悪者を“完全な悪者”にしない。話題作『タロウのバカ』の大森立嗣監督の日本社会へのアンチテーゼを聞いた

Text: 佐々木ののか

Photography: Kotetsu Nakazato unless otherwise stated.

2019.11.28

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2019年11月14日、下北沢の本屋B&Bにて、映画『タロウのバカ』の公開記念イベントが行われた。

同年9月より全国公開となった本作は、名前も戸籍もない少年タロウ(YOSHI)と、鬱屈とした毎日を過ごしていた高校生のエージ(菅田将暉)とスギオ(仲野太賀)による、生と死の狭間を駆け抜ける獰猛な青春映画。

障がい者施設で人が理不尽に殺害される冒頭のショッキングなシーンにはじまり、暴力に次ぐ暴力、援助交際、レイプ、育児放棄といったテーマが作中に点在。主人公3人が“社会のシステム”からはみ出した者として描かれているのはもちろん、アウトサイダーを描いた映画の系譜さえも打ち破る破格の“問題作”が誕生した。

※動画が見られない方はこちら

メガホンをとったのは、『セトウツミ』『日日是好日』『さよなら渓谷』などを手掛けた大森立嗣(おおもり たつし)監督。本作はデビュー作である『ゲルマニウムの夜』より10年以上前の1990年代前半に書き上げたオリジナル脚本に、現代にふさわしい要素をいくつか加えたもの。監督自身が10代の頃に味わった生きづらさや暴力的でアナーキーな高校時代の空気感が凝縮された、とりわけ思い入れの深い作品だという。

NEUTでは、大森監督へのインタビュー記事を9月に掲載。そのご縁で、執筆を担当した私、佐々木ののかが今回のトークイベントに参加させていただく運びとなった。

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左から佐々木ののか、大森立嗣監督

イベントが行われたのは、20時~22時までの2時間。前半は大森監督と私、宣伝担当の小口心平(おぐち しんぺい)さんの3人でのトークがメインで、後半では会場にマイクを渡し、来場者が監督とアットホームに直接話をする時間も設けられた。集まった来場者のなかには13回も観たというマニアと呼ぶべきファンのほか、5回以上観たという方も数名。そのほか監督に思いの丈を伝えるために北海道から来た方、鳥取から上京して初めて観た映画が本作で感銘を受けた方など、濃厚な『タロウのバカ』のファンたち30名ほどが訪れ、会場の熱を上げた。

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なかには「どうしてこんなに売れなさそうな映画を作ったんですか!」という素朴な疑問を直球でぶつける猛者もいたが、どんな質問や意見にもフラットかつうれしそうに回答する監督の表情が印象的だった。

本記事では、トークの前半で話された話題の一部を紹介。『タロウのバカ』を観た方はもちろん、まだ観ていない方も、イベントの断片をぜひ目撃してほしい。

「『わからない』を否定だと思わない、むしろ圧倒的な肯定」

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トークの開始後、私が最初に質問をしたのは『タロウのバカ』に対して寄せられる「よくわからない」といった感想についてだ。以前のインタビューで、大森監督が「公約数的に『共感する』映画の観方ではなく、『(異なる他者)を目撃する』という映画の観方がある」と話してくれたことが新鮮に映り、その後も色濃い記憶として残っていた。

しかし「わからない」という感想はしばしば批判の文脈に回収されてしまう。「共感できない映画は良くないのでしょうか」という、のっけから突っ込んだ質問にも、監督は笑いながらこう答えてくれた。

大森立嗣監督(以下、大森):実生活でもね、相手が何を言っているかわからなかったら「もう全然わかんない」とかすぐに言っちゃうほうなのね。でも、その人のすべてを否定しているわけでは全然なくて、むしろ認めている。だって、そこに存在している人の否定なんてどうやってするの?(笑)だから「わからない」ってことは否定じゃないんだよね、俺にとっては。

こうした、監督の人への向き合い方は「目撃する」映画の観方にも関係している。

大森:最近のTwitterも「いいねの共感地獄」みたいなところあるけどさ、「わかる」って言われたら「あ、わかるんだ」って思ってそれ以上話さなくてもいいなって思っちゃうんだけど、俺自身が理解できない人がいたら「え、何考えてんの? なんでなんで?」って色々聞きたくなるっていうか。今回の映画はそういう「わかるわかる」からは離れたところで見てもらっても全然いいかなって思っているし、そういうところに映画の観方のヒントがあるんじゃないかなって思うんだよね。

共感を公約数的に重ねていくのは心地良い。自分が見たい世界だけを観ることができるからだ。しかし、それは裏を返せば、自分が誰かにとっての観たくないものと判断された瞬間に、その人の世界から弾き飛ばされてしまうことを意味する。万人に受け入れやすい価値観しか残らない世界は、それがどんなに“正しい”価値観であっても全体主義的ではないか。そうした現代の日本社会へのアンチテーゼとも言うべき想いは、大森監督の映画づくりの根底にも流れている。

