「日本人のアイデンティティ」を東北の昔話を通して探求する映画『山女』の監督・福永壮志インタビュー

Text: Natsu Shirotori

Photography: Goku Noguchi unless otherwise stated.

Edit: Noemi Minami

2023.7.6

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 冷害に苦しむ18世紀末の東北の村。凛は、先代の罪を背負い、村人から蔑まれながらも父と弟と共に生活している。ある日、凛は父が起こした事件の罪を被り村を去って、山奥へと足を踏み入れる。

「村にいたって人じゃなかった」

 村社会のなかで、身分や性別を理由に差別を受け続けてきた凛。山奥に至って初めて、自分の人生を生き始める。

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 2023年6月30日より公開の映画『山女』。監督を務めたのは福永壮志(ふくなが たけし)だ。過去には西アフリカ・リベリアからニューヨークへ移住してきた男性の物語『リベリアの白い血』、北海道阿寒湖畔のアイヌの少年を主人公にした『アイヌモシㇼ』などを手がけてきた。人間と土地の関係性、人々のアイデンティティに関わる作品を作ってきた福永が、これまで映画作りとどのように向き合ってきたのか、そして最新作『山女』に込めた思いを聞いた。

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福永壮志監督

『才能』の定義の狭さに息苦しさを感じた10代

 北海道出身の福永は、大学進学を機にアメリカへと渡った。当時から映画監督になりたいという強い気持ちがあったわけではなく、日本における「普通」から逃れ、異国の地で自らの視野を広げることが目的だった。

「日本では高校を卒業すると、何をやりたいかも分からないのにできるだけ『良い学校』に行って、できるだけ『良い会社』に就職して……という流れがあるじゃないですか。その流れに沿って頑張ろうという気が全く起きなかったんですよね。そういった日本の『普通』とか『こうじゃなきゃいけない』というものに馴染めない自分がいて。アメリカは多民族国家だから、日本よりいろんな価値観・考え方に触れられるだろうと思って行くことにしました」

 大学入試がその後の進路を大きく左右する日本と異なり、アメリカでは自由度の高い転学や編入制度があるので、大学を変えたり専攻を変更したりする学生が多くいる。これも、福永にとっては大きな魅力だったという。大学での学びをきっかけに福永は、現在の活動につながる映画の道へと足を踏み入れた。

「映画自体はもともと好きだったんですよ。でも、日本にいる頃は現実的な選択肢としてあまり考えてなかった。僕は北海道の小さな町出身で、アートなどを真剣にやっている人とは普通に生きていたら出会えない環境だったから。それに、日本で芸術大学に行こうとしたら、入試の時点でデッサンなどで技量を測られますよね。アートは『才能のある人がやるものだ』という意識が僕のなかにも根付いていたし、その『才能』の定義がすごく狭いと感じていました。それに影響されて自分の将来の道も無意識に狭めてしまっていたと思います」

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 日本にいる頃には映画を作る道に進むことは現実的ではないと思っていたが、アメリカに行ったことで視野が広がったという福永。渡米していなければ、本当に自分のやりたいことができなかったかもしれないと振り返る。

「もちろんアメリカにも問題はたくさんありますが、自分はアメリカに行ったことでいろいろないい影響を受けました。学校でもどこでもみんなが自由に自己表現をしているので勇気付けられましたし、留学していなかったら映画作りを始められていたか分からないです」

北海道に生まれてもアイヌをよく知らなかった

 大学卒業後、福永はアメリカの制作会社で数年働いたのち、フリーランスで主に映像編集の仕事をしながら自主映画を制作。長編映画1本目となる『リベリアの白い血』が2017年に、2本目の『アイヌモシㇼ』が2020年に公開された。

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 特に『アイヌモシㇼ』は、福永が再び日本に目を向けるきっかけとなった作品だ。10年以上アメリカを拠点に活動してきた福永が、アイヌを題材に作品を作ったのはある気づきが理由だった。

「自分がアイヌのことをちゃんと知らないと自覚したのはアメリカに行ってからでした。僕は最初、ミネソタ州に住んでいたのですが、そこにはネイティブアメリカンにルーツを持つ人が多くいました。そのなかで、現地の人のなかにはちゃんと、『ネイティブアメリカンの土地を奪って今の自分たちがいる』という意識があることを感じていました。一方で、僕が生まれ育った北海道でも同じようなことが起きたのに、自分にはそういった意識がなかった。それで、もっと知らなければと思ったことがきっかけで、アイヌの映画をいつか撮りたいと思うようになりました」

