2026年7月10日(金)、孫明雅(そんみょんあ)監督の長編デビュー作『トロフィー』が、テアトル新宿ほか全国の劇場で順次公開される。上映時間は102分。第30回富川国際ファンタスティック映画祭(BIFAN)のFanta Scape部門にも正式招待され、韓国でワールドプレミアを迎えたほか、今冬には韓国での劇場公開も予定されている。

物語の主人公は、朝鮮学校に通う在日コリアンの14歳の少女・ソヒ。K-POPアイドルのコンサートに行くため、友人の未来(みらい)と家にある不用品をフリマサイトに出品していたソヒは、父が祖国・北朝鮮から授与された勲章まで売ってしまう。少女にとってはライブへ行くためのお金であり、父にとっては朝鮮学校の教員として重ねてきた時間の証。同じ物にまったく異なる価値が宿るところから、父と娘、そしてソヒ自身のルーツをめぐる物語が動き出す。
今回、孫監督と対談したのは、かつてテレビの制作現場で同じ番組に携わっていたディレクターの上出遼平(かみでりょうへい)。二人は元同僚であり、ともに「数字になるもの」を追いかけるテレビ制作の構造を目の当たりにしてきた。だからこそ話は、映画の設定や演出だけにとどまらない。朝鮮舞踊を自分たちはどう見てきたのか。朝鮮学校や在日コリアンについて、どれだけ知らないまま語ってきたのか。メディアは何を“事件”として切り取り、消費してきたのか。『トロフィー』をめぐる二人の対話は、映画を作る側だけでなく、見る側のまなざしを問い直す時間となった。

朝鮮舞踊を見て「孫ちゃんに怒られている」と思った
NEUT:まず上出さんは『トロフィー』をご覧になって、どの場面がいちばん印象に残りましたか。
上出遼平(以下、上出):強く印象に残っているのは、朝鮮舞踊の場面ですね。映画の中でかなり尺を使っていたじゃないですか。でも僕にとって朝鮮舞踊は、これまでほとんどネガティブなニュースに付随する映像としてしか見てこなかったんです。ミサイルのニュースの背景で流れる映像や、拉致問題と一緒に出てくる映像。朝鮮舞踊という名前すら知らなかったけれど、「ああいう踊り=北朝鮮、ミサイル、危険」というふうに、ごちゃごちゃに結びつけて見てしまっていた。
だから映画を観ながら、「なんで俺はこんな変な気持ちになるんだろう」と思ったんです。主人公・ソヒの日本人の親友である未来が、「未来は朝鮮舞踊の映像を見てどう思っているの?」と問われても、答えられない場面がありますよね。僕も答えられないと思った。そういう意味で、未来と自分はまったく同じだと思いました。
孫明雅(以下、孫):そういう報道と一緒に見てきたからね。

上出:そう。朝鮮舞踊を最初から拉致問題と一緒に与えられてきたから、そうではない見方をしたことがない。他で見る機会もなかった。だから映画を観ながら、「あ、孫ちゃんに怒られているわ」と思いました。
NEUT:孫監督は、その感想をどう受け止めましたか。
孫:この映画を一回見ただけでそこまで汲み取ってくれたのはすごい。「自分もそういう見方をしていたのかもしれない」と考えたり、思い出したりしてもらえること。あるいは、朝鮮学校ってどんなところなんだろう、どういう子たちが通っているんだろうと思ってもらえること。それがあればいいなと思って、この映画を作りました。

主人公を14歳の少女にした理由
NEUT:この物語を14歳のソヒの視点で描こうと思った理由を教えてください。
孫:最初は高校生で考えていたんです。ソヒと未来のオーディションも、最初は高校生でやりました。でも高校生でやってみると、かなり大人っぽかったんですよね。「勲章を売ってはいけない」という分別が、すでにあるように見えたんです。
脚本がだいたいできた段階でオーディションをしていたんですけど、中学生でやり直したら、子どもと大人の間のちょうどいい塩梅がありました。無邪気さもあるけれど、何もわかっていない子どもでもない。だから中学生にしました。

