日本人初、高校卒業後すぐにMITメディアラボの研究者となった片野晃輔(22)に聞く、「自分のやりたいことの見つけ方」|草野絵美とスーパーティーンの「わかってくれない親の口説き方講座」#007

Text: Shiori Kirigaya

Photography: Ahida Agirre unless otherwise stated.

2020.1.21

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現在7歳の息子の子育てをしているアーティスト草野絵美(くさの えみ)が、多方面で頭角を現した2000年代生まれのティーンエイジャーに、「自分の好きなことをどう見つけて、それをどのようにして突き詰めたのか」のストーリーを聞いていく連載 草野絵美とスーパーティーンの「わかってくれない親の口説き方講座」

最終回の今回は、1997年生まれの22歳でティーンではないものの、彼との出会いが本連載を始めるきっかけとなったといっても過言ではないくらい草野にとって大きな存在である“ワイルドサイエンティスト”こと片野晃輔(かたの こうすけ)と草野が特別に対談した。

片野晃輔は、既存のレールに乗らない科学者である自らを“ワイルドサイエンティスト”と呼ぶ。母親の乳がん罹患を機に生物学の道を志した彼は、高校卒業後に大学教育を受けるのではなく自由に研究するべくさまざまな研究機関と連絡を取り、MIT Media Lab(マサチューセッツ工科大学のメディアラボ)で研究活動を行った。現在は「生物学研究の民主化」を掲げた研究ツールの開発に尽力している。

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左から草野絵美、片野晃輔

草野絵美は90年生まれ、80年代育ちで歌謡エレクトロユニット「Satelite Young(サテライトヤング)」主宰・ボーカルで、現在2012年生まれの息子を子育て中。自身が10代の頃は、国内外で多様なカルチャーに触れ、ファッションフォトグラファーとして活動していた。

▶️彼女の10代の頃についてはこちら

TSUTAYAでカルチャーを知った幼稚園児

草野絵美(以下、絵美):片野くんが今日着ているパーカー、「humble(謙虚)」って書いてあるんだね。すごいいいね(笑)

片野晃輔(以下、晃輔):謙虚にいこうと思って。「Forbes 30 Under 30」の受賞会場にもこれを着て行きました。みんなあんまりhumbleじゃないんで、humbleになろうって。

絵美:謙虚に。なんかね、そのひねくれ具合に知性を感じる。

晃輔:ありがとうございます。カウンター(反抗)が好きなんです。

絵美:まず、片野くんが幼い頃どんな子だったか聞きたいです。研究に没頭する前から、独学したりとか、いつも自分でいろいろ決定してたのかなって思って。ご自身の幼少期を振り返って、そういうエピソードがあれば教えてください。

晃輔:小さい頃のことは割と覚えてて、3〜4歳の頃はバケツみたいなのに入った大きいブロックのレゴセットを買ってもらって、柵みたいなのを作って自分の遊び場にしていました。幼稚園とか通ってもあんまり友達ができないというか、よく喧嘩しちゃうみたいな子で。それで力強い子に負けたりして。幼稚園へ行く途中でお腹が痛くなっちゃって「帰りたい」ってなったこともありましたね。通園路にTSUTAYAがあったんですけど、いつも通ってて、そこで初めてカルチャーに出会ったんです。仮面ライダーのVHSコーナーからもう横並びにずっと見ていったんですけど、すぐ見終わっちゃって、そのまま横に移っていったらB級映画の『トレマーズ』*1とかに出会ったりして、『ナポレオンダイナマイト』*2とかすげーのあるぞみたいな。

絵美:ナポレオンダイナマイト、懐かしい。

(*1)1999年にアメリカで公開された、田舎に出現した未知の巨大生物に立ち向かうパニック・アクション映画
(*2)2004年にアメリカで公開された、“ダサくてさえないオタク”の高校生が主人公のスクール・コメディ映画

