AIによる自動運転の実用化、ブロックチェーンやIoTによるデジタル革命……。近未来に起こるであろうこれらの技術革命が芽吹きつつある昨今は、まさに時代の転換期だと言える。
そんな時代の変わり目に、スマホを捨て、都会から離れ、日本で野生のトキが唯一羽ばたく、新潟県の佐渡島に移り住んだ9人の若者がいる。
彼らは、これまで世界50カ国で6,000回以上の公演を行ってきた、太鼓芸能集団「鼓童(こどう)」の研修生。
島の南東にある研修所で共同生活を送る彼らは、毎日5時に起き、稽古に明け暮れ、22時には床につく。身の回りの雑事はすべて自分たちで行う。世間の動向を知る情報源は新聞のみ。
このような生活を2年続けて、鼓童の正式なメンバーになれるのはたった数人。大半は夢破れて島を去るこのシビアな世界で、彼らは今日も、一心不乱にバチを振るう。
今回、Be inspired!は佐渡島での取材を敢行し、彼らの“青い声”――若さゆえの大望、先の見えない道を行く不安、親元を離れたことによる自立心の芽生え――を聞いてきた。
そしてそれらを、3つの記事に分けて紹介する。
第3弾は、石井 彰馬(いしい しょうま)、 新山 萌(にいやま もえ)、定成 啓(さだなり けい)の3人。
▶︎『“スマホを捨てた若者”が、太鼓に夢を懸ける理由 VOL.1』はこちら
▶︎『“スマホを捨てた若者”が、太鼓に夢を懸ける理由 VOL.2』はこちら
石井 彰馬 Syoma Ishii 19歳
ー太鼓を始めたのはいつですか?
3歳です。幼稚園児から上は60歳ぐらいの方がいるチームに入って、そこで高校卒業までやってました。数あるプロの太鼓集団から鼓童を選んだのは、中学生の時に見た公演の衝撃からです。
太鼓ってこんなに格好良く叩けるんだ、俺も鼓童の舞台に立ちたいと思いました。
小学生の時からちょくちょく鼓童の公演は観に行っていて、以前はそこまで惹かれていなかったんですけど。
ー何か心境の変化があったんでしょうか?
そういえば、その頃はちょうどバスケで挫折を経験していたときでした。
小学生の時から太鼓と並行してバスケを始めたんですが、その理由は、当時の俺が太鼓をダサいと思っていたからです。
友達は太鼓をよく知らないし、馬鹿にもされました。だからバスケで見返してやろうと思って、太鼓はそっちのけでバスケばかりの毎日でした。それでそこそこいいところまでいって。
でも、地域の選抜チームに入ったあとに、身長が小さいという理由で外されてしまって…。
ーそこで挫折を味わったと。
そうです。
ーそんな時に鼓童の公演を観て、なぜ再び太鼓への情熱を取り戻したんでしょうか。
結局バスケは格好よく見られたいという、自分本意のモチベーションが大きかったんです。結果的に身長も伸びたので、バスケを続けようと思ったらできたんですけど、なぜかあまり真剣になれなくて。
太鼓を叩くときは、公演を見てくれる方に、何かエネルギーを与えたいという気持ちが根底にありました。太鼓は自分のためじゃなく、誰かのためにというモチベーションが先にあったんです。その違いは大きかったと思います。
ーその「誰かのために」と思うようになったきっかけはありますか?