NEUT:主人公を在日コリアンの女の子にするのか、日本人側の未来にするのか、初期には議論もあったそうですね。
孫:ありました。でも自分が描くなら、自分のアイデンティティに近いソヒの側から描く方がいいと思ったんです。ただ、自分の経験をそのまま重ねるのではなく、一歩引いて、登場人物それぞれの立場や感情が見えるようにすることを意識しました。
NEUT:配役はどのように決めていったんですか。
孫:最初はソヒと未来を一緒にオーディションしていました。ソヒ役の恒那さんも、在日コリアンのルーツを持つ俳優です。ソヒは子どもと大人の間にいる人物なので、その感じが必要でした。
NEUT:K-POPやフリマサイト、友人関係といった今の少女の日常の中に、父の勲章という歴史を感じさせるものが出てきます。この組み合わせは、どのように生まれたのでしょうか。
孫:勲章を売るという出来事自体はフィクションです。ただ、私自身も朝鮮学校に通っていましたし、母親が朝鮮学校の先生だったので、勲章は身近にありました。自分の親も持っています。
K-POPアイドルのコンサートに行きたいという現在の少女の欲望と、父が北朝鮮から授与された勲章を組み合わせることで、日本での北朝鮮と韓国に対するイメージの差がはっきり現れると思ったんです。まさに今の日本社会の背景を取り入れるために、そのような設定にしました。

NEUT:勲章は、監督にとってどんな意味を持つものだったのでしょうか。
孫:現役の先生に取材した時に、勲章って貰って嬉しいものなのか聞いてみたんです。正直、大事にしている度合いは個人によって違いました。ただ、高値がつくからってネットで売って自分の利益にするのは筋違い。それは、自分の頑張りを認めてくれたことに対しての裏切り行為のようなものだから。私個人は親が持っている勲章に対して何の思い入れもありませんが、親がそういう風に思っているものを簡単に扱ってはいけないなと思います。
NEUT:ソヒにとって勲章はライブに行くためのお金に換えられるものだけれど、父にとっては記憶や誇りでもある。同じ物が、人によってまったく違う価値を持つことを、どのように描こうとしましたか。
孫:娘のソヒにとっては、勲章が父にとって何なのか最初は全く分からない。でも勲章を売ってしまったことがきっかけで、父にとっての勲章が、自分にとっての何に値するのか段々分かるようになっていく。そういう物語の設計にしたつもりです。

自分の記憶を「ソヒの物語」にする距離感
NEUT:監督ご自身に近い経験や記憶も、この作品の出発点にあったと思います。それを「自分の話」としてではなく、「ソヒの物語」として描くために、どんな距離感を意識しましたか。
孫:私は大阪のコリアンタウン、鶴橋出身で、高校まで朝鮮学校に通っていました。母親が朝鮮学校の先生だったことも、映画に近い設定です。でも私は、母親が朝鮮学校の先生だったにもかかわらず、その仕事を応援できなかったんです。
母親の仕事が忙しすぎて、家庭のことは二の次になっていました。子どもの頃は「家族より大事な朝鮮学校って何なの?」と思ってしまった。だから最初は、朝鮮学校や朝鮮総連(在日本朝鮮人総聯合会)を強く批判する脚本を書いていました。
でも、卒業してから15年くらい経っていたので、今の状況も取材しないといけないと思って、学校に行ったんです。先生たちがどういう思いで働いているのかを聞いていくうちに、その先生たちの声を通して、母親が当時思っていたことを聞いたような気がしました。そこから脚本の後半がかなり変わっていきました。
NEUT:取材を重ねることで、監督自身の母親への見方も変わり、それが脚本の変化につながったんですね。ご自身の記憶に近いものが、だんだんソヒという人物の物語になっていく感覚はありましたか。
孫:ありました。前半のソヒは、書き始めた時の自分に近いと思います。母親や朝鮮学校に対しての怒りや、朝鮮学校の教師として働くことへの理解できなさを抱えている。でも後半は、自分もソヒと一緒に理解していくような感覚でした。



