「『他人が何をしているか』ではなく『自分が何をしたいか』を突き詰める」サンローラン、トッズなどを担当したPRのプロが語る「広報・PRの真髄」<宅間頼子>|Ome Farm太田太の「僕が会いたい、アレもコレもな先駆者たち」 #003

Text & Photography: Yuuki Honda

2019.10.17

Share
Tweet

“東京生まれ、無農薬育ちの野菜”を育てる「Ome Farm」代表の太田太(おおた ふとし)さん。もともと国内外の会社でアパレルブランドや展示会等の海外営業/PRとして働いていたファッション畑出身の彼がチームと一緒に“本物の畑”で作る野菜は今方々で話題を呼び、都内人気飲食店を中心に提供されている。

ファッション×農業という視点から飛び出すアイデアで業界を変えていこうとする太田さんが、同じく複数の分野をまたいで活躍する先輩たちに会いに行って話を聞く連載、「Ome Farm太田太の『僕が会いたい、アレもコレもな先駆者たち』」。

第3回目のゲストは、企業の営業、広報や宣伝および゙販売促進の企画立案を行う「エイプリル株式会社」の創業者・宅間頼子(たくま よりこ)さん。

青山学院大学在学中にアメリカへ語学留学した彼女は、卒業後ホテルやメーカーで経験を積み、ゼニア・ジャパンに入社、広報として活躍した。その後イヴ・サンローラン、トッズなどファッションブランドで要職を歴任する。そして2016年にはエイプリル株式会社を設立、日本の優れた文化を海外に紹介しつつ、社会貢献活動として海外医療ボランティア団体「Japan Heart」などの活動を支援してきた。

今回も太田さんが、そんな”尊敬する先輩”に話を聞いた。

width="100%"
左から宅間頼子さん、太田太さん

女性の幸せが結婚だと考えられていた時代に走り出す

太田太(以下、太田):宅間さんお久しぶりです!

宅間頼子(以下、宅間):いやあお久しぶりです、お元気でしたか?

太田:はい、おかげさまで。今日は““二足のわらじ”といいますか、2つ以上の分野で活躍されている先輩に、これからの働き方について聞いていこうということで、普段お世話になっている宅間さんに色々と伺っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

宅間:こちらこそよろしくお願いします。実はNEUT Magazineのイベントに行ったことがありまして。

太田:NEUTALKですね。

宅間:そうそう。エイタブリッシュの清野さんが登壇されていた回です。ちなみに私、エイタブリッシュの営業と広報もしていて。自分で言うのもなんですがいろいろな名刺を持っているんです。

太田:そう、”二足のわらじ”どころじゃないんですよね。今は起業されてさまざまな分野のPR、広報、企画立案などをされていますが、まずはそこに至るまでの経緯を教えてもらえますか?

width=“100%"

宅間:今じゃ広報や営業を主にやってますが、最初就職したのはホテルなんですよ。なんでホテルだったかというと…その前に時代背景を説明しないといけませんね。30年ほど前ですが、当時まだまだ女性が社会進出するのが難しかったんです。専門学校とか短大に行って、どこか大手の企業の事務職に就職して、適当な男子を見つけて結婚して出産して…というのが女性の人生や幸せという価値観が一般的で。まあそういう時代だったんです。

太田:昭和の価値観というか。

宅間:そうですね。ただ私の両親はどちらかというと保守的ではなかったので、「あなたもいずれは社会に出て働いて、社会人として社会に貢献していくべきだ」ということを言われて育ちました。それが幸いしましたね。それでなんとか”普通”に就職するにはどうしたらいいのかと考えて、大学在学中に語学留学をしたんです。それで多少は英語が話せるようになって、接客中に英語が使える人を探していたホテルに就職したんです。

太田:なるほど。語学力はいつの時代もあって損はないものですよね。僕も英語やスペイン語を話せて良かったと思うことが多々あります。

宅間:もし私が今の時代にキャリアをスタートさせるなら、学生時代に語学力を身につけて、海外からキャリアをスタートするかもしれません。そして自分の得意分野とスキルを磨いて、自分にない特技を持っている友人と会社を立ち上げられたら面白いなと思ったり。

太田:僕もいろいろ世界を見て学びました。確かに今の時代、仕事を始める場所を日本だけに絞らなくてもいいですよね。

width=“100%"

