「既存のセックスに代わる新しい選択肢を増やしたい」。新人アーテイストCHERRYが提唱する“新しいセックス”とは

Text: 佐々木ののか

Photography: KOTETSU NAKAZATO unless otherwise stated.

2019.8.2

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Twitterを眺めていたら、あるツイートが目に飛び込んできた。

初個展が明日から始まります!ご来場の際は是非パンツを下さい!そこから新しいセックスが始まります!

そのツイートに貼られた画像にはパフォーマンス作品「あたらしい保健体育」の内容について事細かに記されている。説明によれば「あたらしい保健体育」の中で行われる「新たなセックス」とは、”いわゆるセックスとは異なる方法を用いて相互理解や精神的な充足を目指す行為です”とある。また、性的な触れ合いや指示、言動は行わない旨の記述が散りばめられ、参加者への配慮が行き届いていると感じた。

それにしても、なぜ彼は「新しいセックス」を提唱するのだろうか。どうして、既存のセックスだけではダメなのだろうか。

興味を持った私、佐々木ののかは、その背景を知るべく、彼にインタビューを申し込んだ。

「セックスに代わる充足手段の選択肢を増やしたい」

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ののか:「あたらしい保健体育」のパフォーマンスの大きな要素である「新しいセックス」についてのお考え、とてもおもしろかったです。どうして既存のセックスではなく、新しいセックスを提唱しているのか教えていただけますか。

CHERRY:いわゆるセックスの代替案というか、セックスに相当する選択肢を増やしたいと思ったからですね。

ののか:ステートメントや説明書きの中でもそうおっしゃっていましたね。でも、どうしてセックスの代替案を増やそうとしているのでしょうか?

CHERRY:逆に質問させていただくかたちになってしまうのですが、たとえば、ののかさんがセックスをする理由はなんですか?

ののか:あまり考えたことがなかったですね。したいからする、というか。あえて言うならば「暴力」とか「侵食」に近いものだと私は思っていますけど、「愛」や「独占欲」「支配欲」みたいなものと結び付けて考える人も中にはいますよね。あとは、子どもをつくるため、という理由ももちろんあると思います。

CHERRY:なるほど….。でも、愛や独占欲、支配欲みたいなものって、性⾏為に持ち込まずとも得られると僕は思っています。 それに、ののかさんもおっしゃったように、既存のセックスは暴⼒を孕んでいる。僕としては、暴⼒を孕まずとも満たされる⽅法を模索していきたいという想いがあります。

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ののか:少し立ち入った話になってしまうかもしれませんが、CHERRYさんはプライベートではどのような”セックス”を実践されているのか教えていただけますか?

CHERRY:僕とパートナーの間ではほとんどいわゆるセックスはしないのですが、スキンシップを取りたい欲求はあるんですよ。頭を撫でたり、キスしたりだとか。そういったときに僕は興奮していないのに彼女は気持ちが昂ぶっている。僕の下着は汚れないのに、彼女の下着は分泌物で汚れている。

そうした不均衡さを洗い流すこと、つまりパンツを洗うという行為自体が愛への昇華というか、僕にとってのセックスだったんですよね。

下着を洗うことを毎日続けていると「今日は体調が良くなさそうだな」とか「下着がよれているからサイズが合っていないよ」とか、相手の体調にも心を配れるようになる。下着を洗う行為のほうが既存のセックスで得られる快感や相手への気づき以上に、相手に近づけた気がするのかもしれないです。

「既存のセックスを知ってしまってから、その他の方法を考えなくなってしまった」

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ののか:CHERRYさんのお話を伺っていると、既存のセックス以上に自分にピッタリくる充足手段があるんじゃないかと想像が膨らみますね。そもそも、何でセックスするようになったんだっけと思い返してしまいました。

CHERRY:今ちょうどおっしゃったことについても問題意識を抱えていて。僕たちは思春期を迎えると、当たり前のように付き合ってセックスをする。一連の流れに思考はなくて、半ば自動的にセックスをする流れになるわけです。

既存のセックスを知る前はもっとフラットに性を捉えられたはずなんです。そもそも、僕が最初に性的な興味を抱いて、深い関わりを持ちたいという欲求を持った対象も犬なんですよ。

ののか:犬、ですか?

CHERRY:僕のアーティスト名である「CHERRY」は、幼い頃飼っていた大好きな犬の名前です。10歳前後になって、異性あるいは人間に対して性的な興味を抱き始めるのと同じように、僕は飼っていた犬に恋愛感情と性的な興味を抱きました。愛情の表現としての性だったんです。僕が大好きな犬に対して抱いていた恋愛感情や性的欲求は、他の人が、人に傾けることと同様に僕の中ではとても尊いものなんです。

ののか:犬のチェリーに抱いた思いがCHERRYさんにとっての性の原体験だったということですね。ちなみに、性的対象は犬だけですか?

CHERRY:犬だけが性的対象だったというよりは、そのときはたまたま犬が性的対象だった、というほうがニュアンスが近いかもしれません。僕の中では人間の女性も、犬も、言うなれば鉱物のような物質さえもフラットに見えているんですよ。すべてのものがフラットに見えている事実は今も昔も変わっていません。

でも、女性とお付き合いするようになっていわゆるセックスを知った瞬間から、犬のチェリーへの欲望は、性的充足手段の一つとは考えられなくなってしまった。

ののか:つまり、それまでの性的欲求を満たすための多様な表現が既存のセックスに集約されてしまったということですか?

