「さ、畑やってみよっ」都市での野菜づくりHOW TO教えます!|FEEL FARM FIELD #002 後編

Text & Artworks : Lisa Bayne

2022.3.15

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前編に引き続き、後編では山梨で過ごした7月について綴る。

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0siteに到着してすぐ、友人のumiちゃんがヤギと散歩してました。

すべての野菜は誰かからの贈り物で、財産である

さらに2週間が経ち7月に入ると、前回の連載記事に登場した0siteのイベントへ友人を誘って参加した。2021年に0siteで行われてきたイベントはさまざま。春の梅の収穫の会から、火おこし、珈琲の生豆を焙煎、11月には音楽家や料理家が集ってイベントも。そして7月が、北斗市の山奥にある0siteならではの蛍を見る会。梅雨が終わり川のそばで静かに次の生命につなげるべく集まり光る蛍を、静けさと涼しさだけが漂う星空の下を散策しながら探すイベントだった。もちろん、どのイベントも0siteや周辺で採れた野菜を使った料理が出され、時期が合えば畑の農作業を手伝うこともできる。前乗りして山梨に行った私は、イベントの前に自分の畑へ向かった。

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左:レタス、右:ルッコラ

つやつやとした立派なレタスとルッコラがなっていて、無事に食べることのできる野菜が育ったことが本当に嬉しかった!実を言うと、前編で綴った茄子やトマト、きゅうりは1つも実が育つことなく季節も終わり、枯れてしまったんです。夏の雨の少なさによる乾燥と水不足、途中当たった台風による被害や猪などの動物による被害、そして土の性質や植える時期が原因だったりもする。どれが決定的な原因かは誰に聞いても一概に言えないという答えが返ってきました。そしてこれらの要因というのは自然栽培だからこそ出てくるもの。

それぞれの野菜、それぞれの環境と共存しながら化学物質を使わないからこそ、そこに存在している個性と付き合っていかなくちゃならないことを知りました。先人はそうやって食と向き合い、自然と共に生死の循環を繰り返していたと思うと本当にすごいと思った。近年流行の1つとも言われるコンポストというのは何世代も前から当たり前のように行われているわけだけど、その中には動物や人間の老廃物となる糞も資源であり肥料として使われていた。けれど、現代はそれが可能だとしても、むしろ土の生態系を壊してしまうんだって。それは、私たちは化学物質や加工食品、服薬によって自然のものでできていないからだそうだ。それくらい、自然の中で育った野菜というのは財産なんだと思った。

その日、何より楽しみだったのが、私が育てた2つの野菜をイベントの参加者や友人、畑のきっかけづくりをしてくれた人に初めて食べてもらうこと。一生懸命作った手作りの贈り物を誰かにプレゼントする気分だった!集合時間から少しずつ参加者がイベントスペースに集まり始めて、食事会が開かれた。

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ビートのポテトサラダと共に添えられたレタスと、中央には米麹のドレッシング。灯りのともった素敵な夜。

「私が育てた野菜だよ!」といつもだったらでしゃばるのですが、なんだか気恥ずかしさと緊張とでもじもじしながらみんなの様子を伺っていたのを覚えています。採れたての野菜はしっかりと味がある。臭みも青みもなく、不思議なことに甘いのだ。テレビや雑誌で見る採れたて野菜の甘味というのは本当なんだと思わされる。

活き活きしていて、本当に!美味しかった。そうして食を共にしながら野菜の話、山梨の話、0siteの話やそれぞれがここに行き着いた経緯の話で繋がっていくその場の時間を見るのが嬉しかった。まさに、手作りした贈り物を喜んでもらって、関係性が深くなっていくような気持ち。どの野菜も誰かからの贈り物であり、私たちの身体に財産として取り込まれていくのだ。

