AIによる自動運転の実用化、ブロックチェーンやIoTによるデジタル革命……。近未来に起こるであろうこれらの技術革命が芽吹きつつある昨今は、まさに時代の転換期だと言える。
そんな時代の変わり目に、スマホを捨て、都会から離れ、日本で野生のトキが唯一羽ばたく、新潟県の佐渡島に移り住んだ9人の若者がいる。
彼らは、これまで世界50カ国で6,000回以上の公演を行ってきた、太鼓芸能集団「鼓童(こどう)」の研修生。
毎日5時に起き、稽古に明け暮れ、22時には床につく。身の回りの雑事はすべて自分たちで行う。世間の動向を知る情報源は新聞のみ。
このような生活を2年続けて、鼓童の正式なメンバーになれるのはたった数人。大半は夢破れて島を去るこのシビアな世界で、彼らは今日も、一心不乱にバチを振るう。
今回、Be inspired!は佐渡島での取材を敢行し、彼らの“青い声”――若さゆえの大望、先の見えない道を行く不安、親元を離れたことによる自立心の芽生え――を聞いてきた。
そしてそれらを、3つの記事に分けて紹介する。
第1弾は、前濱 純(まえはま すなお)、加藤 雄大(かとう たけひろ) 、崔 永根(ちぇ よんぐん)の3人。
前濱 純 Sunao Maehama 19歳
ー小さな頃からずっと続けてきた太鼓に懸けて、鼓童の研修所に来たと聞きました。大学への進学と迷ったようですが、結果的に鼓童を選んだのはなぜですか?
最初は進学を考えていたんです。だって“花のキャンパスライフ”なんて言うじゃないですか(笑)。でも、あるイベントで鼓童の演奏を初めて生で聴いた時に衝撃を受けて。
ー衝撃?
「すごい、私にはあんな演奏できない!」って。
ーなるほど。
悔しかったんです。差を感じて。
それで進学か鼓童かで悩んでいた時に、お母さんから「大学卒業後でも鼓童には入れるけど、あなたが一番好きな太鼓の世界で生きていきたいなら、体力的に余裕のある今の方が良いんじゃない?」って言われて……。
ー鼓童を選んだんですね。
はい。それに、もっと太鼓を世界に広めたいんです。
ーそれはなぜですか?
一度メキシコに行って、あるイベントで太鼓を叩いたことがあるんです。そしたら現地の人に、「“Japanese Drum”なら分かるけど、“WADAIKO”じゃ分からない!」って言われたんですよ。
鼓童は毎年世界を回って、いろんなところで太鼓を叩いているんですけど、まだまだ知られていないんだなって。だから私、「WADAIKO」を世界の共通言語にしたいんです。こんなに素晴らしい楽器があるんだよってことを知ってほしいんです。
ーではまず鼓童のメンバーにならないといけませんね。
はい。それもオールマイティーな奏者になりたいんです。
ーどういうことですか?
太鼓だからといって……やっぱり男の人には負けたくないです。男性的な、力強い音も叩きたい。でも反面、女性にしか出せない音、女性らしい音も魅せられるような、そんなオールマイティな奏者になりたいと思っています。
ーそう思うのはなぜでしょう。
欲張りなんでしょうね。一つに絞れないというか。
研修所に来る前は、男性に負けないようにって、大きな、力強い音を叩こうとしていたんです。でも研修所に来てからは、女性にしか出せない音もあるということを知りました。私もそんな音を出せるようになりたいなあとも思います。
でも、女性だからって、女性らしく叩くだけがすべてじゃない。そういう欲もしっかり自分の中に残っていて。
ー枠に収められたくない?
10の選択肢があったとしたら、そこに100の選択肢を見出したい(笑)。
ーなるほど(笑)。現状に満足しないんですね。
そうですね。「女性は女性らしく」ではなくて、「女性だけど〇〇」っていう。そういうところを目指したいんです。
加藤雄大 Takehiro Kato 23歳
ー就活をして内定も取っていたけど研修所に入ったんですよね。なぜ鼓童を選んだんですか?
僕は太鼓という文化をもっと広めたい、未来に残していきたいと思っています。なんでかって言うと、その可能性に魅力を感じているからです。
と言うのも、同じく伝統芸能の歌舞伎は先進的な取り組みをして、若い人にもリーチを広げていますよね。でも、それは太鼓にだってできることだと思うんです。太鼓の可能性を広げるためには、鼓童に入るのが一番だと思ったから、この研修所に入りました。
ー親を説得するために就活もしたと。
はい。内定もいただいていました。「鼓童に入りたい」とただ言うだけじゃ納得してくれないと思ったので。
それに就活以外にも、何か太鼓に関連した実績を残さないといけないと思って、いろんな大学の太鼓部を繋げて、イベントを開催したんです。そしたら運良く、そのイベントにスポンサーや協賛が付いてくれました。
それまで太鼓のイベントには大学生の部というくくりがなかったので、いろんな方に興味を持っていただけたんだと思います。
ーなるほど。いろんな努力をしてここに来たんですね。
はい。もっと言えば、イベントを開催したこの経験が僕を変えました。
文化としての太鼓を発信することや、次世代にバトンタッチしていくことについて、まだあまり手が加えられていないとこの時気づいたんです。未開拓というか。
太鼓をはじめ伝統芸能って、新しいものを拒むような傾向があるじゃないですか。あまり先進的なものを入れないとか、金銭が絡むのを嫌がるとか。太鼓を広めるためには、そこを変えないといけないと思っています。
野球選手やサッカー選手のように、太鼓奏者が子どもたちに憧れられるような職業にならないと、太鼓は文化として残っていけないと思うんです。
ープレーヤーの視点とプロデューサーの視点を併せ持ちたいと。
もちろん奏者として一人前にならないと、そんなことを言える説得力がないってことは自覚しています。
ーじゃあなんとしても鼓童のメンバーにならないといけませんが、選考から落ちた時のことは考えたりしませんか?
