誰もがクリエイターになれる時代に本当に必要なこととは?映画監督・枝優花とモデル兼雑誌編集長・山本奈衣瑠が考える、次世代のエンタメ

Text: Iori Inohara

Photography: Kotetsu Nakazato unless otherwise stated.

2021.9.13

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 終息がいまだ見えない新型コロナウイルスの影響で今年の夏にもさまざまな変化が起きた。夏の一大イベントとも言える音楽フェスやライブイベントが相次いで中止・延期になり、エンタメの熱量溢れるパワーとの触れ合いが恋しくなっている人も少なくないのではないだろうか。しかし、オフラインでのエンタメに制約がかかる一方で、技術の進歩を武器に新たなエンタメ体験も生まれてきている。
 この時流にさらなる勢いをつけるように、ソニーがオンラインイベントを企画した。「UNLOCK with Sony」は、クリエイターとともにエンターテイメントの未来を考えるきっかけづくりを目指したもので、9月23日(木)から9月26日(日)までの期間、毎夜19時から開催される。「Spark your curiosity for the next…(未来への好奇心を刺激する)」をコンセプトに、未来を担う若きクリエイターや好奇心溢れる
若き視聴者のクリエイティビティと、ソニーが持つテクノロジーを掛け合わせた多様なコンテンツを提供していくものだ。
そのなかにはソニーの「360立体音響技術」を使った「360 Reality Audio(サンロクマル・リアリティオーディオ)」についてのセッションもある。

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 本イベントに先駆け、NEUT Magazineがトークセッションを行った。NEUT Magazine編集長・平山潤が司会を務め、ゲストとして迎えたのは2018年に公開された映画『少女邂逅』の監督であり、ミュージックビデオの撮影なども手掛けている枝優花と、モデル業の傍ら雑誌「EA Magazine」の編集長を務める山本奈衣瑠の二人。ソニーのテクノロジーに対する期待や可能性に触れながら、クリエイティブの今と未来像について、エンタメの観点からトークが展開された。次世代のエンタメの楽しみ方とは? 同トークイベントのフルバージョンは以下の動画で視聴できる。

※動画が見られない方はこちら

 以下は、本イベントのポイントをレポート形式でまとめたものだ。

ストリーミングサービスの拡大で、競合は世界に

 まずはコロナ禍で、エンタメの消費者として変化を感じたことから会話が始まった。ストリーミングサービスが普及し、家にいながらにしてさまざまコンテンツに触れることができるようになったことは消費者の目を肥えさせ、エンタメ作品に求められるクオリティも上がったという。しかし二人によると、作品との出会いも家の中で完結してしまうことについては、「偶然の出会い」がもたらす予期せぬ面白さというものを奪ってしまっている面もあるとか。また、コロナ禍で台頭してきた新しいテクノロジーの立ち位置についても大きな期待を寄せていた。

平山潤:まず、次世代のエンタメの楽しみ方というテーマについてですが、ライブや映画館に行きにくくなっている最近では、家で楽しめるライブなどのコンテンツが増えました。まずは体験をする側、消費者側としてコロナ禍で作られてきたエンタメで二人が印象的だったものはありますか?例えばPodcast などが注目されているよね。他にもYouTube番組やオンラインライブ、お笑い芸人のズームでのコントとか。

枝優花:最新のドラマや番組を見ることが増えたと思う。最初は劇場に足を運ぶ人が減るんじゃないかとか不安に思ったこともあったんですが、まず自分がNetflixとかのストリーミング系をめちゃくちゃ見ている(笑)。実家の両親はそういうのに疎かったんですが、コロナをきっかけにNetflixを見るようになっていました。

平山潤: Netflixで作られているコンテンツの制作手法は以前と変わらないのかな?

枝優花:視聴者数や加入数が圧倒的に増えてきたから、制作に投資する予算が圧倒的に増えてきたとは思います。いろんな国のものづくりのクオリティが上がってきていて、そこに投じるお金が増えてきている。いいなと思うことは、それまで日本のコンテンツとしてしか見ていなかった人がさまざまな国の映画やドラマを見たり、いろんなものに目を向けるようになったということ。目が肥えてきているというのもあると思います。日本のコンテンツを見てもらえなくなってきていることは確かに焦ることではあるけれども、もっと頑張らなきゃいけないと作り手側へのプレッシャーに一役買っているとも思う。

