現代社会を生き抜く女性の美しさと強さを写し続けるのが、フォトグラファーとして活躍するKaname Satoだ。NEUT Magazineでもインタビュー撮影を務める彼女の写真は、既存のビューティースタンダードに捉われず、その人の持つアイデンティティや魅力を引き出し、よりパワーを持った姿へと昇華させる。そんなKanameの作品で、今年1月に話題になったのが「UENO GYARU」だ。自身のパーソナルなプロジェクトとしてInstagramに投稿された写真が話題を呼び、東京を拠点とするインターナショナルなメディア・sabukaruやGATA Magazineですぐに取り上げられた。
そして5月26日から28日までの3日間、上野アメヤ横丁内のアメ横センタービル2階展示スペースにて初個展「UENO GYARU」の開催が決定。Y2Kが世界中でトレンドとなっている今、1990年代~2000年代に日本で空前のブームを引き起こした「ギャル」をテーマとした作品を通して、自身の10代の頃の経験を見つめ直し、取り戻し、表象し直す挑戦的な個展だ。そこにはこれまで彼女が送ってきた、人生のかけらが散りばめられていた。
前編ではフォトグラファーになるまでの彼女のライフストーリーを聞き、後編では「UENO GYARU」に込めた思いを伺った。
普通になりたいと願う日々
東京都台東区上野で生まれ育ったKanameは、幼少期から体が周りよりも大きいことをコンプレックスに感じていたため、なるべく目立たないよう過ごしていた。小学校では、背の順で並ぶ際に常に一番後ろに立ち、小学校6年生の時点で身長は168センチに成長。日本の女子に課せられる、“可愛い”の基準とされている、小さくて、細くて、肌が白いといった項目に当てはまらなかった彼女は、常に見た目に対しての劣等感を持っていたという。
「自分の見た目が普通じゃないって自分で思っていたので、とにかく周りと違う行動をするのが本当に嫌だったんです。とにかく普通になりたいって思いながら過ごしていたので、家での自分と、外での自分が全く違う人格になっていました」
周囲に合わせながら、極力目立たないよう過ごしていたKanameだが、親がアメリカントイのお店を経営していたこともあり、海外の文化に触れる機会が多く、日本における美の基準とは異なる人たちを見ることで、自分のなかに形成された固定観念や圧力を少しずつ崩していった。しかし、いじめが多かった小学校に通っていたKanameは、みんなと違う部分を見せずに過ごしてきたこともあり、その反動か中学校では周りから怖がられる存在になることで人を避けられると思い、ギャルになることを決意した。
「中学校は校則も厳しくて、真面目な子たちが多かったんですけど、勉強が得意じゃなかったことにも劣等感を持ち始めて、『だったら一番怖がられる存在になろう』と決めました。小学生のときは周りに溶け込みたくて普通になりたかったけど、中学生になるとその反発からか周りと違う存在になりたくて。今っぽい清楚なギャルというよりかは、派手なギャルになって、今まで自分を苦しめてきた周りの人に対して虚勢をはって怖がられたい気持ちがあったのかもしれないです」
友達ができたことによって見えた自分らしさ
友達がほとんどいない状態で中学時代を過ごしたKanameは、今後の人生設計もできず、高校に通うつもりもなかったが、親の希望により私立の高校に進学。この頃海外ではJustin Bieber(ジャスティン・ビーバー)が大人気となり、彼女のファッションもギャルから、当時Justin Bieberと付き合っていたSelena Gomez(セレーナ・ゴメス)のような黒髪のワンレンロングのアメリカのティーンエイジャーのようなスタイルへと変化する。
Kanameが少しずつ自分を出せるようになり、周囲に馴染めるようになったのがこの頃だったという。それは、ある友達との出会いがきっかけだった。
「高校1年生の頃に、今でも仲のいい子に出会えたんです。その子はギャルではなかったけど、地元にギャルやヤンキーがいたり、性格も内気だけど面白いことをしたりしたいタイプ。そういった自分と似ている人と一緒にいることで自分だけじゃないんだって思えたときに、『普通になれた』って感じたんです。そこから自分らしさみたいなものを外に出してもいいんだなって思い始めました」
固定観念や規範に当てはまらない人々の多くが、Kanameのように「普通じゃないのは自分だけかもしれない」と、強い劣等感や孤独感を抱いてきたかもしれない。しかし、自分と近しい容姿やアイデンティティ、性格を持った人、環境で育った人と繋がると、一人ではないと感じることができて、それまで感じてきた疎外感を緩めるきっかけになり得る。彼女も同様にこのときが一番「自分らしくなれた」と話す。