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晃輔:でもちっちゃい頃に見たんであんま記憶になくて、そのあと思い出して中学のときに見てすげえなってなりました。そういうカルチャー、映画とかゲームをディグるのがずっと好きだった。もともとは映画監督とか脚本家とか、あとゲームクリエイターになりたかったですね。ゲーム監督で小島秀夫*3って人がいるんですけど、一時期彼の追っかけをしてたことがあって。その人が好きすぎてゲーム作りたいなって思ってました。その頃はコードが書けなかったのでコードの勉強したりして。父親が車屋で、ヨーロッパの車を直したりとか一から車作ったりするのを見て育ってたので、機械いじりにしても映像にしても、ものを作りたかった。そんなことを考えながら将来はエンジニアかなとか思ってたら、中学1年のときにお母さんがたまたま乳がんになってしまって生物学の道を志すっていう経緯があったんですけど、ちっちゃい頃はものづくりへまっしぐらでした。

絵美:見てディグるだけじゃなくて、作ってみたいという気持ちがあったんですね。

晃輔:そうなんです。プラモデルから何まで。プラモデルとかレゴって説明書がついてるじゃないですか、なんかぶ厚めの。あれ個人的に嫌で、箱見れば分かるのになんでこんな厳しくインストラクションするんだろうって思って、箱の説明と頭の中に描いたイメージだけで作るチャレンジみたいなのをして、パーツが余っても形になったら俺すごいみたいな。

絵美:自分で考えるのがその頃から好きだったんですね。

(*3)ゲームクリエイターで、ゲーム制作を行う「コジマプロダクション」の代表を務める。彼が手がけたゲームソフトで片野が好きなのは、米フォーチュン誌に「20世紀最大のシナリオ」と称されたシナリオで知られる『メタルギアソリッド』や分断された世界を再び繋ぐという任務をプレーヤーが担う『DEATH STANDING』。

“何も知らない”から知りたくて調べた

絵美:片野くんは好きなことを結構早い段階で見つけて深掘りしていましたが、周りの友達はそうでもなかった。そこにはどんな違いがあったと思いますか?

晃輔:ちっちゃい頃、みんなあんまり自分の好きなものが何かを言わないなと思ってた。多分そこが一番大きな違いなのかなと思ったりするんですけど、「自分はこれが好きだ」というのを自分は人一倍言いたかった。中学校に上がるまで自分で何か好きって公言する人に出会わなかったので、ずっと自分はインポスターシンドローム(ペテン師症候群)*4のカルチャー版みたいな気がしていましたね。自分は逆に何も知らないみたいに感じていて。

絵美:ああ、他人にはよく知ってるって言われるから。

晃輔:そう、知ってるって言われるから、そんなに知らないからディグってるのに何でだろうと思うことがあったりして。それが嫌でずっとディグってました。「自分は何も知らない」というコンプレックスが最初の原動力かなって感じがしますね。

絵美:生物学に関しても、そのシンドロームが働いて?

晃輔:そうですね。お母さんが乳がんになったときに、僕は何も知らないなと思って調べ始めたんですけど、中学生がネットサーフィンして読むのってだいたいウィキペディアで、あとは大学が中高生向けに出しているQ&Aみたいな。それで調べてたら意外と答えがはっきりしてないなって感じました。だからか調べても「僕はまだ何も知らないな」って感じて、そこからまたいろいろ読んでみようってネットサーフィンとディグをずっとやるタイプ。今でもそうですね。

(*4)どれだけ努力しても、自己の実績を認められず自己肯定感が低い状態であること。周囲から高く評価されても、自分を過小評価したり詐欺師だと思ったりしてしまうといわれる。有能な人にみられる傾向があり、心理研究の対象となっている。

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絵美:そしてお母さんのがんをきっかけにサイエンスに興味を持ったんですね。

晃輔:そうですね、がんがきっかけで。なんかそれまでゲームばっかりやって閉じこもりがちでいたんですけど、それだけじゃだめだと。でもがんについて調べてたら、僕が中1, 2年の頃に米・ワシントン大学でがん治療をゲーマーが助けるチャレンジみたいなのがあって。研究者がタンパク質の構造データを出して、それを元あった構造に折りたたむようなことをやらなきゃいけなかったんですよ。それをパズル感覚でゲーマーにやらせていた研究者がいて、それを見て「ゲーマー役に立つじゃん」と思いつつ、そういうのもあるから僕にも何かできるかなって思って調べていって。それでのちに、がん発生のメカニズムを解析するべく、「がんを作る研究」をするようになりましたね。

