こんにちは!EVERY DENIMの山脇です。EVERY DENIMは僕と実の弟2人で立ち上げたデニムブランドで、3年間店舗を持たず全国各地でイベント販売を重ねてきました。 2018年4月からは、毎月キャンピングカーで日本中を旅しながらデニムを届け、衣食住にまつわるたくさんの生産者さんに出会い、仕事や生き方に対する想いを聞いています。
本連載ではそんな旅の中で出会う「心を満たす生産や消費のあり方」を地域で実践している人々を紹介していきます。
1年3ヶ月に渡った本連載の取材もいよいよ最終回。今回紹介したいのは、岡山県でセルフサービスの業態をとるうどん店、いわゆる「セルフうどん」のお店を営む3代目のお話。
現在店主を勤める3代目の大倉剛生(おおくら たけお)さんの父・秀千代(ひでちよ)さんは、先代から引き継いだうどんのつくり方を見直し、昔ながらの石臼によるオリジナルの小麦粉づくりを始めます。
なぜ彼らは今の時代において原料づくりにこだわるのか。また「セルフうどん」という業態に対する思いとは。地元を誇りに思う熱いうどん屋店主の志を伺いました。
「黒い」自家製小麦粉おいしさの秘訣
岡山県瀬戸内市。福岡県の地名の由来になった福岡という地域に「一文字うどん」はある。近くには水量豊かな吉井川が流れ、周りには山々の緑が見渡せる、自然に恵まれた場所だ。
一文字うどんに使用される小麦の種類は2つ。もっちりした食感が特徴の「ふくほのか小麦」と、昔ながらの風味豊かな「しらさぎ小麦」。
提供するうどんのスタイルもセルフタイプとオーダータイプの2つに分かれる。オーダータイプのみ、しらさぎ小麦のうどんを注文できるという仕組みになっている。
ふくほのか小麦は、地元・瀬戸内市長船(おさふね)町内の田んぼで、委託した農家さんに栽培してもらっているもの。小麦色をした小麦本来の恵みを楽しむことができる。
一方、しらさぎ小麦を用いたうどんは、注文を受けてから打ち、茹で上げるため提供までに15分ほどの時間を要する。ただ、この小麦粉は、原料の栽培から製粉まで、すべて自分たちで手がけているのが特徴だ。
一文字うどんでは、「五穀鴨」として商標登録している合鴨を年間通じて飼育している。この鴨たちは地域の自然の中で暮らし、自家製の飼料で育てられながら小麦づくりに役立ってくれているのだ。
食肉としても、臭みがなく、柔らかいのに味が濃い特徴を持ち、うどんのメニューに用いられるだけでなく、日本全国のホテルやレストラン、そば屋などに採用されている。
そんな合鴨農法で栽培された小麦を粉にするのは、昔ながらの石臼製粉機。剛生さんの父である、先代の秀千代さんが導入したのがきっかけで、現在一文字うどんで提供されるすべての小麦粉はこの機械でつくられているそうだ。
「ロール製粉機」と呼ばれる世界的に主流な製粉機ではなく、昔ながらの石臼製粉機を用いるメリットは、風味、栄養、食感という部分に現れる。
石臼で製粉される小麦粉は、まず何よりも黒みがかった色が特徴だ。それは、石臼で小麦一粒を丸ごと挽いていくという方法により、小麦粉の中に、胚乳だけでなく胚芽・表皮もバランスよく含まれるからだ。
そうして、小麦の持つ本来の恵みが粉の中にそのまま注ぎ込まれることにより、真っ白でつるりとした食感が生まれる代わりに小麦の栄養の大部分を削ってしまうロール式製粉機と比べて、高い栄養素を持つ小麦粉をつくることができるのだ。
また、ロール式製粉機の回転数が1分間に500~200回転なのに対し、石臼製粉機はわずか16回転。したがって摩擦熱もほとんど発生せず、小麦の持つ香りや甘味・うま味が、うどんに濃縮される。
さらに一文字うどん独自の研究により、石臼製粉機では難しいとされる、もっちりかつ滑らかな食感のうどんづくりに成功した。
こうしてできた一文字のしらさぎ小麦うどんは「小麦の味がする」と形容される。
日本の伝統食がなぜ海外素材を使うのか
「うどんは日本の伝統食なのに、なぜ輸入小麦を使うんだろう」。
2代目の秀千代さんがそんな疑問を抱いたのは今から25年ほど前。当時も今も、うどん屋といえば、製粉会社がつくった小麦粉を仕入れるのが当たり前。国内で使用されている小麦粉も多くは海外産で、国内産の流通はわずかにすぎなかった。
家業を継ぐことになった1993年。東京から家族で帰郷し、国産の小麦粉を探し求めて全国を回り始めた秀千代さん。偶然隣町に小麦農家さんが居ることを知ったが、直接取引を行うことはできなかった。
「それなら、自分でつくるしかない」と、小麦の栽培を開始。合鴨農法による無農薬のしらさぎ小麦づくりに成功するが、今度は製粉してくれる会社がないという壁にぶつかる。