恋愛対象として見られないのに、性的対象には見られるギャップの葛藤
しかしこの頃もまだ、Kanameの容姿に対するネガティブな意見は、同級生の男子から多く向けられていた。そのせいで、彼女は男子に対して強い抵抗感を持つようになったという。そして大学では「男子がいない場所」という理由で女子大を選択し、フェミニズムやジェンダー論を学んだ。しかしそういったことを学び始めた当初は、偏った解釈をしてしまい、「女性として見られること、性的に見られることが間違ったこと」だと認識してしまったと話す。
「幼い頃からエロに対しての興味は強かったんですけど、自分の容姿において恋愛対象として見られたり、他のクラスメイトの女子と同じように『女の子扱い』されたりする経験が少なく、なのに体の成長が早かったから性的には見られるという、チグハグな状況にずっと違和感を持っていました。フェミニズムを通してそういったことに気付いていくなかで、段々と自分の身体や容姿におけるいわゆる“女性的な部分”を削りたいと思ってしまったんです」
結果、体のラインを隠す服やノーメイクなど、自身の好きな姿ではなく、社会から、男性からバカにされない、性的に消費されない姿を選択し続けた日々は、振り返るとKanameにとって苦しい時期だった。それは小・中学生の頃に自分の好きなものを隠し、外では別の自分になることで虚勢を張っていた、あの頃を思い出させる行為でもあったからだろう。そうした日々が続くなかでも、彼女のなかには海外のアーティストやカルチャーから受けた影響や、海外での生活への憧れは持ち続けていた。
オーストラリアで体感した多様な価値観
Kanameは、当時Instagramで見つけたオーストラリアのメルボルン出身のインフルエンサーCLAIRの、アジア人であることに誇りを持ちながら、海外のグラムメイクや大胆なファッションを纏う姿に惹かれ、大学卒業後、ワーキングホリデーで渡豪。オーストラリアで見た景色や、関わった人々によって彼女の価値観、性表現が大きく変わる。
「日本での美の基準にずっと苦しめられて生きてきたから、体型や体毛、エスニシティも多様な光景に衝撃を受けました。それぞれの美しさや、おしゃれの楽しみ方をしている人を街で見かけられることがとても嬉しかったです」
また、彼女が大学時代に抑え込んでしまった感じるままの自分なりの女性性の表現も、オーストラリアで出会った人々を通して取り戻していった。
「オーストラリアに友だちがいなかったので、マッチングアプリを通して友達を作っていました。そこで出会った女の子2人は、どちらもバイセクシュアルで、女性が持つ魅力についてたくさん話すうちに、私のなかにあった女性性に対してや、フェミニズムに対する印象が大きく変わったんです。自分の表現したい女性性を出すことは、決してフェミニズムに反していることではないと。それを知ったときに、自分のなかで多くのことの考えが変わっていったように思います。それと、その頃のパートナーが趣味や性格が似ているのもあって、安心もできたし、私のことを性的対象としてだけでなく、彼女として大切にしてくれたことで、自分の女性性を肯定できるようになったんです。女性であることと性的に見られることが繋がった瞬間はとても嬉しかったです」
その後帰国したKanameは、アパレルブランドで働きながら、より自分の好きなことを表現するようになった。音楽や動画などを制作しながら、自分に合った表現を探していくなかで、現在の写真という表現にたどり着く。
「アパレルで働いていたのもあるんですけど、ファッション業界のビューティースタンダードに違和感を持っていて。日本のブランドなのに、海外出身のモデルばかりを起用していたり、既存の美しさの基準である、細くて肌の白い人ばかりが起用されているのを見て、そういったファッション業界の現状を変えていきたいなって思ったんです。そんななかで、お婆ちゃんからもらったフィルムカメラで写真を撮っていたら、周りから定評をもらえるようになっていきました。それなら、そういった意識を持った私が写真を使えばファッション業界の現状を変えていけるんじゃないかと思い、本格的にフォトグラファーとして活動し始めました」
後編では、「UENO GYARU」に込めた思いに話は展開していく。
UENO GYARU展
日程 : 5月26日 11:30-20:00
5月27日 10:30-20:00
5月28日 10:00-19:00
場所 : アメ横センタービル2F
〒110-0005 東京都台東区上野4丁目7−8
今回の展示の写真をまとめたzineを販売予定です。
Kaname Sato
1995年東京都台東区生まれ。フォトグラファーとしてファッションブランド「BLINK」や「SEASON」などのブランドイメージ撮影から、パーティースナップまで幅広く活躍している。