これまでたくさんの人に支えられてきたからかもしれません。
中学生の時に足の指を骨折したんですが、それがかなり酷くて、まともに歩けなかったんです。ちゃんと治さないと歩けなくなるかもしれないってレベルでした。
だから母が毎日学校や病院に送り迎えしてくれていたんですが、当時はその苦労も分からずに、「早く来いよー」なんて文句を言ったりしてて。
ー後から気づいたんですね。実はあの時すごく助けてもらっていたんだなと。
そうですね。振り返るとあの時は母の他にも、いろんな人にお世話になりました。
母がいないときはおばあちゃんがご飯を作りに来てくれたり、歩けないからって友達が家まで遊びに来てくれたり。そういうみんなの助けがあったから、今ここに居られるんです。
だから俺も、人のために何かしたいと思うようになったんだと思います。そのための太鼓なんです。
ーじゃあ鼓童の舞台に立った自分の姿を見せることが、一つの恩返しになりますね。
はい。ここに来るまでずっとお世話になっていたチームや先生、友達、家族に、いつか鼓童の舞台に立った姿を見せられたらと思います。
新山 萌 Moe Niiyama 19歳
ーなぜ研修所に?
私は小さい頃からなんとなくで人生過ごしてきたんですが、そういう自分を変えたかったんです。なんとなく生きている自分が嫌だったんです。強くなりたくてここに来ました。
ーこの研修所でどんな自分なりたいと思いますか?
憧れるのは、その人が舞台に現れるだけで会場の空気が変わるような人ですね。純粋にその演奏で観客を魅了する人です。
その人の演奏に対する納得感というか、「すごい、さすが〇〇さんだ!」って思わせる人。私はそういう人になりたいというか。
ー「自分だけの演奏で認めてもらいたい」という夢があると聞きましたが、「認めてもらいたい」というのはどういう意味ですか?
「またこの人を見たい」と思わせたいということです。
ーそういう人になれそうですか?
いやあ…まだまだです。
ーあと1年後に正式にメンバー入りできるかどうかが決まるんですよね。
そうなんです。焦ります。
でも、焦らないと始まらないというか。メンバーの方に言われるんです、「焦らなくなったら終わりだよ」、「焦る中で見えてくる答えもある」って。
確実じゃない道を歩き続けるしんどさはありませんか?
うーん……もしメンバーになれなかったらという不安はあります。でも、やる前から未来のことを考えてもどうしようもないので。
それにどこで折れたとしても、それまでやってきたことの意味がなくなるわけではないですし、できることを精一杯やった末の結果は、なんであれ受け入れられるなって、今はそう思います。
ー焦りもあるし、不安もあるけれど、出た結果を受け入れる準備はできていると。
はい。
ー達観してますね。
私は太鼓で生きていきたいというより、他に熱中できることがなかったんですね。「自分の人生はそういうものなんだ」と思って生きてきました。
でも、太鼓の他にも熱中できるものがあるのかもしれないとか、最近はそういうことも考えるんです。
ーなぜそういう風に考えるようになったんでしょうか。
昨年まで研修生にノルウェーの方がいたんですが、彼女は添加物についてすごく気を使っていたんですね。「コンビニに売ってあるような食べ物は安くてすぐ食べられて便利だけど、ノルウェーの人はあまり手に取らないよ」って。
添加物なんてあまり気にしたことがなかったから、そういう常識もあるんだな、私の知らない世界はまだたくさんあるんだなとその時思いました。
研修所でみんなと過ごす中でもそう思うことがあるんです。だから…なんというか。
先ほど「焦る中で見えてくる答えもある」というメンバーの方の言葉がありましたが、まさに今がそんな状況かもしれませんね。
そうかもしれません。今は目の前のことに必死なので。
とにかくあと1年、これまで以上に努力していこうと思います。
定成 啓 Kei Sadanari 19歳
ー太鼓を始めたのはいつですか?
小学生の時ですね。おじいちゃんが太鼓のチームに作っていたので、最初はしょうがなくって感じで。それで高校生まで続けて、こっちに来ました。
ー最初はやらされている感覚だったと?
はい、もう大嫌いでしたから。
ーいつから自分ごとになったんですか?
小学校の高学年になると、チームの友達といるのが楽しくなってきて。メンバーも変わっていったんですけど、年上もいれば年下もいて、幅が広いんですね。ある程度年齢が上がると子どもたちに教えたりとか。
ー年齢を問わずできる競技だから、世代を超えて人とつながれるんですね。
そうですね。その中で気の合う仲間ができて、それが楽しくて、ずっとやってきた感じです。
ープロになろうと思ったのはいつですか?
