「パーソナルな事柄も社会とつながっている」。“いないことにされている人”の存在に光を当てるコミック作家

Text: Shiori Kirigaya

Photography: Kotetsu Nakazato unless otherwise stated.

2018.10.24

Share
Tweet

自分にとってパーソナルなことって、どのくらい人に話すのがいいのだろう?自分のパーソナルな面をみせることで人との距離を縮められることがある。反対に、あまりにも自分について話さないと、いつまで経っても親しく思ってもらえないこともある。そんなパーソナルなことにもさまざまあるが、それは時に社会の問題とつながっている。

今回インタビューしたのは、パーソナルな事柄を作品に込めることの少なくないイラストレーター・コミック作家のカナイフユキさん。カナイさんといえば、ケイト・サンブレノの著書『ヒロインズ』*1の装丁イラストを手がけたのが記憶に新しい。人の繊細な心理や毒舌な一面も独特の作風で描く彼は、どんな思いで制作をしているのだろうか。

(*1)著名なモダニスト作家の影で周縁に追いやられていた妻や愛人たちの人生に、著者が自らの境遇に重ねて綴ったブログを書籍化した作品

width=“100%"

width="100%"
カナイさんが装丁イラストを担当した書籍『ヒロインズ』ケイト・ザンブレノ/訳・西山敦子

「これなら自分にもできる」と思って始めたコミック制作

「Queer*2artist / zinester*3/ illustration / comic / writing 」カナイさんのソーシャルメディアアカウントには、そんな肩書きや活動内容が並べて書かれている。特に知られているのがイラストレーターやコミック作家としての活動だ。絵を描き始めたのはいつだったのか問うと、「小・中学校時代に宿題として書かされる日記が好きで、毎日気合いを入れ、絵もつけて書いていたのが最初だったと思います」と彼は話す。

コミック制作と出会ったのは後のことで、演劇を学ぶために大学に入ったものの、自分のやりたいこととは違うかもしれないと悩んでいたときに偶然実家で読んだコミックがきっかけだった。それは正統派の画風でもなければ、物語というよりエッセイの要素が強いものであったという。これなら自分にでもできるんじゃないかと感じたカナイさんは、それから大学の課題としてコミックを描いて提出するようになる。表現方法に制限の少ない学部に所属していたため、演劇からコミックに移行しても、幸いなことに大きな問題はなかった。

(*2)もともと「奇妙な」を意味するクィアは男性の同性愛者をさす侮蔑語として使われていたが、当事者たちが自らに対して使うことで肯定的な意味合いに変えられ、現在では広くセクシュアルマイノリティをさすことが多い
(*3)zineを作る人

width=“100%"

現在ではコミックを使い、多くの人に伝えるべき、ふとした会話や物事に対する新たな見方などをZINEで発信しているカナイさん。その一面は表現者というよりむしろ、伝達の媒介者と呼ぶべきかもしれない。人間の本心から出る言葉には、社会で気にもとめられないが重要な「人の本質」が映し出されることがある。

僕のコミックって自分の意見というか、もっとこのことを知っている人が増えたらいいなと思ったことをアウトプットしている感じなので、自分は編集しているだけだなって思います。

「いないことにされている人たち」の存在を提示していく

カナイさんは制作にあたって「personal is political(個人的なことは、政治的である)」「sensitive is the new tough(傷つきやすいということが、新しいタフさだ)」をモットーに掲げている。前者は60〜70年代にフェミニズム運動で使われたスローガン。女性の仕事といえばメイドやクリーニングなどの家事労働しかなかった当時、「女というものは細かい仕事をするだけのものだから、そんなやつらの声を聞く必要はない」という考え方に抵抗するために用いられた。カナイさんにとっては、自身がマイノリティの当事者として発信するときに持っておきたい言葉であるという。

パーソナルな世界でもいろいろ起きているし、政治とは無関係じゃないですよっていうのを本人たちも再確認しつつ、社会に対しても、自分たちは無関係ではないんだと宣言していく言葉だったんです。