宅間:もし今進路に悩んでたり働き方に疑問を持っている人がいたら、海外へ出て広い世界を体験することをおすすめします。これ、昔からたくさんの人が言ってますけど、やっぱりそれだけ説得力がある行動なんですよ。日本の中だけで物事を完結させず、柔軟性のある若いうちになるべく多くの国を訪れ、美しいものに触れ、さまざまな国の人々と交流することで、多様な価値観を経験していただきたいなと。

太田:自分の五感で感じろということですよね。

宅間:まさに、ですね。また興味のある分野があれば、積極的に情報収集をして、自分の足で出向いて、自分の目で確かめましょう。インターネットで簡単に情報を得ることができますが、それは所詮他人の経験でしかありませんから。

戦前・戦後を生き抜いた父の薫陶を受け飛躍

太田:ホテルに就職したあとはどうされたんですか?

宅間:入ればそこそこ楽しいし勉強になることはあったんですけど、何十年も働いてからじゃないと戦略的なことを考える立場にいけないのがはっきりわかったので、ちょっと先が見えないなと思って。それで2年働いた後、父が経営するドイツの香料メーカーの日本代理店に入ったんです。結果的に8年間、そこで徹底的に鍛えられましたね。

太田:お父様が師匠ですか?

宅間:そう。父は戦前の生まれで、戦場に行って帰ってきて、GHQの支配下にある日本の闇市で英語を学んで道を切り開いたという人なんですが、そんな父について現場を歩き回りました。もうね、めちゃくちゃ怖いんですよ。課題を与えられては怒られて、もう必死、体当たりで仕事を覚えていきました。そのあと海外の香水の輸入代理店に就職したんです。百貨店とかに卸してましたね。

太田:お父様、すごいですね。たくましい。それで、のちのち百貨店にはファッションで関わることになるわけですが、きっかけは何だったんですか?

宅間:その香水輸入代理店で働いているときに、ゼニア・ジャパンというアパレルブランドの社長さんにお会いしたんです。彼はもともと資生堂のNY支社長などを歴任してから帰国していて、すごく革新的な方だったんです。その人が広報担当を探していて、「宅間さんやらない?」と言われたのがきっかけです。

太田:当時はまだ広報の経験はなかったんですよね。なんでまたそういうことに?

width=“100%"

宅間:英語が話せてアパレルの広報経験がない明るい人を探していたんだそうです(笑)。社長さんには「社会常識があれば広報経験なんていらないんだよ」と言われて、「あ、そうなんですね」みたいな。それであっという間に入社することになって、広報を初めて経験しました。そのあとグッチ・グループ(現ケリング)に誘われて、イヴ・サンローランに異動したりしながら経験を積んで…。

太田:グッチにイヴ・サンローラン。スケールの大きな話ですね。

宅間:ただもう大変でしたよ。グッチ・グループ在籍時にはグループ全体の広告を買い付ける新設部署に入ったんですけど、各ブランドの広報責任者と対話できる人材を探しているんだけど「宅間さん、やってくれないか?」なんて言われて(笑)。振り返ってみると今までやったことがないことに挑戦するパターンが多いですね。

太田:請われて入るパターンが多いですね!

宅間:ありがたいことにそうですね。その部署には1年半いて、海千山千の諸先輩方がやっということを聞いてくれるようになって、なんとかまとまったんです。そうするとやることがなくなってしまって、どうするかなと思っていたら、サンローランのトップマネージメントがグッチに異動になり、組織構成が大きく変わったんです。そんな時期にサンローランの出店ラッシュが続いて、なんと大事な路面店の開店時にPR担当がいないというとんでもないことになって。

太田:肝の冷える話ですねえ〜。でも、話の流れ的にはこのときサンローランに異動したんですね?