平山潤:競合が世界になったということだもんね。

山本奈衣瑠:まとめられていることや流行っていることもすぐにチェックできる。あと、全部が必要なものだけが詰まった作品というのが多いのかなと思った。無駄がダメと言われるような感じ。なんか、無駄なものがいいっていうこともあるじゃん。その余白があるから見てるこっちも救われることがあるとか。「なんやねんこれ」って思うのに見ちゃうっていうのも、作り手とその作品の魅力の一つだと思う。そこには数字だけで評価されることのないすごさというものを感じることもあるんだけど、全てが流動的にデータベースで作られていっているように感じている。みんなが競い合っているからこそ、見る選択肢が多いからこそ、新しく出てきた制作の手法なのかな。それを悪いとは言わないけど、作品を作る側からしたらどうなんだろうとは思った。

枝優花:ここ1、2年の感覚としては、昔のような「みんなが見ているもの」がなくなったなと。自分の選択で自分のほしいものしか見ないようになったから、絶対的に皆が知っているというスターがいなくなったと思う。だからこそ作り手の人たちは、その狭い世界で顧客が逃げないように必死にやっている。でも私もそれよりかは偶然な出会いとかのほうが好きだった。例えばTSUTAYAに行って借りる予定じゃなかったのに「なにこれ」って思って借りてみたり、ジャケットが好きだからという理由で手に取ってみたり。5枚1000円で借りられて、あと1枚どうしようって適当に借りるとか。でも結局駄作だったとか。そういう偶然の出会いが意外と大事なのかなと。よく分からない出会いが意外と自分の頭に残っていたり覚えていたりする、というのがぎりぎりあった世代だと思う。もう少し若い世代になると、自分が好きなものを選び取る選択肢は多いのかもしれないけれど、無駄なものに出会ったときの耐性というものがない。その世代に無駄を経験させるとか、思わぬ出会いや未知のものがどれだけ面白いかというのをいかに提供できるんだろうか、というのは私の課題でもある。

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枝優花

山本奈衣瑠:それって私もすごい気になってたの。今は友達に会うこともなかなかできないし、仕事に行って帰ってくるだけの毎日じゃん。全部自分で過ごしているから予定が全部上手くいくのね。全部思い通りに1日を過ごせるんだけど、思い通りにしか過ごせないの。それは良いんだけど、突然の何かっていうものがない。自分が好きなものを発見するセンサーは当たり前のものだと思っていたけど、予定していなかった何かからいろんなものを得ていたんだと感じることが多くなっていて。

平山潤:予定していないもの・想定していないものとの出会いが減ったということは、エンタメを消費していくうえでの障害なのかもしれないね。

山本奈衣瑠:私、お笑いが大好きなんだけど、YouTubeで舞台とかやってたじゃん。最初はどうなんだろうって思ってたけど、やっぱり感動するものは感動した。「すごい、これも一個の選択肢だな」って思うようになった。しかもあれ、安いのね。今までは芸人さんをステージで見ることはなかったけど、オンラインでやってるからこそ気軽に見れたっていう感じ。行ったことのないお笑いライブを体験できたけど、これで満足はしてない感じもあって、「オンラインだけでいいじゃん」とはならなかった。これ(オンライン)もいいけど本物も見たい、っていう。

平山潤:バーチャルの配信っていうことに繋げると、今日奈衣瑠ちゃんと僕は360 Reality Audioを体験してきました。

360 Reality Audio(サンロクマル・リアリティオーディオ)
ソニーの360立体音響技術を使った新しい音楽体験。ボーカルやコーラス、楽器などの音源一つ一つに位置情報をつけ、球状の空間に配置。全方位から音が降りそそぎ、アーティストの生演奏に囲まれているかのような、没入感のある立体的な音場を体感できる。
詳細はこちら

山本奈衣瑠:物理的に前や後ろにスピーカーが置かれていて立体的に聴こえるのにもすごいって思ったんだけど、これをイヤホンで聴いたときにも同じような立体感だったときにめちゃくちゃびっくりして。耳の形で聞こえ方が違うっていうのもすごいなって思った。音楽って「聴く」ものだと思ってたけど、「浴びる」とか「中に入る」とか「通り過ぎる」とか、そういうのを感じたのね。聴く、だけじゃなかった。

平山潤:あと、音楽って普段「ながら」で聞くことが多いじゃん。この技術は耳の写真をアプリで撮って、そのデータから立体的に聴こえるぴったりの曲をアプリが設定して、それをヘッドホンで聴くんだけど、映画を見るときみたいに、ちゃんとこの音楽のための時間がほしいって思った。

