こんにちは!EVERY DENIMの山脇です。EVERY DENIMは僕と実の弟2人で立ち上げたデニムブランドで、2年半店舗を持たず全国各地でイベント販売を重ねてきました。 2018年4月からは同じく「NEUT」で連載を持つ赤澤えるさんとともに、毎月キャンピングカーで日本中を旅しながらデニムを届け、衣食住にまつわるたくさんの生産者さんに出会い、仕事や生き方に対する想いを聞いています。
本連載ではそんな旅の中で出会う「心を満たす生産や消費のあり方」を地域で実践している人々を紹介していきます。
今回紹介したいのは、青森県弘前市でりんご農家を営む三上優作(みかみ ゆうさく)さん。同じ青森県内黒石市の出身で、いくつかの職を経験したのち、3年前に妻の実家を継ぐ形で就農しました。農園の名前は「みかみファーム」。既存農法の常識を疑い、理想の味に向かって突き進む彼にお話を伺いました。
大きくて形が良くて赤いりんご。これが一番まずい
「美味しいりんごを想像してください」、そう言われたらどんな形を思い浮かべるだろう。大きくて、形が良くて、とにかく赤い。筆者はすぐに、このようなりんごを頭に描いた。
しかしこれらの特徴は、必ずしも美味しいりんごの条件として正しくないと三上さんは話す。
僕が目指しているりんごは、とにかく、小玉(小さい)で色がまばらなもの。それが一番美味しいと思っているからです。
りんごの木には、枝の先端にいくほど大きな実がなるという。先端であるということは、それだけ養分が届きにくいということ。養分の量は味の濃さに直結するため、「大きい=薄味」というのが三上さんの理論だ。
また、りんごの赤さについては「袋がけ」という作業が大きく影響している。袋がけとは、自然災害などによる傷みを防止するために、果実に袋をかけて生育する技法である。
袋がけがされた状態の果実は、日光に当たりづらくなるため色付かない。収穫の際に袋を外すのだが、この時一気に太陽の光を浴びることで色が急激に赤くなるのだ。結果的に袋がけによってつくられたりんごの方が赤く仕上がるという。
ただし、あくまでもトータルで日に当たる時間が長いのは、袋がけをせずに育てる方法。たくさん日光を浴びせた方が濃い味に仕上がるというのが三上さんの考え。だから彼のつくるりんごはとても青い。
他にも、長くて100年以上の寿命を持つといわれているりんごの木の特徴を活かすため、枝の上方向をカットし、平行に伸ばしながら陽の当たりやすい北向きに育てていくなどの工夫をしている。
収穫時期にも独自のこだわりがある。通常りんごの収穫は10月半ばから後半にかけて。とった後は、すぐに出荷されたり、冷蔵庫で保管されてから市場に出る。
一方、みかみファームのりんご収穫は早くて11月後半、12月半ばに差し掛かるのも普通だという。そうなると、積雪地帯である青森では当然りんごにも雪が掛かることになるのだが、この点が、今まで常識とされてきたりんご農法と最も異なる点だ。
りんごをつくる際に決して雪に当ててはいけない、雪が降る時期までに収穫しないといけないというのは業界では常識。でも実はこれって明確な理由はないんです。
「なぜだか慣習として当たり前のように続けられてきた」。業界の常識に疑問を持った三上さんは、鵜呑みにせず、りんごを雪にさらしてみたそうだ。すると、いい結果が出た。
普通は数%しかできない霜降り状の蜜入りりんごが、全体の80%を超えてびっくりしました。とにかく甘い。雪で育てた方が美味しいじゃんって。
収穫を終えると出荷作業、一部は加工品として無添加・無加水のりんごジュースにし販売している。冬が明けるまでは木の剪定や落ちたりんごを解剖しての研究など、一年中りんごと向き合う生活が続く。
幼い頃食べた「雪降るりんご」の味を
今年で37歳。りんご農家として3年目を迎える三上さんは、現在住む青森弘前市の隣、黒石市出身の出身。仕事で一度は地元を離れるなどしたが、自動車の販売業などいくつかの職を経験したのち、4年前に青森へ戻ってきた。