NEUT:『パッチギ!』や『GO』など、在日コリアンを描いた過去の映画では、恋愛が大きな軸になっています。一方、本作では女の子同士の友情が中心です。
孫:恋愛を描こうとしても、あまり筆が進まなかったんです。中学高校の時は、本当に恋愛より友だちとキャッキャすることしか考えていなかったので、そっちの方が書きやすかった。友情でも恋愛感情でもよかったのかもしれませんが、自分には友情の方が描きやすかったんだと思います。
NEUT:子どもの頃に、未来のような日本人の友だちはいましたか。
孫:いないです。小中高は、ほぼ同じメンバーで来ているので。日本の大学に進んで、そこで初めて日本人の友だちができました。
NEUT:監督助手を務めた西川美和監督からは、「あなたの中にある“爆弾”を作品にしてみたら?」と言われたそうですね。その“爆弾”を映画にすることに、怖さはありましたか。
孫:ありました。できるだけ避けたいテーマではあったんです。自分の中で、あまり向き合いたくないテーマでした。
西川さんの監督助手をしていた時は、長い時間を一緒に過ごすので、いろいろな身の上話をします。その時に、母親の話をしました。それは悩みでもあるし、怒りでもある。でも西川さんに、「それはあなたにしかないものだから、書いてみたら」と言われたんです。
脚本は序盤から母親に見せていました。最初は「こんなの映画にしないでくれ」と言われていたんですけど、最後の方には「日本の人に見てもらうにはいいんじゃないか」となって。上映を見終わった後は、「いいやん」という反応でした。でも、身内や在日に留まらず、企画した時から日本の方に見てもらいたい作品を目指してきました。朝鮮学校を知ってもらうきっかけを作りたかったんです。

朝鮮舞踊を「喜び組」として見ないために
NEUT:朝鮮舞踊を物語の中心に置いた理由を教えてください。
孫:私は朝鮮舞踊をやっていたわけではないんです。でも見るのが好きで、入りたかったんですよね。同級生が踊っていた作品がYouTubeに上がっていないかなと思って見ていたら、「喜び組マジでかわいそう」みたいなコメントがありました。
自分が通っていた頃の舞踊部は、本当に可愛い子が入る、いわゆる花形だったんです。モテるし、背筋もいいし、勉強もできる、という感じだった。だから外からの見られ方とあまりにも違うなと思いました。題材としても、動きがあるので映画的にいいと思ったんです。
上出:僕もそこを考えました。朝鮮舞踊って、笑顔の印象が強いじゃないですか。ニュースで扱われる時も、すごく笑顔の瞬間が切り取られている。だから「これはやらされているんだ」と思ってしまう。
でも最後にフル尺で見ると、笑顔ではない瞬間もある。僕は最初、映画がその体験を観客に与えようとしているのかなと思いました。最後に「あ、そうじゃないんだ」と思わせるために、途中まで笑顔を強く見せているのかなと。
孫:それはあります。でも、少し違う意味かもしれません。最初と最後で、あの笑顔が違うように見えればいいなと思いました。

NEUT:彼女の物語を見た後に、同じ笑顔でも「喜び組」とは違う印象を残したかった。
孫:そうです。
NEUT:「踊る」といった身体を使う行為には、その人が生きてきた環境や感情が表れることがあると思います。
孫:言葉で説明するというより、ソヒが何を受け入れ、何をまだ受け入れられないのかが、身体に出ればいいと思っていました。朝鮮舞踊は、伝統やコミュニティのものでもあるけれど、ソヒにとっては自分が取り組んでいる部活であり、友だちとの関係であり、父親への理解を表すものでもある。そのいろいろな意味が重なる踊りにしたかったんです。
上出:僕は、最後に彼女が朝鮮舞踊をきちんとやりきることを、単純な勝利ではなく、受け入れることとして見ました。与えられた役や場所の中で、自分を存在させるというか。大人になっていくとは、そういうことなのかもしれないと感じました。