山本奈衣瑠:でもライブとかとはまた別の体験なんだよね。「これだったらライブの方がいいじゃん」とかそういうのじゃなくて。もちろんライブのいいところもたくさんあるんだけど。

平山潤:そうだね。ライブができない状況で、オルタナティブな存在になってた。これはこれで新しい音楽体験なんだなって思った。

山本奈衣瑠:クリエイターが自分たちの本当の力を出せる場所にもなるんだろうな、とも思った。楽器の音一つ一つがよく聞こえるから、どうやって音楽を作っているのかがもっと分かりやすくなる感じ。あと、音楽の表現っていろいろできるじゃん。あったかいとか冷たいとか。それがもっと進化して、身体中を音楽が通っている感じだった。

平山潤:ライブやフェスと、今話しているような新しい技術で生み出された体験は、今後どんなすみわけになっていくと思う?

山本奈衣瑠:新しい選択肢は、別のものとしてアウトプットできないと危ないなって思った。これが「ライブ行かなくていいね」「アーティストの前に立たなくてもいいね」って思われたらすごい嫌だからこそ、発信する人が気をつけて広めていかないともったいない。代わりが利くわけではないっていうこと。新しい選択肢はそういう独立したものとして広まって、それはそれとして体験できる場があるとすごくいいなと思った。

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山本奈衣瑠

コロナ禍で気づいた無駄の大切さ

 続いて、映画監督として、また雑誌の編集長としてものづくりをする二人に聞いたのは、作り手として感じたコロナ禍での変化について。オンラインでのコミュニケーションが主流となるなかで見えてきた同じ空気を共有することの大切さ、人が実際に集まり「無駄」な会話が交わされるなかで生まれるクリエイティビティの重要性を実感しているという。その一方で、新しい技術の登場に伴ってデジタルでの制作の幅は広がっている。クリエイターとして、表現者として、二人が技術の進歩にどのような可能性を見出しているのかについて話は展開した。

平山潤:コロナ禍で映画の撮影現場が密になって大変とか、クリエイターとして制作の手法の変化はどう?

枝優花:現場で言うと、キャストやエキストラの人数制限が設けられて書いてた脚本が使えなくなったりして。そしたら、学校の廊下のシーンとか放課後の部活のシーンが撮れない、引きのシーンが撮れないってなって。機転を利かせて脚本の書き換えとかもしてたんだけど、それもオンラインでやってた。最初はオンラインで話し合うの楽だなと思ってたの。移動の時間が減るし。でもクリエイティブに関わってくると、オンラインでやるのって大変。

平山潤:分かる。白熱した議論とか無理だよね。

枝優花:そう。どんなテンションで向き合っているのかがいまいち伝わりにくかったり、雑談のなかで生まれる面白いことがあったりするのに、「必要最低限のことだけを話そう」って思ってしまったり、誰かが喋っていたらみんな固く聞き入っちゃったり、何か自由がない状態で。これ、対面で話していた頃は、本題までの雑談がやけに長かったり、あちこちで会話が始まって、その場で生まれたものが作品に影響するとか。コロナになる前は「意味あるのか」とか「無駄だ」とか「カットしたい」とかそういうものがいっぱいあったけど、実際ショートカットできたらそれはそれで微妙で。でも多分コロナが起こらなくても時代は便利になっていったと思う。みんな効率化しようとして。で、それがコロナによってその流れが加速したことで「あ、あんまよくないかも」って結果的に早めに気付けているのかも。

山本奈衣瑠:オンラインのコミュニケーションって、相手の感情とか内面とか、肌で感じ取れる部分が分かりにくくなるよね。人間の皮膚の、触れていないけど同じ空気に私たちが触れているっていう感覚があって、だからこそ生まれるクリエイティブなものがたくさんあったんだなって感じて。自分たちが大切にしていた空気って物体で見えるものではないけど、映画とか文章で頑張って絞り出すわけじゃん。そのときに、肌で触れ合っているわけではないけど、同じ空気を介して触れ合っているということがすごく愛おしいなって感じた。

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平山潤

平山潤:コミュニケーションの部分はオンラインになっていっているけど、今回はクリエイティブの現場がどうデジタルになっていくのかっていうところも話したい。ソニー・ピクチャーズの『DIVOC-12(ディボック-トゥエルブ)』というオムニバス映画の一篇、『ユメミの半生』は「バーチャルプロダクション」という手法で作られたんだよね。監督である上田慎一郎氏が言うには、この技術はデジタルだけどアナログっぽいと。最新技術なんだけど、手作り感とかDIYな感じがあるらしい。そこがすごく印象的で、デジタルだけどアナログな現場になっているっていうのは面白いなと思った。今後どういう可能性があるんだろう。枝さんの率直な意見はどう?