後者の「sensitive is the new tough(傷つきやすいということが、新しいタフさだ)」が意味するのは、保守的な価値観のなかで男性から歴史的に“女性のネガティブな特徴”とみられてきた「傷つきやすさ」をそのまま表現することでできる人々の間の共感から生まれる「連帯」。日本にも広まった#metoo運動もその一例かもしれない。『ヒロインズ』の翻訳を務めた西山敦子さんが、そのスローガンをモチーフにしたピンバッジを持っているのを見て、自身の活動にも通じると感じたことから使い始めた。言葉のとおり、同じ生きづらさを感じていた者同士が結束して各々が少しタフな気持ちなれるだけでも意味がある。「sensitive」は「他人に配慮できる」という意味でも使われるが、カナイさんは「抑圧されて傷ついた経験のある人こそ、他人に配慮ができるのだと思います」と話す。

width=“100%"

彼の活動の軸にはさらに、こんな目標がある。「個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすること」。これは主流派の力が強いこの社会において「いないことにされている人たち」や「ないことにされている問題」に光を積極的に当てるということ。

僕が考えるクィアネスの定義って、主流の社会のメンバーとみなされず「いないことにされてしまう人たち」や、設定されたルートに沿わないで生きる存在をさしますね。

誰もが難しい論文を読めるわけじゃない

個人が抱えている問題や、その延長線にある社会や政治について見聞きしたことや考えたことを、さりげなくあるいはストレートに作品でアウトプットしているカナイさん。アイデンティティや、社会・政治に関心を持つようになったのは、小学生のときだった。身近に障害を抱える人がいたこと、早い段階から自覚していた自身のゲイというセクシュアリティ、働き始めてから経済的に安定したことがないこと。社会が誰にとっても平等に生きやすい場所ではないと肌で感じてきたという。だからこそこの偏りがちな世の中で、主流社会に今まで届くことのなかった少数派のつらい思いをカナイさんは人に代わって自分なりに伝える。それは「sensitive is the new tough」の実践だ。

width=“100%"

width=“100%"

稼げている人のほうがちゃんと本とか出せるから、立場の強い人の意見ばかりが目立っていて、慎ましやかに生きている人の意見があまり見えないと感じていたので、自分はそこを描いていきたいと思ってます。

たとえばカナイさんのコミックを、ゲイの作家による作品という角度からみたとする。「ゲイ漫画」の歴史ではエロに直結する作品が多くみられるが、エロさのない作品を描いた彼は、表現される機会が少なかったひとつの「ゲイ像」を提示したといえる。人が描いてこなかった人物像を描くことを、今後も積極的にやっていきたいとカナイさんは話す。

width=“100%"

誰でも大学に進学できて難しい論文が読めるわけじゃないので、そういうところから情報を得てくれる人が増えたらいいなと思っているということでやっています。

コミックのような文章と絵を使った表現方法の利点を聞いたとき、彼はこんなことを言った。カナイさんはZINEの制作を始めて、ほかのzinesterたちと交流するなかでフェミニズムに出会い、社会を不平等な場所にしてきた「男性特権」や「異性愛規範」の問題に気づくことができた。苦しんでいるほかの人たちにも、同様に自分を苦しめてきた対象を認識することで気持ちを楽にしてもらいたいと考えたとき、誰にも同じような情報にアクセスする機会があるわけではないという現実にぶつかる。そこでイラストや文章を使えば入り口を広く設けられ、誰かに気づけなかった何かを伝えられる可能性がある。アカデミックな世界に属する友人が教えてくれた、フェミニズムやクィアにまつわる知識もコミックに描けばいい。

