こんにちは!EVERY DENIMの山脇です。EVERY DENIMは僕と実の弟2人で立ち上げたデニムブランドで、3年間店舗を持たず全国各地でイベント販売を重ねてきました。 2018年4月からは、毎月キャンピングカーで日本中を旅しながらデニムを届け、衣食住にまつわるたくさんの生産者さんに出会い、仕事や生き方に対する想いを聞いています。
本連載ではそんな旅の中で出会う「心を満たす生産や消費のあり方」を地域で実践している人々を紹介していきます。
今回紹介したいのは、沖縄県の観光スポット「北谷(ちゃたん)」エリアでカフェ&ホステルを営む稲嶺恵斗(いなみね けいと)さん。
沖縄出身の彼は10代の頃からお店を開くことを夢見て、大学卒業後は飲食業界に携わってきました。2017年に念願のお店「AIEN Coffee and Hostel(アイエンコーヒー&ホステル。以下、アイエン)」を2人の共同創業メンバーと3人でオープン。
アイエンが沖縄という土地に果たす役割とは。その根底にある稲嶺さんの思いとは。コーヒーと宿で人の心を暖かくする素敵な場所の魅力に迫りました。
伝説の店の跡地で
アイエンが位置するのは、沖縄有数のアメリカン・カルチャーを醸し出す北谷エリア。「アメリカンビレッジ」を中心に、アメリカ西海岸の雰囲気を持つお店や建物が並び、多くの観光客が訪れている地域だ。
そんな北谷でアメリカンビレッジよりも前に創業し、数年前に地元民に惜しまれつつも閉店したスーパーがあった。「海岸倉庫」という名前のその店は、かつて沖縄で伝説的な人気を誇り、若者のデートスポットとしても定番の場所だった。
稲嶺さん自身も海岸倉庫は何度も訪れた場所だという。その跡地に2017年9月、アイエンはオープンすることになったのだ。
アイエンのコンセプトは「合縁奇縁(あいえんきえん)」。不思議な巡り合わせを縁と思うこの言葉をコンセプトにすることは、開業場所を探す前からすでに決まっていた。
「いま振り返っても一番大変だったのは最初の場所探しだった」という稲嶺さん。苦労の末巡り合った物件への縁は何より大切。再び沖縄で愛される店にしていきたいと話してくれた。
幼い頃からの夢
沖縄に生まれ、沖縄で幼少期を過ごした稲嶺さんは10代の頃から「いつかお店を持ちたい」という夢を抱いていた。
稲嶺さんがよく夢を語り合ったのは、5歳の頃からの幼馴染「アサキ」さん。彼とはいつも一緒に過ごし、未来の話をし、支えあってきた。
千葉の大学に進んだアサキさんは、東京のゲストハウスシーンが熱いことやそれが、自分たちが幼い頃から話してきてた店の構想に近いことなどいろんなことを教えてくれた。
2人で視察を兼ねて東京の店を周り続けたこともあった。その度に胸が高まった。「これをやるべきだ」と、地域に根ざし、訪れる人が土地のカルチャーに触れられるような店をいつか開くことを夢見た。
当時22歳。大学を卒業したら、すぐに開店に向けて準備を始めるつもりだった。
しかし、大学卒業と時期を同じくして家庭を持つことになった稲嶺さんは、一度その夢を忘れかける。独立に向け、修行を積むために勤めた飲食店での多忙な社会人生活と、父としての役割の両立。
気持ちがなくなったわけではないにせよ、どうしても未来を描く優先度は低くならざるを得なかった。
長い間夢を語り続けてきた2人は、いつしか1年ほど顔を合わせなくなっていた。それでもアサキさんは待ち続けた。そして稲嶺さんに声をかけ続けた。「いまが大変なのはわかるから、俺はいつまでも待つ」と。「だからいつか必ず、絶対に一緒に店をやろう」と。「その夢だけは、諦めるわけにはいかない」と。
1年ぶりにアサキと再会したとき、彼はまだ店の夢を諦めていませんでした。まだ僕を誘ってくれていた。それでハっとしたんです。何を勝手に先回りさせてたんだろうと。2人の夢だろうと。その日中に会社に辞めることを告げ、すべてが本格的に動き出しました。
「合縁奇縁」がつなぐ人
