世の中は「他人が描いたフィクション」だらけ。俳優・劇作家・演出家の山田由梨が見つめる社会

Text: Yuki Kanaitsuka

Photography: 雨夜 unless otherwise stated.

2019.9.12

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社会に情報が氾濫する現代。「何が真実なのか」を判断する軸を持っていないと、気づかないうちにフェイクニュースに踊らされてしまうことも少なくない。悪意のある誰かの物語に煽動されないためにも、今、私たち1人1人が社会と向き合って、自分の頭で考えることが求められている。でも「社会について考える」とは、一体何からはじめたらいいのだろうか?ここに「社会について考える」ことに真摯に向き合う1人のアーティストがいる。現代社会が抱えるさまざまな問題をポップかつ鋭い視点で描く演劇作品を数多く創作している贅沢貧乏・主宰の山田由梨だ。

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山田由梨

山田は、2012年、大学在学中の20歳のときに劇団 贅沢貧乏を旗揚げした。同劇団は、一軒家を舞台に部屋に観客を呼んで目の前で演劇を上演する「家プロジェクト(uchi-project)」をはじめとした斬新な演出手法で注目を集め、2017年には『みんなよるがこわい』を中国3都市で公演。活躍の場を世界に広げる。また、同年の秋には東京芸術劇場で『フィクション・シティー』を上演。「演劇界の芥川賞」と呼ばれる岸田國士戯曲賞にもノミネートされた。

贅沢貧乏の作品のなかで、一貫しているのが現代の日本社会が抱える問題をテーマとして扱っていること。これまで原発の問題を扱った『テンテン』やジェンダーをテーマとした『わかろうとはおもっているけど』など、私たちが生きる社会が抱えている問題を等身大の視点で解釈して描いた作品を手がけてきた。そして2019年、秋、2年ぶりに東京芸術劇場で新作『ミクスチュア』の上演を控えている。今回、山田が新作『ミクスチュア』で挑むテーマとは。また、「作品をつくることの根底には、社会について考えることがある」と語る山田の創作活動の背景にある思いについて、本番間近の稽古場を訪ねて話を聞いた。

清潔さを求める人間の欲望の裏に排除の心があると思った

「これから先の時代を若者がどういう感覚で生きていくのかを描きたいという思いが一番最初にありました」
はじめにそう前置きをして、山田は新作『ミクスチュア』について語った。今回の創作のキーワードは「人間の清潔さを求める心と動物性」と「本能と理性」について。一見、掴みづらい内容だが、どういうことなのだろうか。

例えば「脱毛したい」「つるつる」でいたいという思いの背景には、機械みたいになりたいという人間の欲望があると思うんです。できれば、スマートに生きたい、面倒なことは排除して生きていきたい、清潔でいたい。でも、人間は動物なので、やっぱり機械にはなれない。そんな人間が動物として本来持っている「野性味」や「汚さ」と、「清潔でいたい」という思いから生まれるジレンマを描きたいと思いました。

東京を走る電車の中はいつも「脱毛」や「ダイエット」「エイジングケア」などの広告であふれている。広告を飾るモデルの肌は決まって毛穴一つない状態に加工されいる。確かに現代を生きる私たちが理想としている体は機械のようかもしれない。山田はそこに、新しい視点を投げかける。

清潔にしていることや、ムダを省いていくことって、もちろんいい面もあると思うんですけど、私はどうしても「排除の心」が働いてしまう気がするんです。例えば、ホームレスの人が比較的多い池袋とかで、駅や公園などが工事されてすごく綺麗になると、彼らはいなくなっちゃうんですよね。なんか、どこにいっちゃったんだろうといつも思うんだけど。たぶん、綺麗なことで居心地が悪くなる人もいるんだろうなと思いました。

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こうした作品の核になるテーマは、全て山田が普段日常のなかで感じた疑問や違和感がもとになっている。

一個一個なんでそうなるんだろうって、自分で精査して考え直したいという思いがあるんです。前作のときはちょうどジェンダーについて考えていて、今回はそこから発展して「人間と動物」とか「清潔さ」について考えているという感じです。

