「物事のあわいは私たちを曖昧にいさせてくれる」シンガポールのフェス・The Alex Blake Charlie Sessionsに出演した青葉市子インタビュー

Text: Haruki Mitani

Photography: Jun Hirayama unless otherwise stated.

Interview & Edit: Noemi Minami

2023.6.8

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 2023年2月にシンガポールで開催された女性アーティストをメインとした音楽祭「The Alex Blake Charlie Sessions」。Soccer MommyやDev Never、Luna Liなど、今欧米で注目されるアーティストから、現地で人気のあるComing Up Rosesなど、アップカミングな女性アーティストが一堂に集まった。日本からは青葉市子(あおば いちこ)が参加。お昼過ぎにスタートしたフェスティバルのオープニングアクトを務め、現地のストリングス・アンサンブルとの美しい共演を果たした。繊細な音楽とともにステージに流れる大地を感じさせる壮大な映像が観客を魅了し、ライブ後会場で行われたサイン会では長蛇の列ができていた。

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ストリングス・アンサンブルとの共演
Photography: 24OWLS

 言語の異なる観客を前に「実は言葉が通じない方が面白い」と語る青葉。今回はライブ直後の彼女に今回のフェスティバルで感じたこと、そして制作に関するスタンスや思いを伺った。

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青葉市子

「3年前からずっと待ってた」シンガポールからのラブコール

 台湾・中国・香港・マレーシア…ツアーのため普段からアジア各国を周る青葉市子。アジアの中でも特に多く通ってきた土地は台湾の台北だそうだが、彼女の目にシンガポールという国はどのように映っているのだろうか。The Alex Blake Charlie Sessions(以下、ABC)での空間や音、感情を共にした観客や現地の様子を語ってもらった。

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ー今回、女性がメインのフェスティバルということでしたが、どう感じたか率直なご意見をお聞かせください。

女性のためのフェスティバルということは今回あまり意識しないようにしました。私の友達のなかでも、自分の性別をはっきり決めている人はたくさんいるわけじゃなくて。赤とオレンジの間にも色があるように曖昧な人もいます。ただ、ジェンダーがテーマのフェスに参加することで、いろんなことを知るきっかけになると思い参加させていただきました。

ー2015年の初ワールドツアーから何度かシンガポールで演奏されていると思うのですが、シンガポールにはどんな印象を持っていましたか?

シンガポールは地震の少ない国なので、古き良き建物や文化が今でもきちんと残っているというのが最初の印象でした。これまで、私のなかでシンガポールとイコールになってたのが、「Aspidistrafly(アスピディストフライ)」が主催の「Kitchen.Label(キッチンレーベル)」さんでした。ポップな感じではなく、すごく静かな世界を描いているレーベルで、今までシンガポールで一緒にコンサートをするときも、古い劇場などで演奏してきました。

今回シンガポールに来て思ったのが、もともと発電所だった場所で開催されたからなのかLEDや拘った照明システムが目立ちました。(ABCは1953年にシンガポールに建設された2つ目の発電所の跡地で行われた)ピカピカしてて、新しい文化へのアンテナが多方面にあって、興味津々なシンガポールの姿を見た気がします。今回のフェスティバルに出演して、今まで私が体験してきたシンガポールとは違う姿を見た感じでした。

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会場の様子
Photography: 24OWLS

ー今回フェスで演奏をしてみて観客の反応はいかがでしたか?

パンデミックの前に何度か足を運んでいたときは、Kitchen.Label主催やコラボレーションのコンサートということもあってか、もう少しお客さんの印象が静かなイメージでした。

パンデミックの時期を経てワールドツアーしている今現在は、シンガポールに限らず、実際に面と向かって会える喜びみたいなものが今まで以上に炸裂しているというか、嬉しいということを身体や顔を使って表現してくれる人が増えたと感じています。今までだったら内に秘めていたかもしれないことを、勇気を出して全部言ってみようという感じ。

今回は会場にパンパンにお客さんがいるって感じではなかったのですが、それでもかなり熱狂的に迎えてくださったなと感じています。ショーの後にサイン会をしたときも、英語でメッセージを伝えてくれる人や翻訳アプリで見せてくれる人も多くいたり、「3年前からずっと待ってた」と書いてくれてる人もいました。泣いてしまう方がいらっしゃったり、実際に見れて嬉しいと言ってくれたりして、それがこれまでとの大きな変化です。