DIVOC-12(ディボック-トゥエルブ)
株式会社ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントが発足させた、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)により大きな影響を受けているクリエイター、制作スタッフ、俳優たちの創作活動を支援するプロジェクト
ウェブサイトはこちら

上田慎一郎監督 作品『ユメミの半生』
出演:松本穂香 小関裕太
作品紹介ページはこちら

「バーチャルプロダクション」
高精細大型LEDディスプレイにゲームエンジンやカメラトラッキングを組み合わせた撮影手法(LED WALL + In-Camera VFX)。
ソニーPCL株式会社が、国内最大規模の撮影スタジオである東宝スタジオに、8K/440型のソニー製Crystal LEDを期間限定で設置。『ユメミの半生』の撮影で使用された。

枝優花:私も撮影するとき、CGではグリーンバックを使ってやるんですけど、その現場を遠くから見るとめちゃくちゃチープなんだよね(笑)。もちろん普段から脚本を見てカット割りを考えて、編集の繋がりを考えて、出来上がりはこうなるだろうっていう想像を脳内で常にやっているんだけど、それにしても現場では想像の限界がある。CGの撮影現場で「(多分)OKです」って言って編集室に入ると「ああ、こうなるんだ」みたいな。イメージのすり合わせが大変。なんで技術はこんなに発達しているのに、現場はこんなにアナログなんだろうって。

いつかこれは変わるもんだと思ってたんだけど、今回のバーチャルプロダクションっていう技術を見たときに、現場での仕上がりが目に見えて分かるからすごく良いなって思った。結局現場で大変なのって、仕上がったときにどうなるかっていうのを常にみんな想定して動かないといけないこと。でも正直自分の管轄外なことが多すぎて。だからディレクションしてる側としてはこれ(バーチャルプロダクション)があれば、仕上がりのイメージがつきやすくて、役者さんやスタッフさんにも伝えやすい。自分のイメージが具現化しやすいっていう意味ですごく良いなと思った。

やっぱり現場って、監督が一番作品のことを分かっていて、仕上がりもイメージできていて、各所からの質問に対して「私、こう思ってます」って言わなきゃいけないんだけど、内心「分からん」みたいなこともいっぱいあって(笑)。特にCGのところはそう思うことが多い。だから監督とスタッフとで(バーチャルプロダクションの)モニターを見て「あ、こうなるなら、ちょっとこうしようか」っていう現場で生まれるものが増えそうなのも期待できるポイントかもしれないです。

誰もが“クリエイターになれる時代”に本当に必要なこととは?

 SNSで手軽に発信ができるようになったり、簡単に使えるクリエイティブなアプリが増えたことで、誰もが“クリエイターになれる時代”になった。自分よりも下の年代から日頃「どうやったらクリエイターになれますか?」と質問を受けるという二人が考える、本当に必要なこととは。自身の経験を軸にした「一人のクリエイターとしてのあり方」を二人が語った。

平山潤:今は誰でもクリエイターになれる時代ですが、クリエイターが増えるということはいろんな視点が増えるということなので、作り手が増えることによって「自分も負けたくない」という良い刺激を受けることがあるのではと思います。いっぱいクリエイターがいるからこそ、Beというようなテクノロジカンパニーが個人のクリエイターと一緒にレーベルを作ることでサポートする活動も増えていくなかで、テックカンパニーと個人のクリエイターの新しい関係性が生まれ始めているのかなと思う。そのような取り組みに対しての期待などはありますか?