鶴橋という、ディープながらも家族のようにつながるコミュニティ
NEUT:鶴橋の在日コリアンのコミュニティは、どんなところですか。
孫:特殊な場所です。4人に1人は在日と言われています。日本国籍の在日もいたりするので実際はもっと多いかもしれません。私が学生の頃は民族衣装のチマ・チョゴリを着て通学していても、別に特別なことではなかった。コミュニティの中にいると、差別はあまり感じない。
NEUT:映画に出てくる商店のような場所も、実際にあったんですね。
孫:ありました。自営業の家庭が多く、何かしら店を持っている。そこに行ったら同級生の親が店をやっているから、「バイバイ」みたいな。映画に出てきた丸萬商店のような場所もありました。実際に友だちの親のお店で食材を買ったり、私が子どもの頃はよくお菓子をもらったりしていました。
上出:なんで自営業が多いんだろう。
孫:昔は就職差別があって、大企業に入りにくかったんだと思います。そうなると、在日コリアンのコミュニティの中の組織に入るか、自分で焼肉屋やパチンコ屋を始める人が多くなる。
上出:東京で地域性や横のつながりがなくなっていくのは、みんなサラリーマンで、家には寝るために帰るような生活だからだと思うんです。地域の中に経済活動がなければ、助け合いが必要になる場面も少ない。そう考えると、大企業に属さない、あるいは属せない人たちが集まることで、地域の力がむしろ強くなるのかもしれない。もちろん良し悪しはあって、しがらみも同じだけあるだろうけれど、コミュニティの力を感じます。

K-POPは近く、北朝鮮は遠い
NEUT:韓国のメディアで告知してもらった時、大きな反応もあったそうですね。
孫:韓国での反応は意外でした。日本で告知した時と比べて、SNSの反応が10倍くらいあったんです。K-POPアイドルのコンサートに行きたくて北朝鮮の勲章を売る、という設定がキャッチーだったのだと思います。韓国でもファンの方の多い井浦新さんと笠松将さんが出演していることも、関心を底上げしてくれたのかもしれません。
上出:韓国の人から見たら、どう見えるんだろう。
孫:反応は分かれています。右派的な立場の人からは、「親はひどいけれど、娘はよく育った」というような反応もありました。一方で、それに対して、朝鮮学校がなぜできたのか、その歴史から反論する人もいる。結構分かれていますね。
NEUT:日本の若い人にも見てほしいですか。
孫:見てほしいです。K-POPやBTSなど、韓国は好きだけど、北朝鮮の話になると触れにくい、ということもあるので。
朝鮮学校の子も、日本の学校との交流会で気まずさを感じることが多いみたいなんです。K-POPの会話は盛り上がるけれど、あえて北朝鮮の話には触れない。人数が少ないため、日本の学校と合同でバスケットボール部のチームを組み、すごく仲良くなることもあるそうです。でも、相手は北朝鮮の話をあまり聞いてこない。こっちもどんな反応が返ってくるかわからないから、言わないし、触れない。
上出:テレビをやっていた時、北朝鮮に関する話題はすごく数字になると言われていました。知らないから見たいんですね。自分は関わりたくない。でも、テレビでは見たい。

