2021年7月10日に東海林毅(しょうじ つよし)監督による短編映画『片袖の魚』(かたそでのさかな)が公開される。原案となった詩人・文月悠光(ふづき ゆみ)の同名の詩を、「自分を不完全な存在と思い込み、自信を持てないまま社会生活を送るひとりのトランス女性が新たな一歩を踏み出そうとする物語」として丁寧に脚本・映像化したものだ。主演に選ばれたのは、ファッションモデルをはじめ多才な表現者として活躍するイシヅカユウ。ミュージックビデオやテレビCMに出演し、テレビ番組のMC役を務めるなど活動の場を広げているイシヅカにとっても、映画への主演は今回が初となる。
レインボーリール東京や上海クィア映画祭で最高賞を獲得し国内外の高い評価を受ける監督が、本作では日本で初めてトランスジェンダー*1役を演じる当事者の女性を公募し、そこで選ばれたのがイシヅカだった。映画の公開に合わせ、彼女の内面から滲み出る表現者としての確固たる姿勢がいかにして培われたのか、そして本作で俳優としてどのように一人の人物を描き出したのか話を聞いた。
(*1)出生時に割り当てられた性別や、社会的に求められる性別表現・性役割などに違和感を抱く人を広くいう。それぞれが自認する性別・選択する性別表現は多様である。違和感を持ち続ける人もいればそうでない人もおり、性転換やホルモン治療などで身体的な性別を変える人もいれば、それを選択しない・望まない人もいる。
自分のなかにあるものとリンクさせて表現する
静岡県の浜松市で生まれ育ったイシヅカユウは物心のついた頃から何かを作ったり描いたり、声や体を使って表現したりすることが好きだった。海洋生物が豊富に生息する場所柄に影響を受けたのか魚が大好きで、紙をコラージュして水族館を作ることもあったという。通っていた高校で自ら選択して受講した身体表現や音声表現といったパフォーマンスを学ぶ授業は、偶然なのか必然なのか彼女にとってモデルや役者として表現するうえでの土台となっている。
「歩き方にも自分の癖ってあるじゃないですか、それをニュートラルにする訓練をそこで行ったのをモデルを始めたときにすごく思い出して。あと映画のなかで詩の朗読をさせてもらったんですけど、やっぱり音声表現の授業がとっても役に立ちましたね」
ファッションも幼少から愛好し、家庭の事情で服飾の専門学校を中退したのちも、地元の浜松で頻繁に頼まれていたヘアモデルの仕事からファッションに携わるイシヅカユウとしてのキャリアが始まった。そんなイシヅカにとってモデルを中心とする表現は全て、自身が作っているメディアアート作品なのだという。表現者の仕事は、服を身に纏ったり求められる演技をしたりすることに留まらない。アパレルブランドなら服が内包するデザイナーの考えに、映像作品なら監督がスクリーンに映したい情景に忠実でありながらも、それらを自分の内面に存在するものと繋ぎ合わせている。そうして、あらゆる表現が人体の組織のように自身の上に重なり蓄積されていくのだとイシヅカは話す。
「自分のなかにあるものと仕事で表現しなくてはならないことをうまくリンクさせないとちゃんと成り立たないのですよね。だから例えば、モデルって服をよく見せることだけが仕事って思っている人もいるかもしれないけど、表現が全く自分のものじゃないかっていうと、そうではないですね」
そして彼女は、個人がSNSのようなツールを使って発信できる現代に生きる表現者として、Twitterなどにおいても自分自身の“拡張”から生み出す表現を楽しんでいる。ブランドなど他者との作品で作り上げたイメージを固定することなく、個人的な一面が垣間見られる発信でフォロワーを惹きつける現代的なモデルのあり方の一端を見せているのだ。
「最初はもっとTwitterでもモデルとしてのイメージを守ろうとしてすごく書くことなどを精査していたんですけど、それは今っぽくないなと思って。できあがったイメージを守るわけでもなく、私のイメージは私がコントロールして作っていく。そこに自分自身が出ちゃってもいいし。ちょっと言い訳になるかもしれないけれど割と自由につぶやいていますね」
どういう形でもいいから関わりたかった
初主演の短編映画『片袖の魚』にはどんな思いで挑んだのだろうか。東海林監督はトランスジェンダーの役を当事者に演じさせたことについて、役と役者の属性を一致させるべきだという立場ではないが、トランスジェンダー俳優の活躍できる土壌が狭く、当事者の現状に即さない表象が流布する現状を変えるために必要な選択だと話している。監督と同様で、役の属性が役者の属性と一致していなければならないという考えはイシヅカにはない。だが彼女にとっても、潜在能力があるにもかかわらず道が閉ざされているトランスジェンダーの俳優を取り巻く現状のなかで、当事者をオーディションで募集した監督の姿勢に共感し、嬉しさを感じたという。
「こういう企画があると聞いたときに私は演技経験がないから主役には選ばれないだろうと正直なところ思っていて、でもどういう形でもいいから関わりたいなという気持ちで応募しました」
イシヅカが選ばれたのは主役だった。脚本を読み込み、演じるなかで見えた主人公ひかりとの共通点は、ともに魚が大好きだということ。魚や水槽を扱う会社で勤務する設定だ。ひかりならどうやって歩くのか、モデルをするときの自身と比べながら考えた。