Be(ビー)
ソニーミュージックが立ち上げたソーシャルクリエイターレーベル。
SNSとYouTubeの、その先にいるクリエイターと向き合い、チャンネルと動画の、その先にいるファンとの新しい居場所を生み出している。
ウェブサイトはこちら

山本奈衣瑠:昔は、この人何考えているか分からないとか、私生活が見えないとか、そういうのに魅力を感じる部分ってあったと思う。かっこいいじゃん、そういうのって。私も今でもそういう人が素敵と思う部分もある。でも今はその個人が何を思って、どういう意見があってどういう感性があって、何が好きで、とか、そういう部分が大事なんだろうなと思っていて。YouTuberの人たちが人気なのも、その人が好きだから応援したいわけじゃん。その人の考え方とか話し方とか、その人にしかない部分に魅力を感じているからみんな見ていると思う。それを考えたときに、自分が何が好きで、何にときめいて、何をしたいと思っているかっていうのを、今日でもいいし明後日でもいいからそのくらいの範囲でも明確に持っていた方がいいなっていうのはすごく思った。かつ、それを出した方がいいなとも思った。

誰でも何かになれるってなったときに、みんなが平等なフィールドに立たされているって思ったらやっぱりちょっとでも自分ができることを世の中に出していた方が、信頼を得られるし、いろんな人がいるからこそ、やっぱりその人の作品じゃない部分が大事になってくるじゃん。やっぱり変な考え方を持った人を応援するかって聞かれたらそれって違うって思うし。だからたまに自分もインスタライブやってみたりするし、質問を募集することもある。そこに信頼が生まれるとその人の作品をみたときに厚みも出るし。そういうのは「かっこ悪いから」という次元ではなくなってきているんじゃないかなと思った。

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枝優花:よくSNSで下の世代の人たちから質問をもらうがあるんですけど、そのときに「どうやったら監督になれますか」とか「どうしたらやりたいこと見つかりますか」と聞かれて。その度に毎回どう答えたらいいかすごく悩むんです。でもクリエイターとか映画監督って、その人にしかできないものがあるからこそ、そのクリエイティビティやアイデアが必要とされると思う。だから、ものづくりの導入として、見様見真似でそれっぽくやってみたり流行りをなぞって作ってみることは良いとしても、そこから得たことが自分に向いている・向いていないとか、「これが面白かったから、あれと組み合わせてみよう」とかを考えながら、自分にしかできないものをどんどん作っていくのが大切なのかなと。その試行錯誤の過程を楽しいと思えるかどうかでも変わってくると思う。

でも多くは、「自分が何者かになりたい」っていう結果から考えてしまっているから、結果的にクリエイティブとかけ離れてしまう、というのがすごく難しいと思っていて。自分自身が何が好きで何が面白いと思っているかに向き合わないといけないと思うし、そこに向き合わず、なりたい自分像に向かって走って行っちゃうと、どこかで「自分ってなんでこれやってるんだっけ」となって、またそこで「やりたいことがない」振り出しに戻ってしまう。

私の話になっちゃうけど、私は友達がいなかったから自分と喋るしかなくて、自分のなかで「自分はこういうのが好きなんだ」とか「自分はこうなんだ」というのを必死に考えていた。友達がうまく作れない自分が本当にコンプレックスだった。でもあの頃、自分と向き合う時間があったからこそ、この人生があるなと今は肯定できます。自分が好きなものを理解している姿や突っ走る姿を誰かが見て「いいな」と思ってくれることがある。それが時代的に求められているっていうのも分かっているし、撮った映画一本だけじゃなくてその映画を撮るまでのビハインドがストーリーとして求められていると思うんです。映画を撮り終わるまで、そして撮り終わってから、この監督がどういう人なのか、みたいなところまでがセット。例えばこの女性の監督はどうしてこの映画を撮っているのか、とか。でも(作り手が)それを演じる必要はなくて、自分が魅力的であることが一番ベストなクリエイティブになりうるからこそ、自分がどういう人間であるかというのを深く理解しておくことが大事だというのは常々思っています。

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新しい技術を肌で感じる日

 目前に控えたUNLOCK with Sony。新しい技術が普及しクリエイティブの現場に導入される日を思い描く二人は、純粋にときめく表情のなかに、時折仕事人としての表情を覗かせた。
 テクノロジーの進歩と誕生。これは決してクリエイティブの世界で仕事をする人だけに贈られるプレゼントではない。息をのむような新しい体験、そして日常の心躍る瞬間を愛するす全ての人に贈られるものだ。私たちの想像を軽々と超えてゆくオルタナティブな体験は、今後ますます増えていくだろう。それと同時に、アップデートされないアナログなものへの愛おしさも確かに存在する。日常やクリエイティブな現場での選択肢が多様になることで、より多くの人が自分という人間の内面を深く理解し、それがしなやかな表現に繋がるかもしれない。

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