そこで妻となる沙貴子さんと出会い結婚。彼女の実家がりんご農家だった縁から、家業を継ぐ形で農家としてのキャリアをスタートさせる。
小さい頃から唯一、「りんごを食べること」だけは続けてきたという彼。偶然にもついに天職に出会わせたのだ。
縁が重なってりんご農家を始めて、農業が一番カッコイイ職業だと思っています。やっぱり、食べるものを扱うってすごい。命の元を育ててそれをいただく実感をつくるということだから。
始めるにあたり、最初に目指したのはとにかく味が濃くて甘いりんご。完成形を考えた時、三上さんの頭に浮かんだのは、幼少期に食べたりんごの記憶だった。
実家の川向かいにあるりんご畑。そこで取ったりんごを食べた時の衝撃が今でも残っているという。そして思い返せばその日はしんしんと雪が降り積もっていた。あの味を再現するために。雪の中で育てるという常識外れな挑戦をしながら、三上さんは理想の味を追求している。
また、農業を始め人が食べるものをつくる一次産業は、とにかく稼げないイメージがつきまとう。それは実際にそうなのかもしれない。あるいは農家の子どもたちは、親からそう言われ続けてきたのかもしれない。
ただ三上さんは、確実に違う動機で動いている。そしてそのパワーを持って周囲にも影響を与えている。例えば、東京で働く、三上さん妻の2人の弟。彼らはみかみファームが繁忙期の時、たまに作業を手伝ってくれているという。
一般的に、一次産業は辛いだけで収入が低いしダサいというイメージを持たれがちですが、一緒に体を動かし「農家っていいもんでしょう」とアピールし続けています(笑)
りんごづくりを教えてくれた2人の変人
りんごづくりを決意した三上さんにとって、影響を受けた人物が2人いた。1人は、同じく青森県でりんごをつくる農家さん。
ある日、たまたま10個100円で安売りされていた小玉のりんごを見つけた三上さんは、「小さいから絶対美味しくないだろう」と思いながらも買って食べてみた。それが予想に反して衝撃的な美味さだったのだ。
どうしてもつくっている人に会いたくて、調べて見つけて畑を見せてもらうことができました。
そこで見た光景は圧巻だった。高地で断崖絶壁、崖からギリギリのところに位置するりんごの木たち。そこで命綱つけて作業をする農家さん。季節は冬、天候は雪、めちゃくちゃ美味くてめちゃくちゃ収穫の遅いりんごたちを、実際に目の当たりにしたのだった。
びっくりしました。あまりにも通常のつくり方と違いすぎていて。当然周囲からも変わった人だと思われている農家さんでしたが、本人は気にせず、ただ美味いりんごに集中している。
その畑で、水の流れが栄養に関わることなどたくさんのことを学んだ。特に「良いりんごはつくろうと思えばできる」という確信は、三上さんにとって大きな力となった。
だが、りんごづくりにおける彼の師匠は、義理の祖父だった。すでに亡くなってしまったが、遺した作業日誌を熟読し、りんごのつくり方を学んでいる。
奥さんの祖父に当たる彼は青森県にりんごづくりを広く普及させた人物の兄弟子だったそうで、昭和30年頃から自身のプライベートにまつわる話まで赤裸々に綴ったこの日誌が、三上さんにとってかけがえのない教科書となっているのだ。
若い同志と、自分たちの居場所を。
就農して3年、常識に囚われず次々と新しい農法にチャレンジする三上さん。近隣農家の反応は、必ずしもポジティブなものばかりではないそう。
奇異の目に耐えながらも自分の意志を貫くために、心の支えになっている存在はと聞くと、それは同世代の農家の息子たちですねと即答された。
一緒に居て楽しいのは、熱い想いを持った農家の息子たち。前提として彼らは、新しいことをやっていかないと父親より食っていけない。時代はどんどん不利な状況になる一方なので。だから本当に真剣で、僕にとって精神的な心の支えです。