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ライブ後のサイン会の様子。長蛇の列ができていた。
Photography: 24OWLS

曲作りは子どもの遊びみたいな感じ

 ABCフェスで実際に感じたことから話は、作品作りのスタンスへと展開していった。彼女は自身を「筒のような存在」と感じているという。SNSが急速に発達した現代では、過度なまでに個性の主張を求められる。「どれだけ無になろうと思っていても出てきてしまうものだから、自分を押し通さなくても十分自分なんだよ」と語る青葉市子の姿は、SNSに飲み込まれつつある私たちに大切なことを思い出させてくれる。そんな青葉の制作活動はどこから生まれ、どこへ向かうのだろうか。

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ー数年前の取材で、映画や本を積極的に吸収しないとおっしゃっていたのを見て、それがなんだか意外で覚えているのですが、普段はどんなところからインプットされていますか?

インプットでいうと、相変わらず本は読まないのですが、映画は見るようになっていて。「アンディーヴと眠って (Asleep Among Endives)」という曲は、映画から直接インスピレーションを受けています。でも、私の場合は自分の肉眼で見たり、皮膚で触ったり、匂いをかいだり、体験したことの方が創作の糧になるんだと思います。

私の音楽のつくり方は、島の波打ち際とかで貝殻を投げて、貝殻の配置を音符に置き換えたり子どもの遊びみたいな感じで作っています。それから自分の創作の核になるものと一番近いものは、日々見る夢です。夢のなかでメロディが浮かんだときは、目を閉じたまま書きとめるときもあるように、起きているか眠っているか分からない曖昧な意識の状態が最も創作状態に適しています。夢と創作の関係性はとても面白いです。言葉の断片として現れるときは歌詞になり、文章まで育つと小説になったり、言葉として残らないときは絵に残すこともあります。

ー今回のライブのように言語が異なることもあると思いますが、音楽やコンテンツをつくるときに聞き手にどのように受け取ってほしいか意識していることはありますか?

受け取り方はこちらが指定するものではないと思っていて、とことん自由に受け取ってほしいです。海外公演では特に言語の違いには着目せず、言語が異なるからこそ受け取れる音楽世界があるのではと感じています。作詞の作業はかなりエネルギーを使うのですが、実際パフォーマンスするときは、言葉以上に伝達する力が、音符や和音、そのときの息吹みたいなものに込められている気がして。そういうことが詩の力を優に越えるのではないかと思うんです。言葉の切り取られた音の種類が面白いくらいの楽しみ方で十分で。私たちが歌詞が分からない曲を聞くときと同じような感覚で日本語を捉えてもらえたらと思っています。

でも最近、インスタライブをしているときに「彼女は何を歌っているの?」というようなコメントが流れてきたり、ファンのみなさんが自由に歌詞を解釈してくれたりしているので、こういうことを歌っているよというのをそろそろ出してもいいのかなと思い、リリックブックも制作しました。。

ーソロの音楽活動に限らずコラボや執筆活動などもされていると思うのですが、それぞれ違うスタンスや表現で臨まれていますか?

最終的なアウトプットの出口が違うだけですね。小説の形で表現した方が解像度を保ったまま出せるときもあるし、メロディーと和音と音色と合わせた方が伝わるときもある。その時々で表現したいこととアウトプットの間に差がない方法をチョイスしているだけで、大きな差はないです。

作品作りのスタンスは、基本的に自分は筒とか管みたいな存在だなと思っていて。ただどうしても削ぎ落とせないルーツやアイデンティティは存在していて、どれだけ無になろうと思っていても出てきてしまうものだから、自分を押し通さなくても十分自分なんだよという考えを昔から持っています。

あと、実は一番安心できる場所ってステージの上だったりするんです。演奏しているはずなのだけれど、歌声を発するための空気は、みんなが吸ったり吐いたりした空気が入ってきているだけで、私だけのものじゃないという感覚があるから。例えば街中で鼻歌を歌ったとしてもそれは自分のものじゃない。街の蠢きがあって、その蠢きの一部で自分も動いているだけという感じ。それがステージの上だと分かりやすいんです。客席とステージは分断されているように見えて、実はみんながいなければここも成立していないもの。そのエネルギーの循環が分かりやすく、ステージに立っているときは、個の主張を忘れられるゾーンに入る感覚があります。