片野晃輔の「がんを作る研究」
中学1年生のころに母親が乳がんになったことをきっかけに、がんのメカニズムについて勉強しようと思った片野。
「何にも邪魔されず一からがんを作ることができたら、思い通りに壊すこともできるのではないか」という仮説から、高校生のときに「融合タンパク質を用いた部位特異的DNA修飾技術」の研究を始めた。そこからがん発生のメカニズムにも深く関わる「エピジェネティクス」と呼ばれる領域に関心が発展した。

研究においてもスタイルが重要

絵美:医学ではなく生物学にいったんですよね。それはなぜですか?

晃輔:人を治すというのは、確かに医学ど真ん中ですよね。でも生物学にいったのは僕の中学の頃のコンプレックスみたいなのがきっかけになってるんです。周りの子の親がだいたい医師だったので。

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絵美:地方の進学校ってそういうイメージありますね。

晃輔:系列の中学を受験するときに集団面接があって、一緒に受けた3人が「お父さんの病院を継いで医師になります」って話してたんですが、僕は当時ガンダムが大好きで、ガンプラ*5とか作ってたんで、静岡のガンプラ工場で働きたいって言ったんです。「お前は何を言ってるんだ」と言う面接官もいたんですが、そのうちの1人がガンダム好きで「お前熱いな。まさかうちの生徒でガンプラ工場知ってるやつがいるとは思わなかった」みたいな反応がもらえて、それで無事合格しました。

絵美:その先生に出会えてよかったね。

晃輔:よかった。僕のなかではっきりと「医者じゃなくても別にいいじゃん」って思えました。周りにこんなに医者志望がいたら、多分彼らがやってくれるでしょうと思って。それと、今は生物学のなかに医学があると考えてます。生物学って生物全体が研究対象で、ウイルスとかが生き物かどうかも含めて議論するので、そういう広さがある。ある意味で人を治すために特化した生物学みたいなものが医学で、使う手法も似ていたりするんですよ。植物もDNAを持ってるように、生物それぞれが人間と共通したいろんなものを持っているので、それも人体の研究の参考にしやすいですしね。

絵美:なるほど。私は医学も生物学も全然詳しくないんですけど、でもなんとなく生物学はすごく学際的でそこからアートに広がったりSFに広がったりするようなイメージがあります。

(*5)アニメ『機動戦士ガンダム』のシリーズに登場するロボットや戦艦などを立体化させたプラモデルの総称

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絵美:そして高校卒業後はMIT(マサチューセッツ工科大学)の研究室に入った。どこに惹かれたんですか?

晃輔:その頃にスタイルっていうものに気づき始めたんです。徐々に自分の尊敬する研究者を見つけ始めてこれはかっこいいって思っていました。そのなかにハーバードで研究していたケビン・エスベルトさんがいるんですけど、彼の「生物の進化を早める・止める研究」があらゆる軍事研究機関から目をつけられていて。だけど、彼は内密にして協力するばかりか、技術オープンにして監視し合うシステムを作ることで、悪用されることを食い止めようとしていてかっこいいと思ったんです。そんな彼がMIT Media Lab(マサチューセッツ工科大学のメディアラボ 以下、MITメディアラボ)に行ったのだと知りました。そこには世間の規範に“不服従”して革新を起こした人を表彰する賞があったりして、スタイルの塊だって思いました。

絵美:環境として、ぴったりですよね。

晃輔:そう、それで行ってみようってなって。だから第一に全体の理念、第二に研究者として僕の興味、第三に研究の体質がマッチしてるかってところで選びました。

絵美:大学に行かずに目指したのは、そこまで待てなかったから?

晃輔:そうですね、本当に待てなかったに尽きる。中高で実験していたときの実感として自分で勉強して師匠見つけたら意外とできるんじゃないかっていうのがあって。もし大学に行って師匠を見つけずにぷらぷらするのなら、自分で研究したほうがいいよなって思って、フリーになったんです。ワイルドサイエンティストになろうって。

絵美:どうやってコンタクトしたのですか?