贅沢貧乏の演劇は「世界を捉え直すためのツール」

山田は自身の創作活動について「社会に対しての自分の考えを構築していく過程が私にとっての演劇である」と話す。この一貫したスタイルの背景には、独自の哲学があった。

今、自分が生きているこの社会そのものが誰かが書いてきた物語だって捉えたときに、物語だったら変えられる、人が書いたものだったら間違いがある、っていうのが私のなかで価値観としてあるんです。そういうものだって思われていることでも、一歩立ち止まって、本当かどうか1から自分で考えたい。それが作品をつくるうえでの動機になることは多いですね。

社会で当たり前なものとして信じられていること。法律や貨幣や歴史やジェンダーだって、一歩踏み込んで考えてみると誰かが書いた物語、フィクションなのではないか。だとしたら、与えられた物語のなかで絶対に生きなければならない必要はなくて、私たちは自分で物語を選んで生きたっていいのかもしれない。前回、東京芸術劇場で上演した『フィクション・シティー』にも、そんなテーマが込められていたそうだ。

最近は夫婦別姓についても関心があるんですけど、以前は私も疑いなく、いつか結婚したら自分の名字が変わると思って生きてきました。でも、それを「じゃあなんでなんだろう?」って一回考え直して、歴史的にみるとどうなのかとか、世界でみるとどうなのかとか、調べてみると信じていたものが、わりと曖昧だったり、適当だったりすることが分かるので、だったら自分はこのパターンで生きて行こうって思うことも出来るのかな。

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山田いわく、贅沢貧乏の演劇は「世界を捉え直すツール」でもあるという。

現在山田は『ミクスチュア』の制作にあたって家畜と人間の関係について調べている。するとこれまで意識することがなかった家畜を取り巻く問題が見えてきて、スーパーで卵や肉を買うという日常の場面においても一歩立ち止まって、考える時間ができたと話していた。

私はここ数年、知らなかったことを知るほど不幸になるような感覚があります。知らない方が楽に生きれたと思うけど、じゃあ何も知らない方がよかったのかというと、そうは思わない。でも、社会の課題について考えないといけないときに辛いと思うこともあって。ちょっと知っては絶望して、ちょっと知っては絶望してを繰り返し生きている気がします。

社会の課題について知ること、考えることは、それだけ多くの痛みに触れることでもある。「演劇やっても世界は変わらないんじゃないか」、そんな葛藤を抱えながらも、劇団の活動を続けるなかで見えてきたことがあるそうだ。

作品をつくっていると、ちょっと似たもの同士が集まってくるところがあって、「私も同じこと考えてた」って言ってくれる人がいることが嬉しいんです。なんか、連帯できるというか。「だよねー」ぐらいの感じの本当に軽い連帯です。

「だよねー」ってなったとき、独りじゃないんだって思える。共感を通して小さな連帯が生まれていく、山田が演劇をやっていてよかったと感じる瞬間だという。

社会の課題に関しても、自分が答えを持っている訳ではないから、これから一緒に考えられたらいいねくらいの感じで思っています。違和感があったことについて、こう考えたら面白いんじゃないかとか、そういうかたちでみんなの前でテーブルに持ってくることが私の役割なのかなって。

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社会の課題という一見とっつきにくいテーマについて、それを作品にする贅沢貧乏では、下町の一軒家やアパートの中に観客を招いて上演した「家プロジェクト(uchi-project)」の作品群をはじめとして、印象的な演出作品が多い。そうした独創的な演出についても、山田のこだわりと狙いがあった。

舞台が終わった後に「こういうお話だったね」って言われたくないんです。分かりやすい物語に作品を当てはめると、後で簡略化されてしまって、その後の発展性がないと思うんです。逆に「なんかよく分からなかったけど、あの場面が印象的だった」みたいな瞬間をつくれたら、その後、お客さんが考えたときに頭の中で何かつながることがあるかもしれないと思っています。