そこで、300万円で自前の石臼製粉機を購入、結果的に種づくりからうどんまで一貫で手がけるという大きなチャレンジが始まったのだった。
3代目の剛生さんが一文字うどんで働き出したのは約10年前、大学卒業後すぐのこと。当時はまだまだ石臼製粉の技術が安定せず、美味しい国産小麦粉づくりに試行錯誤を繰り返す毎日だった。
製粉業界において、うどんに合った小麦粉を国内で生産するのは常識はずれな行為。そんな難しいチャレンジを、うどん屋の通常営業の傍ら行っていくのは並大抵の努力でなかったと剛生さんは話す。
成功の確証もないまま製粉機を導入して、失敗続きで、でもやめますとは言えなかった。それは僕らを信じて、石臼製粉用の小麦をつくってくれる農家さんとの約束があったから。僕らが買わなければ使われることのない小麦を、美味しく世に出すためにとにかく意地でした。
剛生さんと父・秀千代さんの努力が実り、ここ数年でようやく安定して美味しいうどんをつくることができはじめた。リスクを伴った挑戦によって一時は売り上げが3割も落ち込むときもあったそう。
うどんづくりに覚悟を持って取り組み続ける一文字うどんの名前は、まさに今地域を超えて広がっている最中だ。
美味しい、の厚みが違う
剛生さんが一文字うどんに入ってから10年が経つ。味の変化を追求する中で、うどんづくりの本質は小麦との向き合い方にあると気づいたという。
どこまで人間にコントロールできて、どこから自然に委ねないといけないのか。その境界線を探っています。誰がつくっても美味くできる素材じゃなくて、簡単には扱えない小麦づくりからスタートすること。そこにうどん屋の意味があると思っています。
自家製小麦による自前の石臼製粉で小麦粉づくりを始めた25年前。最初は、きちんとした麺状にすることもできず、ボソボソした味のないうどんしかつくれなかった。
それから、とにかく諦めず、改良を繰り返した日々。小麦農家さんとともに伴走し、彼らの生活も考えた上で、必ず美味しいうどんをつくると努力した長い年月。その上にできあがった一文字のうどんは「美味しいの厚みが違う」と剛生さんは話してくれた。
一文字うどんは美味しいことによって、たくさんの人に食べてもらい、その利益が素材をつくる農家さんに還元される。そうならないと意味がなくて。きちんとした生活の上に、取り組むやりがいは出てくるし、農家同士が切磋琢磨して、いずれは小麦づくりのスターが誕生してほしいなんて思っています。
偏りのない尖った店
ここまでうどんづくりにこだわりを持つ剛生さんだが、理想の店の姿は、あくまでも押し付けすぎない気軽なお店だという。
レストランのシェフなど、全国から食意識の高いお客さんが訪れる一方で、地域の住民にとっては日常的に訪れることのできる敷居の低い店。「セルフうどん」として創業した祖父母の血が流れているからこそ、一文字うどんの原点はカジュアルであるべきだと話す。
やっぱり、僕自身、小さい頃からおじいちゃんおばあちゃんのつくるうどんを食べていたし、地元の人がパジャマ姿でうどんをシャカシャカ湯切りしてる風景が好きで。食に関していろんな人に開かれた場所、でも本質的なうどんをつくってる場所、一文字うどんは、そんな偏りのない尖った店でありたいです。
ここ数年で、異業種のプレーヤーたちとのつながりも増えてきたという剛生さん。現場を任せ、自分はより外へ出て行くことを考えているのか、という筆者の質問に「ぼく、うどんつくるの面白いから」と最後にして最高の笑顔を見せてくれた。
連載最後の取材となった一文字うどん3代目の大倉剛生さん。僕たちEVERY DENIMと同じ岡山に、これほどまでに誇りを持ち仕事に取り組む先輩がいることを本当に嬉しく思いますし、出会えて良かったです。
家業の歴史を重んじ、地域性を大事に、素材のつくり手と関わり、ときに自分で担い、関わる人に誇りを宿らせながら、本質的なものをつくり、敷居は低く、覚悟と自信を持って届ける。
これまでお話を伺った方々から学んだすべての要素を兼ね備えているような、素敵な方の言葉で連載を締めくくれることをありがたく思うとともに、1年3ヶ月に渡って続いたこの47都道府県旅の先に僕らが描く夢をみんなに喜んでもらえるよう、全力を尽くすと心に誓いました。
大倉剛生 / Takeo Okura
1986年生まれ。幼少期からサッカー漬けの日々を送り、大学卒業後、家業の「一文字うどん」に入る。3代目として、父とともに「小麦からのうどんづくり」に邁進。セルフうどんのポリシーを大切にしながら地域に根ざした店づくりを続けている。