晃輔:自分で手紙を書いたりしていたのですが、一向に返事が来なくて。でも研究者の人たちに少し助けてもらいました。

絵美:科学教室とか?

晃輔:STEM教育*6をやっている人たちの教室ですね。所属しているのは全員大学で研究していた人たちで、このまま研究を続けるのもいいが、自分たちで科学教育を行って未来の研究者を育てようとしているもので。高校1年のときに、「研究したいなら彼らが助けてくれるかもよ」と人に教えてもらって。紹介してもらうはずだったのですが待てなくて先にメールを送って会ったんです。そこの人たちに「論文にメアドが書いてあるでしょ、こういうところに送ればいいんだよ」って教えてもらいましたね。

(*1)Science, Technology, Engineering, Mathematicsの略で、科学・技術・工学・数学の教育分野の総称

理科部に行けば、友達が見つかる

晃輔:中学のときすごく仲良い友達が4人くらいできて、新潟の魚沼あたりの山でよくキャンプみたいなのして。でもあまりにも仲よすぎたんで、ぬるま湯でしたね。彼らとは横浜の方に引っ越してくるまでずっとつるんでて、友達は勝手にできるもんだって思ってました。引っ越して友達できなくてびっくりしましたね。

絵美:そこからどうやって友達を増やしたんですか?

晃輔:友達ができる場所は知ってたんです。それは理科部なんですよ。だいたいオタクがいっぱいいるんで絶対友達できると思って。

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絵美:ガンダムに詳しい人もいるし。

晃輔:そう。行ったら案の定ですよね。だいたい集まるのギークたちなんで、めちゃくちゃ仲良くなって。

絵美:MITメディアラボではどうだった?大学院で、皆さんがお給料もらって働いてるところに、学士を持たずに入るのは異例?

晃輔:そうみたいで、特にアメリカ人以外で高卒とかで入った人はいなかったらしいんですよ。

絵美:じゃあ日本人では初だったんですね。

晃輔:はい。ラボですげえやつがいるんですけど、そいつは学校をすでに辞めてるやつでした。で、親もいなくて里親にもあまりなじめずフラフラしてて、でも研究は面白いからっていたずらみたいな研究をずっとやってて、すごい天才なんですよ。学歴とか気にしない頭おかしいやつらもいて、研究させてもらっていましたね。そのまま面白い研究をするやつもいれば、途中でどっか行って自分のやりたいことをやるやつもいて。アメリカ人ではそういう高卒とかのはぐれ者みたいなのがいたので、そいつらとつるんだりして仲間を増やしてましたね。

絵美:なんだかんだ友達作るの上手じゃないですか。友達があまりいないと言いながらも多分その群のなかでいけてる人とか見つけるのがうまいと思う。

晃輔:かもしれない。なんとなく好きな人に突撃するのが好きだから。

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絵美:嗅覚が冴えてるっていうか、ダサい人とかすぐわかりそう。

晃輔:僕はどうかわかんないんですけど、生物学では、目的のものかどうかを、例えば「これは目的と違う菌だ」というように判別する「セレクションマーカー」っていうツールがあるんですけど、僕は「歩くセレクションマーカー」だってよく言われて(笑)。

絵美:それ生物学者として素晴らしいんじゃないですか。それにしても生物学ってツールの使い方とか論文の読み方とか、そして英語もしっかり勉強しないといけないじゃないですか。目的があったから頑張れたって感じですか?

晃輔:そうですね、英語とかそれこそ勉強してこなかったんで中学のときは本当最下位だったんですよずっと。でも論文読まなきゃいけないし、スターウォーズの“ウィキペディア”とかも英語の方が深かったりするので、カルチャーに触れるためとか何か知識に触れるために頑張ってちょっとずつ英語で読んでいたら読めるようにはなるし、ちょっとずつ書けるようになって。それで話したくなるんで話してみたらちょっとずつ話せるみたいな。必要に迫られてですね。友達が欲しいから。

どのようにして好きなものを見つければいいのか

絵美:自分のやりたいこととか、ハマるものを見つけられない人が大人でもいるんですけど、そういう人はどうすれば見つけられると思いますか?