落ちた時のことはそこまで考えてないです。未来のことは分からないので、考えても答えは出ないし。落ちた時に考えるしかないなと思っているので。
ー前向きですね。
昔死にかけたからかもしれません。僕、小学生の頃に脳腫瘍になったことがあって、余命2ヶ月だと宣告されたことがあるんです。
ーえ、それじゃあすごい危機を乗り越えた末に今があるってことですよね?
はい。だから僕は一度死んだようなものですし、ここで結果が出なかったとしても、たった2年です。落ちたなら、落ちたところからやり直し始めればいいと思っています。
崔永根 Choi Yeonggeun 23歳
ー日本の大学に進学した時は、太鼓のことを全く知らなかったんですよね?
はい。最初は漫画家になりたくて、日本の大学に進学しました。
ーその夢が太鼓に関わることに変わったのはなぜですか?
まず日本のことを知ろうと思って、大学のサークルの体験会を回っていたんです。そこで太鼓のサークルに出会って。他にも色々と回ったんですけど、そこが一番居心地がよかったんです。それからどんどんのめり込んでいって、いつしか太鼓で生きていきたいって思うようになりました。
ーそしてついに鼓童の研修生になったと。込み入ったことを聞きますが、この決断に親はどういう反応をしましたか?
そもそも日本に行くこともすごく反対されました。
ーどうやって説得したんでしょうか。
うちの両親は公務員だから、安定した職業に就いてほしかったみたいで、漫画家になるために日本へ、なんて考えられなかったんです。ただお母さんは応援してくれました。美術の勉強ができるように手配してくれたりして。心配はしつつ、やりたいことをやらせてあげようって。
ーお父さんは?
特に反対されました。「とりあえず成人するまでは俺の言うことを聞け」と。でもちゃんと勉強して、大学に受かったから、お父さんも「結果を出したんなら頑張ってこい」と送り出してくれました。その時はまだ全面的に賛成していたわけではないんですが。
ーじゃあ今は応援してくれているんですか?
卒業前に帰国した時に、お酒を飲みながら話したんですね。そしたら「こんなに成長してくれて、親として誇らしい。日本に行かせてよかった」と言ってくれたんです。
その時に鼓童に入りたいと言ったら、「頑張ってみろ」と言ってくれました。お母さんは「いつかは帰ってきて」と。
ーそうですよね。なかなか連絡も取れないですから。
はい。ただ、実は僕、韓国が大嫌いだったんです。
ーその理由は?
何にしても雑なところや、今はそうでもなくなってきているんですが、男性は女性に奢らなければいけないとか、徴兵とか……。だから大学生まで大嫌いだったんです。友達や家族以外の韓国人は嫌い。そんな感じでした。
ー今は違うと?
はい。きっかけは韓国のとある詩人です。日本と韓国がまだ戦争をしていた時に、その詩人は日本に留学していたんですが、「なぜ祖国が独立のために戦っているのに、自分は勉強のために日本に来ているのだろう」と、彼は自己嫌悪に陥ったらしいんですね。彼の詩にはこの時の思いが込められたものがたくさんあります。
この人のことを知った時に、自分の過去を否定するべきではないのかなと思ったんです。自分が生まれて育った場所を否定してしまうことは、自分のアイデンティティを否定してしまうことだと気付いたんです。
ーなるほど。愛国心が芽生えたんですね。
はい。そして竹島問題について考えてみたんです。この問題はお互いに言い分があるし、歴史的な文献もたくさんあるけれど、いがみ合うだけではなく、もっといい解決の仕方があるんじゃないかと思って。
ーその手助けをするのが夢なんですよね。
そうです。世界ツアーで韓国に行って、自分が日本人の中に混じって、堂々と演奏をする姿を見せたらいいじゃないかと思ったんです。
日本は韓国人を受け入れて、伝統文化を共有してくれるんだという証明になればいいじゃないかと。日本と韓国は分かり合えるんだって。
単純な話ではないですが、そういうことができれば、少しずつでも、いい影響が与えられるんじゃないかと思うんです。
▶︎記事の続きはこちら
・スマホを持っていない“ミレニアル太鼓研修生”がバチを振るう理由 VOL.2
・スマホを持っていない“ミレニアル太鼓研修生”がバチを振るう理由 VOL.3
・【ギャラリー】写真家Lui Araki撮り下ろし:KODO
鼓童展覧展「青い太鼓」
鼓童展覧展「青い太鼓」が中目黒にて開催されます!
写真家 荒木塁が、実際に佐渡に足を運んで、研修生の姿を撮影した20点の写真と、9本の動画が展示されます。
日時:5/8〜5/13 11:00~18:30
場所:W+K+ Gallery
153-0051 東京都目黒区上目黒1-5-8
Google Map:https://goo.gl/maps/Yuv3bKnFrgL2
太鼓芸能集団鼓童の研修生。
彼らの音には観客もいなければ
スポットライトを浴びることもない。
あるのは己の体だけ。
しかし、自分を信じて叩き続ける彼らの太鼓は
あまりにも虚しく美しい。
これは覚悟を決めた何者でもない者たちによる
等身大のポートレイト。
「青い太鼓」
※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。