大森:今日さ、駒澤大学で『日日是好日(にちにちこれこうじつ)』の上映会の後、仏教学者でもある大学の総長 永井政之(ながい せいし)さんと対談してきて、その言葉の成り立ちについて説明してもらったんだけどね。すごく簡単に言うと、戦争に駆り出されそうになった坊主が腹が減ったからっていう理由だけで逃げ出すの。そうやって逃げ出して何もかもを失った坊主がやぶれかぶれで「今日という日を良い日って言うしかねぇだろ」って言ったのが所以なんだって。そういうどうしようもない人間を許していくお坊さんの世界っていうのが、すごく豊かに聞こえたんだよね。今の社会はドロップアウトした奴を許してくれないじゃないですか。そういう想いは映画をつくるときに常にあるかもしれない。

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また、ストーリーが展開してはいくものの、決してわかりやすくはないところも本作の特徴だ。そうした断片的な物語の楽しみ方についても、こんな風に話してくれた。

大森:この映画が断片的なのもわかりにくいと言われる所以なのかもしれないけど、川のように流れていくストーリーがいいものだと思いすぎだよね。断片を見て、その間を想像していくっていうこともすごく楽しいことなんですよ。理屈に落ちることは危険だってニーチェなんかも書いてたしね。

「一見ハードながら、視点はやさしい映画」

トークも中盤に差し掛かり、宣伝の小口さんが口にしたのは「やさしさ」というキーワードだった。劇中のエイジとスギオの死後、河原でフットサルをする他の子どもたちをタロウが眺めるラストシーンを見て、タロウを応援したくなるような、ポジティブな気持ちになったと話す小口さん。「一見ハードながら、視点はやさしい映画」と熱く語る小口さんの意見を頷きながら聞いていた。

私が印象的だったのは、奥野瑛太(おくの えいた)演じる半グレの吉岡の描き方だった。タロウたちにとっては“敵”である彼らにも生きづらさが感じられ、悪者を完全な悪者に仕立てないまなざしがやさしいと感じた。

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左奥が宣伝担当の小口心平さん

小口さんの「やさしい」というコメントを受け、「今日一緒に講演をしてきた駒澤大学の総長にも『やさしい』って言われちゃいましたよ」と少々照れた様子で話していた監督。“悪者をつくらない”映画の作り方については、日本でもヒットを記録しているアメリカ映画『ジョーカー』を例にとりながら、こう話してくれた。

大森:勧善懲悪的な描き方は、もう水戸黄門以外で通用しないよね。たとえば、社会学者の宮台真司さんが『タロウのバカ』と『ジョーカー』には通じるものがあるとよく言ってくれているんだけど、ジョーカーの大ヒットは、9.11以降のアメリカではっきりした善悪をつけにくくなったことを表出していると思うんだよね。日本も当然そうで、逆に僕らが生きている世界を勧善懲悪的に描いていたら誰も観たいって思わないんじゃないかな。

また、勧善懲悪的に描かないことは「その俳優が何を感じるか」を大切にする大森監督の演出論にも通じている。

大森:タロウたちの敵にあたる吉岡っていう役柄の男にも何か感じるものがちゃんとあるし、吉岡を演じる奥野瑛太という生身の肉体を持った人間にも当たり前に考えがあるでしょう。葛藤を感じて表現するのが俳優の才能だし、表出された感情をどう扱うかっていうのは監督の仕事。それがやさしいのかどうかはわからないけどね。

「タロウがバカになったんじゃない、バカになったのは人間だ」

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トークも終盤に差し掛かり、私が最後に尋ねたのは、作品全体に流れる「死」についてだ。死の象徴として登場する舞踏集団「大駱駝艦(だいらくだかん)」のほか、作品の至るところに死が当たり前に散りばめられている。本作以外でも大森監督作品では死が重要なテーマとなっているものが多く、死とは一見関係のないようにも思える『日日是好日』についても「茶室は死の表象でもある」と過去のインタビューで語っていた。

監督にとって「死」とはどのような存在なのか。尋ねてみると、死にまつわる作品に触れたことが原体験として浮かび上がってきた。

大森:北野武(きたの たけし)監督の『ソナチネ』という映画を観たときにものすごい死の匂いを感じて衝撃を受けたんですよ。あとはね、『劇場版 あしたのジョー2』では、最後にジョーが真っ白になるじゃないですか。死んだかどうかはわからないけれど、真っ白になる。あのシーンを見たときに感動したというか、すごく心が動かされたんですよね。両親も生きているし、どうしてこんなに死を意識しているかわからないんだけど、今でもあのシーンは大好きなんだよね。もしかしたら今までに観た作品が少なからず影響しているのかもしれない。

本作における「死」に関する事柄で最もインパクトがあったのは、やはり主人公であるスギオとエージの死だろう。タロウは彼らの死を理解して泣く。逆に言えば、言葉を知らないタロウは、実際に身近な人が死に、呼びかけても動かなくなったという一次情報を以てしか死というものを理解できなかった。