CHERRY:そうです。もちろん、すべての人が犬に対して性的関心を抱くとは思いませんが、既存のセックスだけがほぼ唯一の性的充足手段になってしまっている現状は不自然だと思います。

たとえば、一体感を求めてセックスをしたとしても、結局個々のタイミングでオーガズムを迎えるところですね。絶対に一緒にオーガズムを得られはしないのにタイミングを合わせたり、繋がった気になったりするのは、すごく空しい気がしてしまって。

僕⾃⾝は既存のセックスから愛を感じ難いので、あまり⾏わないです。

ののか:確かに、一般に広く認められている性的充足手段が既存のセックスと自慰行為に限られているのは、考えてみれば不思議ですね。

CHERRY:はい。当たり前に既存のセックスという手段を選んできてしまったことを悔いていますし、何も考えなかった、自分を”性的加害者”だとも思っているくらいです。

もちろん既存のセックスをするうえで同意は得るわけですけど、お互いが得たいものを得る手段としてそのセックスがベストかはわからないじゃないですか。その可能性を無視してを停⽌の状態で性⾏為をしてきたことは、加害的だなと感じるんです。

ののか:なるほど。でも、その理論でいくと、世の中のほとんどの人が性的加害者になりますね。

CHERRY:その他の可能性への想像力を欠いているという点においては、性的加害者に”なりうる”とは思います。可能性への想像力を欠くことはお互いがどうしたいかを話し合う機会を奪うことになるので。

下着を洗うという行為は、僕にとっての充足手段ですが、それぞれにフィットするものを見つけてほしい、というのが僕からのメッセージです。

真の意味での“性の多様性”は冷静な対話からしか生まれない

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ののか:カップル間で相談しあって、お互いにベストな充足手段を見つけるのは率直に楽しそうだと思いました。一方で、広くは受け入れがたい性的趣向を持っている方も中にはいらっしゃいますよね。

各人の嫌悪があるのも仕方ないものとして、そうした状況下で真の意味での性の多様性を実現するためにはどうしたら良いと思いますか?

CHERRY:受け入れがたい性的趣向を持っているというだけで冷ややかな目を向けたり弾圧したりすることはつまり、既存の性の価値観に囚われたままになってしまっていますよね。⾃⾝の⾏うセックスは正しくて、彼らの⾏う⾏為は正しくない。こうして性の可能性を狭めてしまうのはかなりもったいないと思います。

当たり前の回答になってしまいますが、感情ではなく理性で、冷静に話を聞いて分析しようとする姿勢が必要だと思います。

ののか:何か具体例のようなものがあれば教えていただけますか?

CHERRY:たとえば、下着愛好家の⽅は性器への執着から発展して、さらに下着というモノに対して愛情や執着をもっている⽅々です。「下着愛好家」と聞くとそれだけで嫌悪を覚えてしまうかもしれませんが、「モノに対してフェティシズムを感じる」と聞くと、共通項が⾒いだせる気もしてくる。 すべてを否定するのではなく、彼らの価値観や論理を⼀度⾃分のものとして解釈して、取り⼊れられる点や接点が⾒いだせたら嫌悪感も薄らぐかもしれないし、⾃分の性の捉え⽅が豊かになるかもしれないですよね。

もちろん話を聞いても受け⼊れられないこともあるでしょうし、必ずしも受け⼊れられなくてもいいとは思います。ただし、⼈類における性という⼤きな問題を扱う上で、解決策を⾒出すならば、まずは冷静に共通点を探っていくことが糸口になるんじゃないかなと。

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ののか:ありがとうございます。CHERRYさんは今後も同じテーマで表現活動を続けられるのでしょうか。

CHERRY:そうですね。「これをセックスって呼んじゃっていいんじゃないかな」という感覚は恐らくみんなの中にあると思うんですよ。そこをパートナーや他の人とどんどん共有したほうが良いと思っていて。

たとえば、人の写真を撮ることでいわゆるセックスに似た充足を覚える人もいますし、性的興奮よりも肌が触れ合う安心感を求めている人もいる。それは人それぞれ千差万別なわけです。僕自身は既存のセックスから得られるものはあまり多くないと感じていますけど、それも向き合ってみないとわからないことですよね。

自分が得たいものと、それを得るための手段として何が適切なのか。そこにもっと真摯に向き合う環境をつくるために表現活動を続けていきたいと思っています。

ののか:既存のセックスがスタンダードではなくなって、その他の方法とフラットになればセックスレスで悩んでいる人やセックスがあまり好きではない人も生きやすくなるかもしれないですね。

CHERRY:そう思います。⾃分が間違っているとか劣っているとかもっとこうしなきゃとか劣等感や強迫観念みたいなものから解き放たれて楽になれるんじゃないかと僕も思います。そんな未来をつくりたいんですよね。

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インタビューの間じゅう、セックスにまつわるあらゆる問いが頭の中を駆け巡っていた。

どうしてセックスをするようになったのか。なぜセックスをするのか。セックスに何を求めているのか。そもそも、セックスに意味づけが必要なのか。

相手が変われば”セックス”に求めるものも変わってくるだろう。相手が変わるごとに、”適切”な方法を考えなければならない、と義務のように考えると骨が折れる。しかし、自分と相手の求めるものに徹底的に向き合うことは、お互いの快楽の幅を広げることとイコールだ。

私自身の考えで言えば、セックスが暴力性を孕んでいることを認めつつ、既存のセックスをやめることはしないと思う。それでも、代替手段の可能性を考えることは単純にワクワクした。

欲求を因数分解していくと、いわゆる性的な欲求からは離れていくかもしれない。そういった可能性を含めて、ひとりひとりにあった”セックス”が見つかるといいなとCHERRYさんの話を聞いて思った。

CHERRY

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佐々木ののか

Twitternote

文筆家。1990年北海道生まれ。「家族と性愛」をメインテーマに、インタビューやエッセイの執筆を行う。最近は動画制作や映画・演劇のアフタートーク登壇、アパレルの制作など、ジャンルを越境して活動中。

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