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何かを否定せずとも自分を肯定してあげられること

 「自分は街の蠢きの一部で動いているにすぎない」と表現する彼女の姿勢は、物事と物事の間に存在するものも受け入れ、その曖昧さを肯定する優しさを感じさせる。何事にもボーダーを引かないスタンスは、彼女の生き方やあり方に通ずるのではないだろうか。そんな流動さを感じさせる青葉だが、社会に対して気になっていることはあるのだろうか。

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ーNEUTだと割と社会へのモヤモヤやタブーについて話すことも多いのですが、青葉さんは最近社会に対して何か気になっていることとかはありますか?

そうですね、一つは、やりたいことや目標を掲げていることだけが良しとされていることに疑問を感じます。学生の頃、あまり教室に行けない時期がありました。集団のなかで「さあ同じ課題をスタート!」みたいなのにものすごく違和感を感じて、教室を出て行ってしまったり問題児として扱われてたこともありました。「進路を決めなさい」とか「学校に行きなさい」「グループを作りなさい」とか、全部のことに対して「なんで?」と思っていました。

でも、疑問に思うことは間違いではなくて、新しい形を生み出す大きなヒントやエネルギーになっている気がして、それを肯定してくれる人もいたんですよね。当時の保健室の先生は私たちの味方になってくれていました。そういう人たちが過去にいたから、何かはっきりこれをしなくちゃいけないと思わなくても、もともとその人に宿ってるものが、勝手にその人を運んでいくだろうというポジティブな意味で楽観的で、どんな状態でも何とかなるというような考えがあるのかもしれません。

もう一つは、全肯定するスタイルがもう少し蔓延してもいいのかなと思います。自分にとって何か違うと感じるものがないと、自分の正しさの彩度が見えやすくならないので、違うものを違うって言いたくなる部分も分かるのですが、何かを否定せずとも、自分が思っていることを自分で肯定できるようになることって大切だと思います。

ーそれは大切なことですね。自分が理解できなくても否定しないって難しいけど、今の社会に必要なことのように感じます。

少し話は変わるのですが、バリに行った際に、陰と陽の2つの神様が戦い続け、永遠に決着がつかないというテーマのお祭りを見たんです。日頃から生きるとか死ぬとか、何が良い何が悪いとか、そういうものを分断して考えることに違和感があって。人と人との問題にしても、善悪で語りきれないと思うんですよね。陰と陽の間(あわい)みたいなところは、私たちを曖昧にいさせてくれると思って。それがはっきりしてしまったらとても怖いことだと思うんです。何かが特別悪いとされたり、何かが正しいとされることって、何もなくなっちゃう気がして。人々の文明や植物、生き物、全てのなかで陰と陽の神様が戦うけどどっちも決着がつかないというのをバリ島で見て、これから生きていく私たちにヒントを与えてくれているような気がしました。

私は赤とオレンジの間にも色があっていいと思います。それは例えばジェンダーとも同じで。これまで出会って来たお客さまのなかでも、「自分の割り当てられた性と心の差みたいなのに苦しんできたけど、音楽を聞いているとそういう悩みがなくなるんだ」と言ってくれる方がいたり、自分たちは男の子だけどちゃんとパートナーなんだと紹介しにきてくれたりする方がいたんですよね。2人でタトゥー入れたいからここに書いてとか。そういうのってすごく幸せになるので、全てのものにおいての間にあることが肯定される世の中になっていけばいいなと思うし、私の場合、得意なことは歌や音楽なので、それが力になればいいなと思っています。

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青葉市子

Website / Twitter / Instagram

音楽家。1990年生まれ。17歳からクラッシックギターを始め、2010年に19歳でファーストアルバム『剃刀乙女』をリリース。ファーストアルバム『剃刀乙女』でデビュー、これまでに7枚のオリジナルアルバムをリリース。2020年、自主レーベル「hermine」(エルミン)を立ち上げた。最新作は“架空の映画のためのサウンドトラック”『アダンの風』。国内外で活動を続け、近年はラジオDJやナレーション、CM・舞台音楽の作成などの創作活動も行っている。

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The Alex Blake Charlie Sessions

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