高校生の時です。他のチームも考えたんですが、やっぱり歴史があって王道を行くのが鼓童なので。鼓童を知ったのは、小学生の時にイベントで共演させていただいた時です。
ー研修所は特殊な生活環境だと思いますが、約1年過ごしてみてどうですか?
高校の時は朝と夜が逆転したような生活で出席もギリギリだったので、たぶんここにいなかったらダラけてたと思います。適当に大学行って、適当に遊んで。そういう生活は楽ではあるんですけどね。
だからみんなに変わったと言われました。体型とか生活リズムとか。
あとほんの少しだけ心が広くなったかなと思います。昔はすぐに頭にきていたんですが、それを抑えられるようになって。研修所ではムカつくことも多いんですよ。9人で共同生活してたらいろいろ言い合いますから。
ープライベートな時間がないのがきついですね。
そうなんです。昔は一人が嫌いで、すぐに外に遊びに行ってたんですけどね。
ーこういう閉鎖的な生活と、友達の進学や就職で広がっていっている生活と比べてどう思いますか?
こっちに来ると決めてから人の倍以上は地元で遊んだので。まあ学生の遊びなんてたかが知れているんですけど。
ー友達は今は遊んでいるんでしょうか。
そうですね。遊んでるやつもいれば、一人で上京して仕事を頑張ってるやつとかもいて。人それぞれですね。
ー友達に何か太鼓で表現したいことはありますか?
一緒に頑張ろうよって伝えられたらいいですね。
給料が低いとか、休みが少ないとか言ってるやつも多いんですけど、それに対して直接何か言うと説教がましくなっちゃうし、自分が言える立場でもないので。
誰だって不満はあるし、きついこともあるだろうけど、だから何かを成し遂げられるんだって。いつか鼓童の舞台に立って、背中というか、姿勢でそういうことを示せたらと思います。
こんな時代に、結局何をすればいいのかって?
ここまで3つの記事に分けて紹介してきた9人は、スマホを捨て、それぞれの意思を持って、レールのない真っ白な地図の上を歩き始めた。
それを若さゆえの無鉄砲さと取るか、勇敢さと取るかはあなた次第だ。
ただ、2年かけても結果が出るとは限らない道を進むのは、まったく合理的ではないだろう。正直な話、私ならできない。しかし彼らは、口をそろえてこう言うのだった。
「でも、とにかく行動しないと何も分かんないじゃないですか」
結局、歩くことでしか先には進めないのだから、何が待ち受けようと行くしかない。そう言わんばかりに。
こんな時代に、結局何をすればいいのかって?
自分の道を自分で決めて、開拓していく。それしかないのだろう。
▶︎KODOの関連記事はこちら
・スマホを持っていない“ミレニアル太鼓研修生”がバチを振るう理由 VOL.1
・スマホを持っていない“ミレニアル太鼓研修生”がバチを振るう理由 VOL.2
・【ギャラリー】写真家Lui Araki撮り下ろし:KODO
鼓童展覧展「青い太鼓」
鼓童展覧展「青い太鼓」が中目黒にて開催されます!
写真家 荒木塁が、実際に佐渡に足を運んで、研修生の姿を撮影した20点の写真と、9本の動画が展示されます。
日時:5/8〜5/13 11:00~18:30
場所:W+K+ Gallery
153-0051 東京都目黒区上目黒1-5-8
Google Map:https://goo.gl/maps/Yuv3bKnFrgL2
太鼓芸能集団鼓童の研修生。
彼らの音には観客もいなければ
スポットライトを浴びることもない。
あるのは己の体だけ。
しかし、自分を信じて叩き続ける彼らの太鼓は
あまりにも虚しく美しい。
これは覚悟を決めた何者でもない者たちによる
等身大のポートレイト。
「青い太鼓」
※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。