「27歳」で人生を終えた、「若き才能」たち

2016.9.16

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若き音楽界のレジェンドらが加入している“27クラブ”をご存知だろうか?欧米では、27歳という若さで故人となった偉大なミュージシャンやアーティストたちを、“27クラブ”のメンバーだと呼んでいるのだ。そのメンバーたちの人生は、一体どんなものだったのか?

27歳までしか生きられなかった「若き天才たち」

あなたは何歳まで生きたいだろうか?「日本の平均寿命の83歳くらいまで」、それとも「その瞬間が充実していればいい」と先のことは考えていないだろうか?“27クラブ”と呼ばれる、27歳で亡くなったミュージシャンやアーティストたち。彼らの多くはドラッグやアルコールの過剰摂取により短い生涯を終えている。 その多くは60〜70年代に活躍しているが、彼らは80年代以降に名声を得たミュージシャンより相互生存率が低いという。

これについて、ある研究者は80年代以降の音楽界がそれ以前と比べて「職業化」したことを指摘している。さらに60〜70年代の才能あるミュージシャンたちが27歳で死んでいったのは、音楽活動を社会への反抗・自己主張のためにして身を削っていったからかもしれない。ここではそのようにして、若くして散った27 clubのメンバーのうち何人かを紹介したい。

カート・コバーン(ニルヴァーナ・リードシンガー)1967-1994

ニルヴァーナのリードシンガーで“グランジロック”を世に広め、楽曲だけでなくエキセントリックな言動で若者から人気を集めた。死因は、ドラッグを使用しショットガンで頭を打ち抜いた自殺だと発表されている。“大衆的成功”がもたらしたと言える彼の死がきっかけで、27歳で亡くなった者たちが注目され“27 club”と呼ばれるようになった。

ジミ・ヘンドリクス(ギタリスト・ソングライター)1942-1970

活動期間はたったの3、4年であるにも関わらず、史上最高のギターリスト、60年代カルチャーを代表する人物と称される。ロックスターにしばしばみられる、“ギターに火をつけるパフォーマンス”をはじめたのは彼だという。死因はアルコールと睡眠薬を併用した中毒と窒息だとされている。そのほかには、ローリング・ストーンズの元リーダーのブライアン・ジョーンズ、ドアーズのリードシンガーだったジム・モリソン、画家のバスキア、2011年に亡くなったシンガーソングライターのエイミー・ワインハウスなど40人ほどの才能ある若者がこの27クラブのメンバーとなっている。

社会に認められるための、唯一の手段だった「歌」

このクラブのメンバーのなかでも今もなお人々に影響を与え続けているという伝説のシンガーソングライターがいる。彼女の名はジャニス・ジョプリン(1943-1970)。ドラッグの過剰摂取により27歳で他界しているが、“ブルースの母”と呼ばれるほどの実力、そして歌に自分らしさを求めて自由奔放に生きようとした姿が人々の心を掴み続けているのだ。彼女がシンガーソングライターとして生きたのは、社会が大きく変動した60年代のアメリカだった。

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(c) 2015 by JANIS PRODUCTIONS LLC & THIRTEEN PRODUCTIONS LLC. All rights reserved.

それは若者たちがカウンターカルチャーを牽引し、社会を変えるエネルギーで満ちあふれていた頃。この時代には、ベトナム戦争に対する反戦運動や、黒人差別の撤廃と基本的人権の保障を訴えた公民権運動、女性の権利の向上を求めたウーマンリブ運動など歴史に残るムーブメントの数々が巻き起こった。この頃の音楽は「Life fit your values(自分の価値観にあった人生)」を歌い、どれだけ自己表現ができるかにかかっていたという。

「なぜ歌いたいの?」インタビューでそう問いかけられた彼女は、「なぜって、いろんな感情を経験できるからよ。仲間とお祭り騒ぎの毎日じゃ味わえない感情を知ることができる。想像力を働かせ真実を見出すの」と語っている。ジャニスは、彼女にとって「社会に認められる唯一の方法」だった歌と真っ正面から向き合っていたのだ。

「自由奔放な生き方」や「無邪気さ」の真実

ジャニスの無邪気な人柄や“自由奔放さ”が人々を虜にしてやまないが、実のところジャニスの人生は楽しいことばかりではなかった。学生時代に容姿や強い個性でいじめを受けた彼女。「ビートニク(50年代半ばにニューヨークやサンフランシスコなどの都会に現れたボヘミアンな生き方に憧れた若者たち)」に目覚め、個性を隠さなかったことも保守的なアメリカ南部に住んでいた彼女への風当たりを強くした。高校の同窓会へ報道陣とともに参加してみても、誰も彼女と話そうとしないほど孤独な学生時代を送っていたのだ。