「ひかりとは、もちろんトランスジェンダー当事者として似ている部分があるとは思ったのですが、悩みを抱えていても全く状況が違うのでそこは正直むしろ自分とは違うなって思いましたし、性格も私のほうがあんまり気にしないところがある。でもこれはオーディションの時点では知らなかったんですけど、ひかりは魚がすごく好きで、私も物心ついたときから好きでそれは本当にたまたまだったんですけど、一番の共通点でしたね。演技については、ひかりはどうやって歩くのかというところから考えました。普通に歩くって言っても、私がやるとすごく自信があるように見えちゃうんですよね。ファッションモデルの動きって割とそうじゃないですか。道を歩いている人を観察しながらそういうことを考えて演技に臨みました」
監督が作品にイシヅカの視点を生かそうと本人の話を積極的に聞き、脚本に修正を加えることもあった。さらに脚本でひかり役の発言を空欄にし、イシヅカならどう反応し言葉を発するかを取り入れた場面もある。そのようにしてイシヅカユウという存在が作中に溶け込み、一体化して新たな映像作品が生まれた。彼女の存在がなければ成立しなかったような世界が紡ぎ出されている。
「俳優業を私自身これから頑張っていきたいという気持ちがあるけれど、それよりももっとのちに続く人たちに一つの道が開きやすくなったらいいなっていうふうにも今考えています」
「完全になりたい」という感情
自分に自信がなく、他人の心ない発言に傷つけられる日々を送りながら、自らの足で一歩を踏み出そうとする主人公を演じたイシヅカ。彼女が息を吹き込んだ人物ひかりには自分の存在を“完全なもの”とどうしても思えない場面があった。作中では波打つ音のような効果音が用いられ、その心情が印象的に、そして丁寧に描かれている。一人の人間の葛藤を描いた映画のテーマに合わせ、彼女にも似たような感情を抱いたことがあるか思い切って質問した。
「人魚姫の物語にすごく共感を覚えていた時期があって、今でも好きなんですけど、それって多分深層心理でやっぱり自分は不完全で『完全になりたい』っていう感情があったのかもしれないですね」
イシヅカにも自分がどこにいるか分からず、社会のどこに身を置いたらいいか分からない“中途半端な存在”のように感じていた時期がある。だが他人にどう思われようと、存在しているだけでそこに「いる」ということは確実で、それに優劣はないと思えるようになると、自己認識が少しずつ変わっていった。
「正直今でも、そういうジェンダーのことを抜きにしても社会のなかに自分が本当にいていい人間なのかどうかっていうのは分からないんですけど、でも『いていいか』っていうことじゃなくて、存在している時点で『いる』んですよね。それをしょうがないじゃんっていうふうに思うというか(笑)。悩んでいるときには簡単に思えることじゃないですけど、自分がいていいかどうかっていうのは、そもそも人がジャッジすることじゃない。そういうふうに考えれらるようになると、ちょっと楽になったかな」
確固たるものがあるからこそ、流動性を大切に生きる
主演に選ばれた映画に真摯に向き合い、自らの表現の幅を広さをみせたイシヅカユウ。今後はどのような表現に携わりたいか尋ねると「求めてもらえるなら、もらったことをなるべく全部やっていきたい」と答えた。
表現者としての自身の核となるものがあるからこそ、そんな考えにたどり着いた。ファッション、詩、映画、ドラマなど、身体を使って彼女から生み出される数々の作品のおおもとにあるのは、服の好みや髪型、化粧を含む変わらない彼女のスタイル。映画も、好きになれば一つの作品を10回も鑑賞する。そうした確固たる自身の世界を醸成したゆえに、他者との交わりから生まれる新たなアウトプットを求めているのだ。彼女に言わせれば、人は個々の核さえあれば、いくら変化したとしても芯は変わらず、いつかそこへ回帰する。
「自分の人生の流動性をすごく大事にしたいなって思っていて。どれだけブレても、意外とその人の本質の部分はその人ではあり続けるわけですから。同じ人生を生きているから、また戻ってくることもできるじゃない。そういうのが楽しみだし、自分がいろんなことをやってみてどう変わるかっていうのを見てみたいですね」
『片袖の魚』
原案:文月悠光 「片袖の魚」 (『わたしたちの猫』ナナロク社刊)
プロデューサー・脚本・監督:東海林毅
撮影:神田創 照明:丸山和志 録音・音響効果:佐々井宏太
美術:羽賀香織 衣装:鎌田歩(DEXI) ヘアメイク:東村忠明
編集・VFX:東海林毅 制作:清水純 牛丸亮 助監督:小池匠
ヘアメイク応援:関東沙織 瀬川那弥 現場応援:北林佑基 制作応援:海上操子
音楽:尾嶋優
主題歌「RED FISH」
作詞:文月悠光 作曲:尾嶋優 歌:Miyna Usui
宣伝スチル:向後真孝 ビジュアルデザイン:東かほり 配給協力・宣伝:contrail
製作・配給:みのむしフィルム
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