晃輔:好き嫌いをできるだけはっきりさせるだけでも、違う気がします。

絵美:ああ、それ重要だ。

晃輔:例えばみんなで曲を聴いてて、「なんかいいよね」みたいなこと言ってるときに、ただいいっていう評価軸じゃなくて「この音いいよね」とか、「このボーカルが好きじゃない」とか「ベースちょっと低くない?」みたいに、好き嫌いを一つずつはっきりさせていくところかなって思って。「みんなが好きなこれ嫌い」って言うとか、意外と大事だと思いますね。

絵美:重要ですね。親の趣味で家にいっぱい画集があったりすると美的センスが養われたりするけどそれってやっぱり、小さい頃にこれ好きだな嫌いだなっていうのを訓練してたっていうのが大きいんでしょうね。

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晃輔:なんか周りに合わせてるだけの人っていっぱいいると思います。スニーカー集めてる人とかでも、誰かがHYPEBEASTで履いてたからナイキ買っとくかみたいなのは、終わってて。

絵美:思考停止してますね。

晃輔:そう。「靴ひもの色が好き」とか、「このソール嫌い」とか本当に細かいところでもいいので言える人はいいなと思います。なんかのドラマの一話でも、ただ消費するんじゃなくて好きなのか嫌なのか言ったほうがいいなって。

絵美:そのへんは、うちの教育でも徹底したいなて思う。なんか息子も最近、音楽の好みがかなりはっきりしてきました。前までは結構なんでも好きだったんですけど、プレイリストの曲を精査していったらなんかダンス系があんまり好きじゃなくて、だいたい好きなのが90sのヒップホップだったんですよ。

晃輔:チルいっすね(笑)。いいな、音楽談義したい。一つ付け加えると、嫌いと感じたときにただ否定するんじゃなくて、どうしたら好きになれるか考えるのも大事だと思います。僕が音楽をディグるときによくあるんですけど「ボーカルの声が高いな」って思ったときに、もしかして僕の教養がないんじゃないかなって考えるんです。でも聴いていくと音が聴き分けられるようになったりもします。嫌いってすぐ判断しないで、一旦保留するっていう。これ多分humble(謙虚)じゃないとできないんで。

日本に戻り、生物学研究の民主化へ

何事に対しても好きか・嫌いか判断しようとする姿勢をとってもそうだが、常に熱意を持って物事に接することができるエネルギーが溢れていた片野。それがあるからこそ、「これを深掘りしたい」と感じた瞬間に、彼は行動に移せるのかもしれない。

そんな彼は今、大学教育を受けずに研究室に入った経験を生かした「生物学研究の民主化」を目指し、研究ツールの開発に勤しんでいる。たとえお金がなくても、学校に通う時間がなくても、研究を諦めなくていいという考えが詰まった試みに、今後の広大な可能性を感じずにはいられない。

本連載はここで一幕閉じるが、NEUTは今後も、年齢を問わずさまざまな人にとっての「自分の殻を破るきっかけ」を探していきたい。

片野晃輔(かたの こうすけ)

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MIT Media Lab Research Affiliate。中学時代、母親の乳がんがきっかけで分子生物学に関心を持ち、DNAメチル化やIgE抗体を独学で学び、高校時代は試薬や研究費などを個人で揃え大学や企業のラボを利用し個人で研究を行っていた。 普段はフリーランスの研究者として研究を行い、MIT Media LabのSynthetic Neurobiologyグループで組織内でのゲノムシーケンス手法開発に携わり、現在は同研究所のCommunity BiotechnologyグループとSony CSLのSynecocultureグループで低コストかつ世界中どこでも自作/使用可能な実験機器、手法の開発や生物学研究の民主化の研究を行っている。

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草野絵美(くさの えみ)

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90年生まれ、80年代育ち。アーティストで、歌謡エレクトロユニット「Satellite Young(サテライトヤング)」主宰・ボーカル。2012年生まれの息子の子育てをしながら、テクノロジー社会への問をたてるアート作品製作、東京藝大で教鞭をとるなど、多方面で活躍中。

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