三上さんはいつか、この農家の息子たちと農園の中でカフェを開業するのが夢だそうだ。
お客さんと楽しく過ごせて、生産者たちにもきちんと利益が還元されるように。そのために今はみんなで集まってアイデアを出し合っています。そうすれば、農家の未来も少しずつは変わっていくのかなと。
2018年9月4日、日本全国に被害を出した台風21号。弘前のりんご農園も大きなダメージを受けた。収穫前のりんごが強風によって木から落ち、みかみファームは収穫予定量の実に1/3が落下してしまったという。
普通に考えればこれは、年間売り上げの1/3を失ったのに等しい。ただ、三上さんはそう考えなかった。9月4日の夜、荒れ狂う天候の中、目の前で自分の育てたりんごがバタバタと音を立てて落ちていくのをじっと見つめながら、彼は次の一手を考えていた。
あんな光景は初めてでした。ものすごい風で木が押され、折れる!と思うとぱっと風が止み、その瞬間にりんごがバラバラバラと落ちる。落ちたりんごを食べながら、さてどうしようかと、とりあえず知り合いたちに電話しました。「台風で落ちちゃったりんご食べない?」って。
三上さんは自分の農園を始め、被害を受けた近隣農家から落ちたりんごを買取り、加工品として販売することを決意。貯蓄を使い果たして回収した結果、なんと1トン以上ものりんごが集まった。
また、少しでも多くの人に取り組みを知ってもらおうと、このりんごたちに「タイフーンアップル」と名付けFacebookで投稿。本人の予想を超えるペースで広まり、第一弾の製品となるアップルジュースはまたたく間に売れていった。
有事がきっかけにせよ、自分でりんごを育てるだけでなく、他農園のりんごも買取り販売するという経験を得た三上さん。まだまだ落ち着かない当面の見通しについて、最後にこう語ってくれた。
近隣8人の農家さんからりんごを集めただけでこれだけの量が集まった。困っている方はまだまだたくさんいるはず。なので、これからもっとこの活動も広めていきたい。
二次被害にも注意が必要だ。必ずしも落ちてしまったりんごだけがダメになってしまうわけではない、生育中のもののしっかりケアしなければならない。
幸い木から落ちなかったりんごたちも、傷がついてしまっている、そうしたら市場に出荷できないかもしれない。こういったものもきちんとお客さんの手に渡るよう自分も頑張っていきたいです。
自然災害が生んだ挑戦
一人のりんご農家として誇りを持って生きる三上さん。誇りを持って語れるということは、自信があるということ。自信があるということは、裏打ちされた経験や努力があるということ。
りんごをつくり始めるとき、すぐに一流のつくり手に会えたという強運も、彼の強い想いが引き寄せたのだと思います。
三上さんが発する一つ一つの言葉には、確かな哲学が宿っていました。りんごを愛する気持ち。りんごづくりを愛する気持ち。そして仲間を愛する気持ち。
最高に甘くて美味しいりんごとともに哲学も存分に味わった僕は、三上さんの大きな愛に魅了されてやみませんでした。
三上 優作 / Yusaku Mikami
1981年生まれ。青森県黒石市出身。「大切に育てたものを、大切に思える分だけ、大切に食べる」を理念に、2015年「みかみファーム」を立ち上げ。独自の農法を追求しながら、青森県弘前市にて、味が濃く甘いりんごを生産、販売している。
みかみファームの「キジのロゴ」
みかみファームのロゴに使われているキジ。キジは冬になると、甘いものを集中的に食べる習性があり、りんご農園にもたびたびやって来るのだそう。りんごが熟して落ちてくるのを畑の中でじっと待っているのだ。
そして落ちたりんごの中で1番甘いものだけをついばんで帰っていくのだという。実に舌の肥えた存在だ。
りんご農家にとって、自分の畑にキジが居るということは、それだけ甘いりんごがつくられている証拠。みかみファームでは、そんなキジにも愛されるようなりんごをつくりたいとの願いからこのようなロゴになっている。