自分の歌の才能に気づき、歌で成功してからも「自分らしさ」を追求して負った犠牲は大きかった。「ステージで歌うこと」を愛してやまなかった彼女も、ステージを降りると「気分がどん底」になってしまっていたのだ。それでも「歌」や「自分自身」に対して妥協せず、自分の心の声を聞いて感じたまま表現し続けたからこそ、彼女にしかすることのできない命を削ったようなパフォーマンスができたのかもしれない。自由奔放な振る舞いからか、ウーマンリブ運動に参加している女性たちに“女を武器にしてる”と批判されたことがあったジャニス。これに対しては、以下のように話している。

初耳だわ、私は彼女たちが理想とする自立した女よ。何を妥協したかで人の生き方は決まるわ。つまりどこで人生の線引きをしたか。皿洗いで満足の生き方もあれば妥協せず闘い続けて夢をかなえる人生だってある。私はひたすら夢を追いかけて成功を手にしたわ。何で批判されなきゃならないのよ

誰よりも「自分に素直になろうとした」ジャニスの魅力

「自分らしさ」の追求は、彼女の人生とって確実に重荷となっていた。ドラッグやアルコールを大量に摂取していたことは“ハイになって楽しむ”ためだけではなく、自分のつらさや孤独を紛らわすためでもあったことは確かだろう。自分に妥協を許さず、その反面苦しんでいた彼女の姿は、ミュージシャンたちの心に刻まれ、大きな影響を与えているのだ。

若きジャニスと演奏していたウォラー・クリーク・ボーイズのメンバーパウエル・セント・ジョンは「妥協を許さない芯の強さが魅力的だった」」と言う。かつてジャニスが参加していたサイケデリック・ロック・バンド「ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー」のメンバーは、「彼女から学んだ教訓は、自分に素直になることの大切さと自分を偽ったときの代償だ」と、コズミック・ブルース・バンド(ジャニスが一時加入していたバンド)では自分がなりたいような自分でなく、みんなの求めるジャニス・ジョプリンを演じるようになった。さぞかしつらかっただろう」と語っている。誰よりもステージに立って歌うことを愛し、誰よりも自分らしさ追求した彼女の歌は、彼女の生きた時代の雰囲気を伝えるだけではなく本当の意味で人々を魅了するのだ。

そんなジャニス・ジョプリンのドキュメンタリー映画が現在公開されている。コンサートやテレビ映像だけではなく、スタジオでのバンドとの一面やジャニスが家族や恋人に宛てた手紙の数々、彼女を知る人々へのインタビューで彼女の人生を目の当たりにできる盛りだくさんの映画だ。ビッグスターだったジャニスの「等身大」の姿を探りに、ぜひ劇場へ行ってほしい。

※動画が見られない方はこちら

『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』

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【監督】エイミー・バーグ『フロム・イーブル~バチカンを震撼させた悪魔の神父~』
【製作】アレックス・ギブニー『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』
【ナレーション】キャット・パワー
【出演】サム・アンドリュー、ピーター・アルビン、デヴィッド・ゲッツ(以上、ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー)、クリス・クリストファーソン、カントリー・ジョー・マクドナルド、ボブ・ウィアー(グレイトフル・デッド)、
デヴィッド・ドルトン(作家)、クライヴ・ディヴィス(コロンビア社長)、ディック・キャヴェット(TVタレント)、
ローラ・ジョプリン(妹)、マイケル・ジョプリン(弟)他
 
【アーカイブ映像】ジャニス・ジョプリン、オーティス・レディング、ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、ピンク他
2015年|アメリカ|カラー|DCP|103分 
原題:『JANIS:LITTLE GIRL BLUE』
サウンドトラック盤:ソニー・ミュージックインターナショナル 提供:キングレコード 配給・宣伝:ザジフィルムズ
(c) 2015 by JANIS PRODUCTIONS LLC & THIRTEEN PRODUCTIONS LLC. All rights reserved.

9月10日(土)より、シアター・イメージフォーラム他全国順次公開。

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(c) 2015 by JANIS PRODUCTIONS LLC & THIRTEEN PRODUCTIONS LLC. All rights reserved.

※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。

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