地に、林さんが越してきたときは継ぎ手が見つかっていない状態だった。売却も選択肢にあったが、家族での話し合いの結果、林さんが農業を引き継ぐことになったのだ。

はじめは、農業なんて絶対に生計を立てられないからやりたくないと思っていたんです。でも、話し合いの中で僕が土地を引き継ぐことが決まり、これはもうやるしかないなと。消防士時代からとにかく人と違うことをやりたい性分で、この土地でも新しいことをやってやりたいという気持ちでした。

畑で何をつくるか考えたときに林さんがすぐに思い浮かんだのは、ピーナッツバター。落花生を焙煎してつくるピーナッツバターは、元々焙煎好きで勉強もしていた自分にぴったりだと、すぐにつくり始めることに。持ち前の性格から農業に飲めり込んでいき、ピーナッツバターという新規性も相まってすぐに結果を出していった。

農家としてのキャリアをスタートさせた後、「自然栽培」という言葉を知り、興味が湧いた林さんは、同じ豊田市で、自然栽培のいちご農家を営む師匠に弟子入りを始める。作業を手伝う中、彼が育てていた美しいいちごに、林さんは興味が湧いて仕方がなかった。

どうやったらこんないちごをつくれるんだろう。それが不思議で仕方ありませんでした。しかも調べていくうちに、あらゆる作物の中でもいちごは自然栽培がとくに難しいことがわかって、これはもう自分もやりたいと思ってしまったんです。

落花生づくりから1年後、農家としてのキャリアをスタートしてすぐに、林さんはいちごの自然栽培をするために準備を始める。これが、林さんにとって本当のチャレンジの始まりだった。

この道を選んだ意味

自然栽培のいちごづくりに関しては、とにかく周囲から反対された。農業をやることについては応援してくれていた師匠にも無謀だと言われ、設備購入のために補助を申請した役所にも「そんな無茶できるわけがない」と一蹴された。

ただ、林さんは諦めなかった。大好きだった消防の仕事を辞めてまで、農業の道を進む決意をしたこと。林という姓を継ぎ、この土地を守る約束をしたこと。そして、困難な取り組みであるほど燃えてくるという、持ち前のチャレンジ精神。

すべてが重なり合い、林さんはいちごづくりを始めた。畑を整備し、ビニールハウスも自分でつくった。初年度はまったくうまくいかなかった。天候にも左右され、予定していた収穫量にはまったく届かなかった。

それでも希望は見えていた。ある程度安定したピーナッツの売り上げを担保に、試行錯誤を繰り返し、徐々に良いいちごが作れるようになってきた。

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今年に入ってからは、東京での対面販売も始めた。直接お客さんとコミュニケーションを獲ることで、いちごづくりのやりがいを感じられた。

「こんな美味しいいちご初めて食べた」「大切に味わいたいと思えるいちごだった」、自分がつくったいちごを口にしてくれる1人1人のポジティブな感想が、林さんの何よりの精神的支えになっていった。

出店してお客さんに直接想いを伝えるのはとても大切なことだと思います。時間をかけてしっかりとつくって、値段もしっかりとつけて、その分、大切に召し上がってもらう。つくるときも、届けるときも、誇りを持ってやりきることが、結果として食べ物の価値を高めてくれるんじゃないかと思っています。

林さんのつくるいちごは、口コミを中心にどんどん広がっている。筆者をはじめ、味と想いに感化された人たちが、紹介によってつながり、その輪がまさに大きくなっている最中だ。

僕がきちんと成功することには、色んな意味があると思っていて。1つは、消防士という公務員、ある意味では安定した職業から、チャレンジするのもアリなんだということ。もう1つは、いちごの自然栽培へのハードルを下げられるということ。そして最後に、誇りを持ってつくったものは、きちんとした価格で届けられるということです。

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何か新しいことを始めるときに、すでに後ろに続く人のことを考えられる。そんな人ってどれだけいるんだろう。林さんのお話を伺ったときに最初に思ったことがそれでした。

「自分の未来が、未来の自分をつくる。」言い換えればそんな言葉になるのかもしれません。林さんは常に、プレッシャーを楽しそうに背負って奮闘していました。

林さんが継いだ林家は、かつて土地の開拓者でした。ときを超えて、その開拓された土地で、今度は林さん自身が、元消防士の、いちご自然栽培の業界を開拓していくのでしょう。

彼のチャレンジが未来を耕し、農業の担い手や、消費者にとって、豊かな時間をもたらしてくれることを願ってやみません。

林 剛 / Takeshi Hayashi

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1988年愛知県生まれ。元消防士の農家。妻の家を継ぎ、肥料や農薬に頼らない、自然の力でイチゴや落花生を育てている。自然栽培を通して世の中を面白くしていくのが信条。

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山脇 耀平 / Yohei Yamawaki

TwitterInstagram

1992年生まれ。大学在学中の2014年、実の弟とともに「EVERY DENIM」を立ち上げ。
オリジナルデニムの販売やスタディツアーを中心に、
生産者と消費者がともに幸せになる持続可能なものづくりの在り方を模索している。
繊維産地の課題解決に特化した人材育成学校「産地の学校」運営。
2018年4月より「Be inspired!」で連載開始。
クラウドファンディングで購入したキャンピングカー「えぶり号」に乗り
全国47都道府県を巡る旅を実践中。

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