宅間:そうです。大手のPR会社に大金を払って頼んだんだけど上手く回っていなくて、結局私が手伝いに行ったんですよ。そのごたごたが落ち着いたときに「このままサンローランにいてもらえない?」と言われて。人の調整役よりモノのPRに向いているとも言われたので、そのまま在籍しました。

太田:怒涛ですね、この時期。

宅間:本当にね。ゼニアに入ったのが32歳ぐらいかな。それでグッチ・グループで約10年ぐらい現場を経験して、ディレクターになるまですごく働いたなあ。この頃がむしゃらに働いたので力は付きましたね。人生に一度は夢中に何かにのめり込む時期があってもいいのかなと思います。ただ、これは別に仕事でなくてもいいんです。そういうものが見つかることが大事。だから今なにかに夢中になれている人はそれに打ち込んでほしいし、夢中になれるものが見つかっていない人はじっくり待ちましょう。私も30歳を過ぎてようやくそれが見つかりましたから。

震災を経験、とっさの判断が大きな岐路に

宅間:それでトッズに入ったのが2010年かな。慣れてきた頃に震災が起きました。当時は国内でも価値観が揺れ動いた時期だと思うんですが、トッズがいい会社だなと思ったエピソードがあって。ちょうど3月にトッズのデザイナーが来日してイベントをやることになっていたんですけど、震災でイベントどころじゃなくなって、あの日の夜に友達に一言「どうしようかな」と言ったら、「寄付だね。会長にイベントのときに使う予定だったお金を寄付してくれってお願いしてみれば?」と言われて、頭がバチッと切り替わったんです。

太田:こうなった時の宅間さんはすごいと思う…。

宅間:目の前で大変な惨事が起こっているのに何もできないのがむず痒かったんでしょうね。ようやく本国と連絡がつながって、「大丈夫、みんな無事だから」と安否確認をして、続けて寄付の話をしたんです。そしたら電話口の本国のマネージャーが「私が責任をもって会長に交渉する!」って言ってくれて。で、週明けに連絡が来て、「100万ユーロよ」って言うから「まじ!?」と。

太田:1億円超ですよ。しかも即決に近い速さ。すごいなあ。

宅間:もちろん大手と比べれば小さい会社なんだけど、会長の判断力とその速さと日本への思いはすごく感じました。いい会社だと思ったと同時に、そのきっかけになれたことが嬉しかったなと思ったんです。またその会長の姿を見て、いつか社会に何かを還元できる人間になりたいと決意しました。今に至るまでの経緯といえば、ざっとこんなところでしょうか。

太田:濃いなあ。

宅間:でしょう(笑)。

width=“100%"

広報・PRの真髄、人と人をつなぐ力

太田:ちなみにうちの親父がトッズの大ファンで、昔から靴はトッズで一筋なんです。

宅間:松屋銀座にいらっしゃるお父様には大変お世話になりました(笑)。

太田:親父は松屋銀座でトッズ・グループのブランド、ロジェ・ヴィヴィエを取り扱いたいからって、ヨーロッパ出張のルートを変更して、イタリアのかなりへんぴなところにあるトッズの工場に行ったことがあって。帰ってきたらすっげえニコニコしてるんですよ(笑)。そこには宅間さんもいたんですよね。

宅間:そうそう。その件ね、実は松屋銀座でロジェ・ヴィヴィエを扱うっていう話が出たけれど、イタリアに行ったときにはもうなくなった話になっていたんです。そんなときにお父様に工場に行きたいと言われて。「アレンジしてよ」「いいですけど、出店の話ですか? なくなったんじゃないんですか?」「まあまあ」とか、ふらりとかわされつつイタリアへ一緒に行ってきたんです。で、現地には当時のトッズの社長がいて、「ミスター太田とお茶したいな」と言われたので、だだっ広い会議室でエスプレッソを3人で飲んでね。15分ぐらい雑談して。それで翌日太田さんはパリに行かれたんですけど、私はそのまま現地にいて、今度は会長と会ったんです。そしたら会長が「松屋銀座の出店はいつにするんだっけ?」と社長に言って、「え!?」でしょう私は。

太田:イタリア人らしいおとぼけだなあ(笑)。

宅間:そうなの(笑)。そのままあれよあれよと出店の話が進んで、あまりに彼らが緩いから私も「今度こそまとめないと本当に仲が悪くなりますよ!」なんてガミガミ言ったんですけどね(笑)。それでお父様に電話をしたら、笑いながらクールに「じゃあパリで話そうか」ですよ。呆気にとられました。まあ工場についた頃からこの展開を読んでいたんでしょうね。あの一連の流れは今も忘れられない。

width=“100%"

太田:そういう場にことごとく登場される宅間さんがすごい。いろんなところで話を聞くたびに宅間さんの名前が出てくるし、お会いするに名刺が増えたり、変わってるし。青梅ファームが立ち上がった時もお世話になりました、本当に。