数字になるものを追った、二人のテレビ時代
NEUT:お二人の関係についても聞かせてください。元同僚なんですよね。
上出:僕がテレビ東京で働いていた時に、僕たちは同じ番組を制作していました。僕が立ち上げからいて、孫ちゃんは途中から制作チームに入ってきた。海外に住む日本人を取材する番組です。極めてナショナリスティックな番組(笑)。
孫:そのナショナリズムに加担しているという意識はあった?
上出:うーん。でも、ナショナリズム自体が悪というわけではないじゃないですか。あまり知られていない土地で日本人が頑張っていることを紹介しましょう、という番組であった。なぜそれが数字を取るかというと、日本人が自信を失っていたから、ということに他ならないと思います。
孫:日本の委任統治下にあったパラオや、日本軍の占領下で日本語教育が行われたフィリピンなどを取材していたじゃないですか。そこで日本を肯定的に語るインタビューを、無理やり撮ってきたりしていた。
上出:そう。そういう小さなところで、非常に危ういことが行われていた。今だったらもっと気づけたと思うし、当時も気づく部分はあったけれど、もっと胸を痛めていたと思います。でも、アシスタントディレクターの立場では番組の内容に口を出せないし、それ以上に自分の労働環境も過酷で、目の前にもっとつらい状況がたくさんあった。どう生き抜くか、という感じでした。
孫:飛んでたよね(笑)。
上出:飛んでた、飛んでた。本当に耐えられなくなって、御成門の編集所から、編集所のスリッパのまま新幹線に乗って京都まで行きました。「もう無理です」って。本当に修羅の国みたいな現場だったよね(笑)。
NEUT:孫さんは、その頃からテレビ業界に対して思うことがあったんですか。
孫:思っていました。企画を通す時に、「なぜその人がそこに住んでいるのか」を説明するため、その人がどれだけ苦労しているかを探さないといけなかったんです。周りの人が亡くなっている、離婚している、病気をしている。そういう“ネタ”を探さないと企画が通らない。後輩が「孫さん、リサーチしてきました。人が死んでいました」と喜んで来た時には、もう、どうしようと思いました。
上出:確かにそうなんだけど、今の番組や映画も、根本的な作り方はそれほど変わっていないと思うんです。違うのは、見せ方が洗練されていることくらいかもしれない。たとえば『トロフィー』にも、「娘が父親の物を勝手に売る」という出来事がある。僕らが作っていた番組も、結局はそうした“事件”を扱うことで、人の関心を引いていた。いつの時代も、事件をコンテンツにする構造自体は変わらず、その見せ方だけがうまくなっているんだと思います。
孫:ただ、今と当時では大きく違うこともあります。今は、その表現によって傷つく人がいるかもしれないと、立ち止まって考えていい。たとえば、勲章を売るという出来事が当事者にどんな影響を与えるのか、慎重に考え、話し合うことができる。それだけでも、当時とはだいぶ違います。当時は、そういうことを考え始めたら仕事が進まない、という空気がありました。
上出:企業の歯車として、どれだけ優秀な歯車か。それだけが問われる場所だったんだと思います。

「帰ればいいじゃん」という言葉を、映画に入れた理由
孫:当時の会話ですごく覚えていることがあるんです。番組の収録前の打ち合わせで、上出さんとしゃべっていて。たぶん、私が「親が朝鮮学校の先生で、こういう思想の人間なんだ」という話をしたんです。その時に上出さんが、「日本が嫌なら、もう帰ればいいじゃん」って言ったんです。
でも、MCたちが来るタイミングでもあったから、もう説明できない。そういうことって、上出さんじゃなくても言われるんです。日本の過去の加害について話し、自分たちの権利を主張すると、「そんなに言うなら帰ればいいじゃん」となる。だから、その言葉を今回、脚本に入れました。ソヒが父に言っている言葉です。
上出:その時のことはあまり覚えていないですが、もしかしたら、孫ちゃん自身が親を批判的に話していたから、共感する意味で「帰ったらいいのにね」と言ったのかもしれない。
孫:たぶん、そうだと思う。私が親のことを批判的に言っていたんだと思う。
NEUT:共感のつもりで言ったけれど、当事者ではない日本人が言うと、意味が変わってしまう。
孫:前提も学んできたことも違うので、短い雑談の中では説明しきれませんでした。
上出:やっぱり「帰ればいいじゃん」という話は、申し訳なかったと思います。当時の文脈をすべて覚えているわけではないけれど、その言葉が孫ちゃんにどう響くのかを想像するための前提が、自分にはなかった。あの時は、ごめんなさい。
孫: 上出さんだけではなく、そういう言葉は何度も言われてきました。でも、今こうして話せていること自体が大きいと思います。
NEUT:上出さんは、孫監督のように自分に近いテーマを描く作り手の距離感を、どうご覧になりましたか。
上出:僕は初稿の脚本も読んでいるんですけど、完成作とは全然違いました。最初はもっと朝鮮学校が“ヤバい場所”に見えていた。完成作は、だいぶまろやかになっていたと思います。
たぶん、僕が読んだ脚本の方が、日本の観客にはわかりやすいと思うんです。朝鮮学校という場所は独裁的で、エクストリームな場所らしい。そこにいる人たちはすごく苦労しているらしい。その方が単純な構図として受け取られやすい。でも完成作は、そうではなくなっていた。それがきっと今の現実なんだと思うし、「そうしないんだな」と思いました。それは信頼に値する。
テレビをやっていると、何をすれば数字が取れるのか、その感覚が痛いほど身についてしまうんです。組織の歯車でいるうちは、求められるままにやらされる。でも、自分で音頭を取れる立場になれば、「やらない」という選択ができる。それはすごく嬉しいことですよね。
NEUT:お二人がこうして対談することは、10年前には考えられなかったですか。
孫:考えられないですね。
上出:本当にあのタイミングでテレビを辞めてよかったよね。同じ時期に同じ世界にいた人の中で、孫ちゃんは英断をした人だと、誇らしく思います。