 近年、漫画やアニメ、文化施設などの影響でアイヌの認知度は少しずつ上がってきている。ただ、そのなかでフィクションの映画でアイヌを題材にしたものは数少ない。ましてや、アイヌ民族の当事者がキャスティングされた作品はほとんどなかった。そこに問題意識を持った福永は、『アイヌモシㇼ』では実際に阿寒湖のアイヌコタンで暮らすアイヌの人々を起用した。

「フィクションの映画ではずっと、アイヌ役を倭人の俳優が演じてきました。それは、もうかなり前から世界的にみたら、やってはいけないことです。いろんなマイノリティがいますが、先住民族は資本主義社会の一番の被害者でもあります。そんななか、映像メディアのなかでまで搾取してきた側が先住民族を演じるというのは、越えてはいけないラインだと個人的には思います。残念ながら日本ではまだそういった意識が浸透していないのですが、だからこそアイヌの方をキャスティングして映画を作ることにはすごく意味があると思っていました」

18世紀の日本から現代社会に通じる、苦しさと豊かさ

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 『アイヌモシㇼ』は公開までに5年をかけて作り上げられた作品だ。その間、福永は撮影のために半年近く日本に滞在した。一度外からの視点を得たうえで久しぶりの長期間の日本滞在を経て、より強く日本人とは何か?日本のアイデンティティとは何か?に関心を寄せるようになった。その結果、2019年より現在まで拠点を日本に移して活動している。

「長い間海外にいると、日本の良い部分も悪い部分も、客観的に見られるようになりましたが、一方で、日本のことをまだまだ知らないなと気付きました。記事や本で読むのでは追いつかない部分もあって、実際に住んで日本を見直す必要があると思いました。それに、どこを拠点に何を作るとしても、自分のベースには日本があるんですよね。自分だからできる表現は何かを考えると、日本を外しては語れない。また日本から出るかもしれませんが、今は日本に住んで映画を作りたいと思うようになりました」

 そんな福永が新たに制作した映画が、2023年6月公開の『山女』だ。舞台は18世紀末の東北の寒村。民俗学者・柳田国男の『遠野物語』に着想を得て、制作された。古来から通じる日本の村社会の残酷な面とともに、深く美しい自然と人間との関わりが描かれる。

「『アイヌモシㇼ』を撮るなかで、歌や昔話などの口承文化に触れ、そこからかつての人々の生活や信仰などが伝わってきました。日本の昔の文献って、多くは権力のある人が残しているので、社会の端に生きる民衆が残したものは昔話とか伝説とかしかないんです。そのなかでも『遠野物語』には特別惹かれて、今ではなくなってきた日本の原風景や、日本人の精神世界の源流のようなものを感じて、それを映画という形にしてみたいと思いました」

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『山女』

 舞台こそ18世紀ではあるものの、主人公・凛が晒される苦しさは現代社会とも接続しているようにも見える。生まれた家に縛られて人生が翻弄されてしまうこと、村という社会のなかにある同調圧力、若い女であることで受ける性差別……。現代日本社会に通じる問題やテーマをできるだけ入れようという意識は最初からあったと福永は語る。

「脚本は『遠野物語』からインスピレーションを受けつつも、一から書いています。書いているときはコロナ禍だったので、当時の歪んだ同調圧力や日本社会に根深く存在する男女差別・女性蔑視の問題に特に目が向いて、この作品でも触れなければと思いました。あとは、問題だけではなくて、過去から今まで繋がっている人間と自然の特別な関係性や『日本人』って何なのか、という問いへも作品を作ることを通して、向き合っていきたいと思っていました」

「当事者」の声を世界に広げていくために

 さまざまなテーマで作品を作ってきた福永だが、一貫して人間のルーツや、アイデンティティが作品の軸にあることが分かる。難しい環境かつ自分と異なる立ち位置にいる人々の姿を描くにあたってどんなことを意識しているのだろうか。