創業メンバーとしてさらに「コウタ」さんを迎え、3人で走り出したアイエンの営業。知恵も経験も豊富とは言えない彼らには、つねに考えるべき課題が山積みだった。
例えば、地域とお店とお客さんの距離感について。カフェ&ホステルとしてやっていく以上、近隣の住民でもコーヒー一杯を求め気軽に訪れられる場所にしたい。それでありながら、宿泊のために外から来るお客さんに対しては、沖縄の魅力を知るための入り口になりたい。
どちらのお客さんも大切にしたい。訪れる人にとってアイエンの提供する空間は、日常であったり、非日常であったりする。その両方に満足してもらえるようバランスを取るのは想像以上に難しい。
派手さを狙いすぎたゆえに、夜遅くまで騒ぐ場所になることで、周りで暮らす人たちの嫌がる場所になってもいけない。しかし、地元の人だけの溜まり場になって、新しい人が入りづらい場所になってもいけない。
あくまで落ち着いた沖縄の魅力の提案として、地域に暮らす人にとっても、初めて沖縄に来る人にとっても、心地よさを感じてもらえる場所であれるよう稲嶺さんはコミュニケーションを怠らない。
カフェのお客さんには、いらっしゃいませ。その奥で宿泊ゲストにはいってらっしゃい。それをどう両立させるか。一見異なる目的で来たお客さん同士を緩やかに繋ぎ合わせるために、合縁奇縁というコンセプトはとても大きな意味を持つ。
沖縄のなかでもここは地域性の高い場所。そのなかにおいても、風通しを良くしたいんです。中と外の人が楽しく会話を交わしているのを目にしたとき、ああ、良い店つくったなあを実感できるんです。
うちなんちゅとしての誇り
筆者は毎回の旅で1週間、衣食住にまつわるたくさんの生産者の方にお会いする。今回の沖縄編でもたくさんの誇りあるつくり手にお話を伺ったが、その中で、稲嶺さんが唯一、沖縄生まれの人だった。
この沖縄では、出身の人が何か新しいことを始めるのはまだまだ少ない事例だそう。
「沖縄出身であることを意識しているか」という最後の質問に、稲嶺さんはこう答えてくれた。
県外から来た人と会うと、感度も経験値も、全然違うなあと思います。僕ら本島の人間は、それを素直に学ぶべき。アイエンも外から来たたくさんの人に支えられて、これまでやってこられました。沖縄発の、一つの形として、自分がいろんな人の夢の起爆剤になりたいです。
うちなんちゅ(沖縄生まれ)の誇りは、外の人と関わることで呼び起こされ、原動力になる。稲嶺さんをリーダーとするアイエンはこれからも沖縄の地に根ざし、訪れる人に心地よい縁を結び、かけがえのない場所になってゆく。
「やってよかった、ほんとにやってよかった」。インタビューの間、稲嶺さんが何度も噛みしめるようにつぶやいたこの言葉。
何事もやってみたらわかる。意外にできることも、全くできないことも。わからないことは、やらない理由にはならない。やってみてもわからないことがあるのだから。
挑戦を繰り返し、困難を乗り越えながら成長してきた稲嶺さんの言葉は一つ一つが重く、僕の胸に飛び込んできました。
実は、僕と稲嶺さんの出会いも不思議な縁でした。旅の初日に偶然同じ場所に訪れていて、そんなことも知らずに夜、たまたま検索でヒットしたアイエンに泊まることになり、「あ、昼間の人だ!」と意気投合したことから、旅の最終日に取材をしたいという流れになったのです。
お話の最中、自分がうまく話せているかをしきりに気にされていた稲嶺さん。感性に優れた彼の言葉は、確かに、形にするのが難しく、センシティブな部分もあるのかもしれません。
だったら、稲嶺さんが語る言葉より、稲嶺さんについて語る言葉が世の中に増えればいいと思う。稲嶺さんの魅力を話せる人がたくさん現れたらいいと思う。
だから僕は、旅の最初と最後をアイエンで過ごした僕は、アイエンについて語ることを止めないのです。
稲嶺恵斗 / Keito Inamine
沖縄生まれ沖縄育ち。大学卒業後、飲食店の立ち上げ経験を経て2017年に「AIEN Coffee and Hostel」をオープン。「合縁奇縁」をコンセプトに、訪れる人にとって心地の良い空間を提供している。