これは一見すると、とても不便なことのように思える。しかし、言葉やスマホ、PCなどを介した実態のない情報だけで構成されている世界に、監督は疑問を投げかける。

大森:この映画のパンフレットにもコメントを寄稿してくださった人類学者の山極壽一(やまぎわ じゅいち)さんはゴリラの話をよくしてくれるんだけど、ゴリラは意識としての死を持っていない動物だよね。対して、一般的な人間は死を意識してしまう動物。そのことが本当に幸せなのかなということは、この作品で問いかけたかったことのひとつなんだよね。

さらに、人間にとって言葉という存在がどう作用しているか。今一歩踏み込んで、こう語った。

大森:昔、何かの本で読んだんだけど、小説家の中上健次(なかがみ けんじ)さんのお母さんは文盲だったって言うじゃない。字が読めないと、匂いとか視覚で目に飛び込んでくるもの、耳で聞こえるもの、相手が触れた温度が温かいのか冷たいのかといった、ものすごく一次的なことからしか情報を得られない。もちろん日常に文字があったほうがいろいろなことが経験できるし、逆に言葉が読めないと社会生活を送っていくうえではきついんだけど、なくても生きていけるといえば生きていけるわけで、どっちが本当の意味で幸せなのかなということはよく考えるんですよ。当たり前の話なんだけど、その感覚を忘れちゃいけないんじゃないかなっていうのはすごく思うんですよね。

前半のトークの最後に、山極壽一さんの言葉を引用して監督はこう映画『タロウのバカ』に込めたことについて話してくれた。

大森:山極さんが「タロウがバカになったんじゃなくて、バカになったのは人間だ」と言ってくれて、ものすごくうれしかったんですよ。俺が普段思っていることって、そういう感じのことなんですよね。触れたときに温かいって思ってくれる人間のことを信用したいとか、そういう感じなのよ。言葉ひとつ取ってもやさしい声してんなとか、俺ってまだキツい声出しちゃってるかなとか、それを感じてくれる人間のことをやっぱり信用したい。

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トークの終盤に差し掛かるにつれて、熱を帯びた声で映画への想いを語ってくださった大森監督。正直なところ、私は1回観たきりでこの映画について何もわかっていなかった。ただ、生きている実感がどこからともなく湧いてきて、奮い立たされたことは紛れもない事実だ。きっとそれは登場人物たちの圧倒的な“生”が炸裂し、監督自身の血が通った作品だからだろう。

何度観ても共感できず、一向に他者でしかないかもしれない。しかし、だからこそ、納得できるまで何度でも観てしまったという人たちの気持ちがわかるような気がした。

私たちはタロウに問われている。
言葉や意味の世界から逸脱した、“理解不能”な人間たちの生き様を、劇場で目撃せよ。

『タロウのバカ』

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9月6日(金)より、テアトル新宿ほか全国ロードショー
12/7(土)ユジク阿佐ヶ谷にて、12/14(土)下北沢トリウッドにて公開。
配給:東京テアトル
(c)2019「タロウのバカ」製作委員会

監督・脚本・編集:大森立嗣 
出演:YOSHI、菅田将暉、仲野太賀、奥野瑛太、植田紗々、豊田エリー、國村隼 

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大森立嗣(おおもり たつし)

1970年、東京都出身。大学時代に入った映画サークルがきっかけで自主映画を作り始め、卒業後は俳優として活動しながら荒井晴彦、阪本順治、井筒和幸らの現場に助監督として参加。2001年、プロデュースと出演を兼ねた奥原浩志監督作「波」が第31回ロッテルダム映画祭最優秀アジア映画賞“NETPAC AWARD”を受賞。その後、荒戸源次郎に師事し、「赤目四十八瀧心中未遂」(03)の参加を経て、2005年「ゲルマニウムの夜」で監督デビュー。第59回ロカルノ国際映画祭コンペティション部門、第18回東京国際映画祭コンペティション部門など多くの映画祭に正式出品され、国内外で高い評価を受ける。二作目となる「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」(10)では第60回ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式招待作品に選ばれ、2010年度の日本映画監督協会新人賞を受賞。13年に公開された「さよなら渓谷」(13)では第35回モスクワ国際映画祭コンペティション部門にて日本映画として48年ぶりとなる審査員特別賞を受賞するという快挙を成し遂げる。さらには、「さよなら渓谷」「ぼっちゃん」(13)で第56回ブルーリボン賞監督賞も受賞。また「日日是好日」(18)では、第43回報知映画賞監督賞を受賞する。その他の監督作として「まほろ駅前多田便利軒」(11)、「まほろ駅前狂騒曲」(14)、「セトウツミ」(16)、「光」(17)、「母を亡くした時、 僕は遺骨を食べたいと思った。」(18)がある。

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佐々木ののか

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文筆家。1990年北海道生まれ。「家族と性愛」をメインテーマに、インタビューやエッセイの執筆を行う。最近は動画制作や映画・演劇のアフタートーク登壇、アパレルの制作など、ジャンルを越境して活動中。

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