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初めて山梨へ降り立ったとき、生産者として立派な畑をいくつも持つ、とある農園へお邪魔して手伝いをさせてもらったことがある。スナップエンドウの収穫をしているとき、規格外になる採れたてのものをその場でパクッと食べてみた。とにかく、甘くてジューシーで、活き活きとしていてとてつもなく美味しかった。ちょうどこの記事を書いてたとき、冷蔵庫にスナップエンドウがあったので以前のように生でかじってみた。これが渋いわ苦いわ、パサパサで…塩で茹でて食べました。同じ野菜でも全く違うものだった。そしてまた、今度はお世話になっている人が育てたピーマンも同様、かじってみていた。あの苦いイメージのあるピーマンが、甘いのだ。この採れたての野菜に通ずる甘さってなんなんだろうか。甘いのが美味しいのか。美味しいから甘いのか、よくわかんなくなってきた。

実はその甘さというのは、野菜が種から収穫までの間に浴びた太陽という名の栄養が大きく関係しているんだって。この太陽から吸収して光合成をおこなった中で分泌された糖分が甘さに繋がるそう。吸収と貯蔵と消費を野菜自身の中で繰り返している。面白い。

そうして収穫されるわけだけど、貯蔵していた糖分が残っている間は2~3日。そりゃあ、とれて0秒のスナップエンドウと私の冷蔵庫に入っているスナップエンドウと比べるもんではないのかもしれない。人間以外の動物も、虫も、美味しくて栄養が詰まっているんだから食べてしまうのも無理ないか…と思ってしまった。困る人がいるんだけどね。

目の前の生産者からの贈り物であった野菜を口にした味覚を言葉にしてみるだけで、そうやって当たり前だけど触れてこなかったことが見えてくる。今度野菜を買うときは、どこの誰がここに送り届けてくれたのかを考えたり…味からさらに詮索できたりするから、面白いし楽しいな。

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収穫したルッコラはイベントの朝ごはんになりました。

さ、畑やってみよっ

さて、とは言いつつもみんながみんな山梨をはじめとした首都圏で畑を持つことはできない。畑を始めてからというもの、さまざまな場面で畑をやっていることにつっこんでくれる人が増えた。それは多分、東京のような大都市にいればいるほど、身の回りで畑を持っている人に出くわすことがないからなのかもしれない。そりゃあ身近でなければ畑に興味を持つことは難しいし、やることが現実的には思えないはずだ。けれど私たちはほぼ毎日毎食畑からやってきた食べ物にお世話になっている。意外と裏側を知らないけれど究極に身近なトピックなのだ。何を育てていてどうやって育てているのか、どれくらいで成長するのか、なんで始めたのか。私だって、初めはそうやって野菜や食べ物やそれを育てる人に興味を徐々に持っていって、今に至るのだ。
ということで、家の庭やベランダにプチ畑、作ってみませんか?HOW TOを写真とイラストでまとめました!

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この記事を見て読んで想像してみて、小さなきっかけから行動してみてほしい。オフラインでなにかを経験すると、なにかに触れてみることの大切さを改めて感じる。東京は少しずつ春日和になってきたので何かを育てるのがとても始めやすいタイミング。是非やってみてください!野菜をゼロから育てて、それを食べて、それが自分の生きるための栄養になるって、当たり前だけど不思議な感覚になるよ。
そうしてまた記事も終わりに近づいてきましたが、そろそろ私もまた山梨に出向いて次の時期のための畑準備をする頃です。今年は0siteに加えて、もう1つ北杜市内でお世話になっている農場で畑を持とうかな、次はどうやったら植えた野菜をなるべく成功させられるかな、とトライアンドエラーの構想ばかり進んでる。自然栽培だからこそ向き合って寄り添える畑づくりをする場所と、生産を目的とした栽培方法の両方をしてみようかな、とも。

実は、収穫することのできなかった果菜類を干して次の時期で植えられる種を用意していたり、野菜自身の生命力が私たちの生命力と類似していることを知ったりと、畑を始めてからまさにルーツをたどりながら食と向き合うことができています。今年はどんな野菜を育てられるかな…。乞うご期待!

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