発信するのは、他人に伝える意味のあることだけ

自身が描いたコミックを掲載しているZINEでは、自分のパーソナルな経験や下手したら個人攻撃になってしまうようなことまで、内心ではヒヤヒヤしながらも書き続けるカナイさん。読み手を選ぶような内容を書きたい場合には、自分で発行する部数を減らして友人に配るだけにするのだという。では不特定多数が目にする可能性のあるSNSでの発信は、拡散性の低いZINEなどとどう使いわけているのだろうか。

彼の場合は、SNSは活動の宣伝だけのために使うとあらかじめ決めている。だが、あまりにも何か言いたくなったら言ったり、拡散する必要があることは拡散したりするという。社会問題や時事に関することに対して意見を述べる同世代やそれより若い人たちがまだ少なく、自分がやらなければという気持ちにさせられるからだ。

width=“100%"

今回の取材の主題は、パーソナルな事柄を話すことについて。カナイさんがいくらパーソナルなことを書いているといっても、書くことと書かないことの線引きがどこかにあるだろうと筆者は思った。聞いてみるとやはり実体験に基づいて書いているため、自分以外の登場人物に不利益が生じないように注意しているという。またパーソナルなことの発信は、人によってはネガティブに受け取るおそれがあることを前提に、彼はこう選別しているのだと話してくれた。

これを発信することによって世の中にいい影響があるのかってまず考えるようにしていて、似たような経験をしている人を励ますことにつながりそうって思えるものは書くし、ただ自分の毒を吐くようなものは出さないようにしてますね。

width="100%"
homogenized(均質化された)をテーマに描かれた、カナイさんのコミックの一場面

カナイさんの経験を例にあげるなら、彼が高校を中退した話は一般的な価値観ではあまり肯定的にとらえられないかもしれないが、「あ、中退した人でもこういう生き方ができるんだ」と気づける人もいる。また、彼がSNSに綴ったエピソードで反響が大きかったのが、“男社会そのもの”といっても過言でなかった元職場の話。性差別的な価値観が強く、男性には“男性らしさ”が、女性には“女性らしさ”が求められる環境だったため、そのどちらでもないような作風である自身の作品を見せることがなぜか「カミングアウト」のように思えて公開してこなかったが、実際にポートフォリオを見せたところ意外にも好意的な反応が多かったというものだ。

個人的なエピソードは恥ずかしいことや情けないことがほとんどなのですが、でも誰かの役に立つのであれば共有しておこう、と思いながら発信しています。

自分の経験を発信するということ

過去にカナイさんはデザイナーの大澤悠大(おおさわ ゆうだい)さんと共同で「Your silence will not protect you.(黙ってたら、得だと思うなよ。)」という、これもまたフェミニズム運動やセクシュアルマイノリティの権利拡大運動で使われた言葉をテーマにした展示と、ステッカーやTシャツを作っている。歴史的なスローガンを視覚的に表現することで若者を中心とした世代に、力強くも受け入れやすいメッセージを送ったのだ。筆者がカナイさんを知ったのは昨年取材したNEW ERA Ladiesのふたりが、この展示のステッカーをスマートフォンに貼っていたのを見たのがきっかけだった。

width="100%"
カナイさんがデザイナー大澤悠大さんと共同で開いた展示「Your silence will not protect you.」の作品

自分のことなんて、人に伝えても意味がないと思うこともあるかもしれない。それでもカナイさんが話していたように、自分の経験や思いについて発信することが誰かにとって救いになる可能性があるなら、影響を与える範囲がたとえ小さくとも、それには重要な意味があると考えていい。主流派の声の影に隠れてみえなかった、“隙間の人の声”を体現するものとなるのだから。

Fuyuki Kanai(カナイ フユキ)

WebsiteTwitterInstagram

長野県生まれ。
イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine, 個人出版物)の創作を行う。

彼が年に一度出していた、パーソナルな語りをテーマに絵とエッセイ、コミックで構成されたZINE3部作を含む作品集を、今年12月頃に出版し、同時に展示も行う予定。

width=“100%"
Share
Tweet
★ここを分記する

series

Creative Village