宅間:まあきっかけを作ることはできるんです。でも、そこから発展させられるかはその人次第ですから。そして、やっぱり人なんですよね。そこが私の財産なんです。今までの仕事とプライベートでつながってきた人たちをいかにつなげるか。この人とこの人なら面白い話が聞けるんじゃないか、化学反応が起こるんじゃないかと思ったらもう突き進むだけですね。

太田:どうしたらそのつなげる力が身につくんでしょうか。

宅間:こればっかりは経験を積んでもらうしかないと思います。

太田:なるほど、こういう時はやっぱりシンプルな答えになりますね。

width=“100%"

ざっくりとした区分けになるが、今の10~20代は「自分の”好き”を見つけなさい」と言われて育ってきた世代だ。だが、熱中することを見つけて、ましてやそれを仕事にできている人間は、実際そう多くはないのではないだろうか。

「自分の好きを見つける」ことに一種のプレッシャーを感じている人は今日多い。だから、「夢中になれるものが見つかっていない人はじっくり待ちましょう」という宅間さんの言葉に安心する人も多いと思う。

人とのつながりを大切にして、目の前の機会に全力で取り組んできたことで、宅間さんは「好きなこと」にたどり着いた。

少しずつ溜まった水があふれるように、いつかあなたのなかの”好き”が外に溢れ出る日が来るだろう。焦らず、目の前のやるべきことをこなした先で、それを見つけた宅間さんのように。

宅間頼子(たくま よりこ)

1965年生まれ。青山学院大学文学部英米文学科卒。大学卒業後ホテル、メーカー代理店を経てゼニア・ジャパンに入社、宣伝広報部に3年間勤務。2004年にグッチ・グループにてディレクター職に就任。2006年同社イヴ・サンローランへ異動。2010年にトッズ・ジャパンのマネージャー職に着任、2013年同社代表取締役副社長に就任。2014年に同社ロジェ・ヴィヴィエの事業化に伴いロジェ・ヴィヴィエ・ジャパンの代表取締役を兼務。
2016年同社を退社し新たにエイプリル株式会社を設立。「日本の卓越した職人の技やカルチャー、食、アート、ファッションを海外に紹介する事業を手掛る」という長年の夢を実現し、同時に社会貢献活動として海外医療ボランティア団体「Japan Heart」が手がける小児がんの子供と家族を応援する「Smile Smile Project」のブランディング活動を支援している。

width=“100%"

「suzusan」(スズサン)〜伊勢丹新宿店にて2週間期間限定ポップアップストアをオープン

「suzusan」は2週間限定で本館1階婦人雑貨、本館4階、メンズ館1階の3箇所にて上質なストールやニットなどの衣類・雑貨を幅広くご紹介致します。
ドイツ・デュッセルドルフに2008年に立ち上げられた「suzusan」は、名古屋市有松に400年前から伝わる染色技法、有松鳴海絞の繊細な日本の手仕事を生かし、約20カ国の国々で展開しています。
2019年秋冬コレクションのテーマは「湖水地方のノスタルジア」。
定番のカシミヤのニットウェアやコーデュロイ素材を使ったワンピース、今シーズンより新たに「染め分け絞り」のセットアップトレンチコートも発売いたします。

・10/30(水)~ 11/12(火)伊勢丹新宿店本館1階=婦人雑貨
・10/30(水)~ 11/5(火)伊勢丹新宿店本館4階=コンテンポラリースタイル
・11/6(水)~ 11/12(火)伊勢丹新宿店メンズ館1階=シーズン雑貨・帽子

width=“100%"

太田太(おおた ふとし)

WebsiteFacebookTwitterInstagram

10月より、ミシュランの星も獲得した事がある人気シェフ・永島健志氏率いる完全予約制の劇場型レストラン「81」のチームと共に、直売所を併設した野菜料理研究所「0831」を、かつて「81」が所在していた要町に開設。オーガニックのオの字も無い自身の出身地・池袋エリアで新しい発信をし始める。

width=“100%"

『0831』

Facebook

東京都豊島区西池袋5-25-2 B1F
東京メトロ有楽町線・副都心線『要町駅』 6番出口徒歩10秒
最初は曜日限定で生産物の販売と、夜のソーシャルダイニングを運営する。

width=“100%"
Share
Tweet
★ここを分記する

series

Creative Village