山田は、これを「シナプス演劇」と呼んでいる。シナプスがつながるように思考する体験をお客さんの脳内に引き起こす演劇という意味で、宗教史学者の中沢新一が提唱する野生的な思考方法に着想を得たという。演劇を観た後、観客が日常のなかで、一見関係がないと思っていた物事がつながる瞬間をつくるために、視覚的な印象など、感覚に訴えかける演出を日々探求している。

物語は思考が単純化しますよね。これまでいろんな物語が提供してきたステレオタイプがあって、理解出来た気になってしまっていることがたくさんある。常にそうなる危険が自分にもあるってことを自覚しながら、情報の収集、発信をするのはすごく大事だと思います。みんなそれぞれ自分のなかに植えつけられているものがあるので、それを意識しながらちょっとズラすということをやっています。

「私は」って主語をつけて生きていく

最後に山田は自身のポリシーについて語ってくれた。

「私は」っていう主語をつけて生きていくことが、生きていくうえでのテーマとしてあります。人種とか性別とか、誰かと一緒の枠にいることが安心する要素としてあると思うんですが、「私は」って主語を付けて生きていく、主張していくことが、誰かを助けることになるかもしれないし、大事なことだなって思っていて。「私はこう」「私は違う」って言える人たちに出てきてほしいなって思ってます。

中国で『みんなよるがこわい』の公演をした際に、日本語で書いた自分の脚本には主語がないことに気づかされたという。単一民族国家とよばれる、日本という島国育ちの人にとって、どこかの集団に所属していることが安心で、「私は」を主語として話すことは馴染みがない人も多いかもしれない。けれど、それはマジョリティの論理に支配されやすい危険性を持っている。「日本人は」「女性は、男性は」といった大きな主語に隠れて掲げた主張ではなく、1人1人が「私は」という等身大の主語で語れば社会の対話のかたちは少し変わっていくのかもしれない。

最近は自分がこれまでいいと思ってきたことについても「それさえも疑いたい」みたいな思いがあります。私のなかで、確固として正しいと思っていることでも間違っている可能性だってある。他人の話を聞くとか、自分のタイムライン以外の世界を見るとか。そういう努力が必要だなって思っています。自分の価値観を揺るがしていきたい。

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今日もインターネット上には絶えずさまざまな情報が渦巻き混ざり合う。何も考えずに、ただ流れる情報に身をゆだねていると、気づかないうちに他人が描いたフィクションに思考を奪われてしまいかねない。たまには、自分の見たい情報しか流れてこなくなったSNSのタイムラインから一歩踏み出して、社会について考えてみるのはどうだろうか。時には、これまで目を背けて来た不都合な真実を目の当たりにして絶望することもあるだろう。そんなときは、一息ついて贅沢貧乏の演劇に足を運べば、同じように「社会について考えること」をはじめた同志に出会えるかもしれない。自分の目で見て、頭で考えて、「私はこう思う」と対話するところから見えてくる新しい社会の姿があるんじゃないか。山田の話を聞いて、そう思った。

山田由梨

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劇作家・演出家・俳優。贅沢貧乏主宰。2012年の旗揚げ以来全ての贅沢貧乏の作品のプロデュース、舞台作品の劇作・演出を手がける。自身も役者として舞台・ドラマ・CMへ出演するほか小説の執筆やエッセイの寄稿も手がける。

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『ミクスチュア』公演情報

贅沢貧乏『ミクスチュア』

作・演出:山田由梨

音楽:金光佑実 舞台美術:山本貴愛 衣装:小髙真理(malamute)

出演:大竹このみ 田島ゆみか 青山祥子 小日向星一 中藤奨 細井じゅん 松澤傑 武井琴 浜田亜衣

会場:東京芸術劇場シアターイースト

日程:2019年9月20日(金)~9月29日(日)

talk guest

9月21日(土)18:00 『ミクスチュア』creator’s talk(山本貴愛・小高真理・金光佑実)

9月22日(日)18:00 清水文太(アーティスト・クリエイター)

9月23日(月祝)18:00 長谷川愛(アーティスト)

9月28日(土)18:00 サエボーグ(アーティスト)

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