「まず、当事者の声をできるだけ入れることを意識してますね。例えば、『リベリアの白い血』のときはもちろんキャストは現地の方にしたし、その人たちからの意見も取り入れました。『アイヌモシㇼ』のときもそうですね。主人公も本人役ですし、セリフを覚えてもらうというより、できるだけ自分たちの言葉で話してもらうようにしていました。今作に関しては、過去の話ですし想像の世界ではありますが、女性が主人公なので共同脚本家を女性限定で探して作りました。自分の想像や思い込みだけだとずれが出てくるので、そこをできるだけ埋めるように工夫をしています」

 日本ではまだ、当事者を起用する、当事者に話を聞くということが不十分なまま、作品作りがされていることが多々あるように感じる。そんな日本でも福永のように、一歩踏み込んだ議論をしながら作品を作っている人がいるのだ。

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 日本人や日本に関心が向いてきたという福永だが、その作品が届く先は日本に止まらない。最新作『山女』も、香港国際映画祭やカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭など、海外の映画祭にも出品されている。世界に向けて作品を届けていくための工夫も抜け目ない。

「英語でも脚本を書いて信頼できる海外の友達に感想をもらったり、ある程度編集がまとまったときに信頼できる監督やプロデューサーからフィードバックをもらうようにしています。予備知識がなくても、ちゃんと伝わるものをにしたいという思いがあるからです。一方で、本当にいいものができたときって、例え分からない部分があったとしてもいろんなボーダーを超えて広がっていきますよね。だから、こちらから歩み寄り過ぎるのもよくないなと思っています」

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 近年、福永は映画監督としてだけではなく、テレビドラマなど新たなジャンルの制作にも足を踏み入れている。今後どんな作品を作っていくのか楽しみだ。最後に、今後の展望を聞いてみた。

「映画作品で今作っているのはアイヌのドキュメンタリーです。日本に帰国した2019年から撮り始めて、ちょうど今編集が大詰めなので年内には完成する予定です。そのほかには、最近『TOKYO VICE』というハリウッドのドラマシリーズで監督をやりました。規模も今までと全く違うし、他人の脚本で監督するのも初めてでした。今まではオリジナルの脚本で、社会問題と真正面から向き合うような、ちょっと肩の力が入ったような状態でしたけれど、それ以外でも自分ができることはあるんだなと感じられました。いい意味で作品との向き合い方を広げてくれた経験になったので、これからの制作は題材の面でも制作の仕方の面でももう少し柔軟にできる気がしています」

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『山女』

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6/30(金)ユーロスペース、シネスイッチ銀座、7/1(土)銀座K’s cinemaほか全国順次公開

「遠野物語」に着想を得た、唯一無二の物語 いまを生きる私たちへ問いかける、本当の”人間らしさ”とはーー
大飢饉に襲われた18世紀末の東北の寒村。先代の罪を負った家の娘・凛は、人々から蔑まれながらも逞しく生きている。ある日、父親・伊兵衛が村中を揺るがす事件を起こす。父の罪を被り、自ら村を去る凛。禁じられた山奥へ足を踏み入れたことから、凛の運命は大きく動き出す。本作は、柳田國男の名著「遠野物語」から着想を得たオリジナルストーリー。自然の前ではあまりにも無力な村社会、その閉鎖性と集団による同調圧力、身分や性別における格差、貧しい生活を支える信仰の敬虔さと危うさを浮き彫りにしながら、一人の女性が自らの意志で人生を選び取るまでを描く。自分らしく生きること、人間らしさとは、何なのか。凛の物語と彼女が下した決断は、時代を超えて、こだまとなって私たちの明日に響く。

配給:アニモプロデュース|配給協力:FLICKK
2022年/日本・アメリカ/98分/カラー/シネマスコープ/5.1ch
©YAMAONNA FILM COMMITTEE

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福永壮志

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映画監督。1982年、北海道出身。2007年にニューヨーク市立大学ブルックリン校の映画学部を卒業。長編映画デビュー作『リベリアの白い血』(2017)が第65回ベルリン国際映画祭のパノラマ部門に正式出品されたほか、ロサンゼルス映画祭など多くの賞にノミネートされた。長編映画2作目の『アイヌモシㇼ』(2020)で、2020年トライベッカ映画祭のインターナショナル・ナラティブ・コンペティション部門に正式出品され、審査員特別賞を受賞。

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