見る側に残される問い
映画『トロフィー』は、在日コリアンの少女の物語であり、父と娘の物語であり、友情の物語でもある。同時にそれは、見る側の物語でもある。
朝鮮舞踊を、自分はどう見てきたのか。北朝鮮という言葉に、何を重ねてきたのか。朝鮮学校や在日コリアンについて、どれだけ知らないまま語ってきたのか。そして、メディアの中で「数字になるもの」を追いかけるうちに、何を見落としてきたのか。
父にとっての勲章。ソヒにとってのトロフィー。観客にとっての『トロフィー』は、自分の中にある“見方”を問い直すための、ひとつの形なのかもしれない。

映画『トロフィー』
2026/07/10より全国公開
〈Story〉
在日コリアンのルーツを持つ14歳の少女・ソヒ(恒那)は、朝鮮学校に通い、部活で朝鮮舞踊に打ち込む日々を送っている。ある日、日本学校との交流会 で日本人の未来(梨里花)とK-POP好きという共通点で仲良くなり、ソヒは少しずつ外の世界と繋がりを持っていく。そんな中、ふたりは推しのK-POPアイドル のライブチケット代を稼ぐために、ソヒの家にある不用品をフリマサイトで売ることに。そこで意外にも高値で売れたのは、朝鮮学校の校⻑である父・サンジュ(井 浦新)が持っていた一枚の北朝鮮のCDだった。それに味をしめたソヒたちは、サンジュが祖国・北朝鮮から授与された”勲章”までも売ってしまうー。
監督・脚本:孫 明雅
キャスト:恒那 / 梨里花 / 原田花埜 / 禾本珠彩 / 千就 / ちすん / 笠松将 / ソウジ・アライ / 黒田大輔 / 山中崇 / 白川和子 / YOU / きたろう / 市川実和子 / 井浦新
音楽:Yonrimog
音楽プロデューサー:本谷侑紀
撮影:山崎裕
照明:山本浩資
録音:島津未来介
美術:徐賢先 大原清孝
衣裳:小林身和子
メイク:知野香那子
助監督:⻆屋拓海 中島 将 石井 翔
制作担当:井上純平
キャスティング:田端利江 山下葉子
編集:小原聡子
製作:紀伊宗之
プロデューサー:小出大樹
ラインプロデューサー:村岡伸一郎
製作・配給:K2 Pictures
企画・分福・制作プロダクション:K2 Pictures Production
©2026 K2 Pictures
孫 明雅(そんみょんあ)
1989年、大阪出身。在日コリアン3世。関西大学卒業後、テレビの制作会社に勤務。2017年より分福に所属。
西川美和監督の『すばらしき世界』、是枝裕和監督の『ベイビー・ブローカー』で監督助手を務めた。
そして初監督作品である短編映画『夢のつづき』がショートショートフィルムフェスティバル&アジア2025秋の国際映画祭で上映された。