今の時代に大事なキーワードは「傾聴と共感」。雪下まゆが、『ラブという薬』から学んだ“こころの治療”|雪下まゆが綴る「つぶやきでは語りきれないこと」#002

Text & Artwork by Mayu Yukishita

2022.11.29

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雪下まゆが綴る「つぶやきでは語りきれないこと」

作家の雪下まゆによる連載。毎回一冊の本を通して、絵では伝えられない自分の話をTwitterのつぶやきではできない、もっと濃い形で読者と共有していく。

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中傷としての「メンヘラ」という言葉をよく耳にする。居酒屋に行くと必ずといっていいほど隣のグループはそれを誰かの悪口として使っているし、ネットの書き込みにも溢れている。

「メンヘラ」という言葉の定義について調べてみると、以下のように記されている。

「メンヘラは、おおむね『病んでいる人』『心に何かしらの問題を抱えている人』という意味合いで用いられているインターネットスラング」(参照元:weblio辞書)

「心に何かしらの問題を抱えている人」を一括りに「メンヘラ」と総称し笑う人たちに溢れた世の中を見ていると、全員が自分自身の首を絞めているように思う。いつ自分が精神に不調をきたすかわからないにも関わらず、もしその当事者になったとき、「メンヘラ」は馬鹿にされるからと誰にも相談できずに孤立する仕組みを作っているからだ。

今回紹介するのは、実際に今そういう立場にいて、自分が「メンヘラ」なのがおかしいことや恥ずかしいことなのかとか、病院は気になるけど怖いとか、薬をもらったりカウンセリングを受けたりしている人ってどういう人なのかと疑問を持っている、そんな人に読んでほしいと思って選んだ一冊だ。

6年ほど前に、たまたま友人から借りた本『ラブという薬』。この本を読んで初めて「精神科医に行くこと」=「風邪を引いたら外来に行く」という認識で良いと知ることができた。本書は精神科医の星野概念さんと、実際にカウンセリングを受けているいとうせいこうさんによる対談形式で非常に読みやすい内容になっている。

初めに、今回の記事では病院に行くことを推奨しているのではなく、悩みの解決方法の一つである「精神科」という存在のハードルを下げるのが目的であることをお伝えしたい。

「体の傷なら外科、心の傷なら精神科や心療内科。シンプルな話」(p16)

「精神科・心療内科」に行くことはなんだか大ごとで人に言うのはどこか恥ずかしいとすら思ってしまう考え方はこの本に出合う前の私にもあった。弱音を吐きづらかったり、我慢を重んじるという日本特有の考え方が浸透しているから、多くの人は心の傷を抱えたまま無視し続けたりする。

いとう「些細なことでも、病院に行って良いと思うんだよね。たとえば『なんで俺はこのことに対してこんなに苛立っているんだろう』と思ったときに、これは俺の思考に癖があるからかもしれないぞ、と気づくとする。でも自分では治しようがない。友達に言ったって、思考の癖なんか治してくれるわけがないし、もしかしたら癖なんかじゃなくて、俺の思考が正しいかもしれないしさ。そういうふうに、なんかよくわかんないなって思う時は、本当に病院行くタイミングなんだよね。まあ、それは今だからわかるんだけど」(p19)

この言葉を体感として理解できたのは、本を読んだ数年後だった。些細なきっかけで初めて半年程カウンセリングに通ったときのこと。自分の思考の癖や対人関係等、そのときにあったいくつかの悩みを先生に打ち明けた。限られた時間のなかで簡潔に説明することが苦手だから、紙にまとめた覚えがある。

そうすると先生が「それはどういう気持ちだった?」「どうしてそうなったのか?」「過去に原因があるかもしれないから、昔のことも思い出してみよう」というように気持ちの因数分解をしてくれる。例えば、無関係だと思っていた「親」という要素について分析して、向き合ってみたりする。

思考の癖の原因が分かってくると、完璧に治すことは難しくても対処方法についてを考える次のステップに向かうことができる。

3章では、心療内科や精神科についての疑問や不安点について話し合われている。

特に精神内科では「薬漬けにされるのでは」とか「先生が怖い」とかいろいろあると思う。

初めて精神科に訪れたときに出会った主治医はあまりにも流れ作業で、もらった薬にも効果を感じずに何度か行って終わりということがあり、他院でも何度かそれを繰り返した。最終的に今は友人に教えてもらった病院で初めて自分に合う先生と出会い、通い続けることができている。

本のなかでいとうせいこうさんも、病院との相性について話していた。

いとう「他の科の医者だってそうだよね。やたら薬出すけど、蕁麻疹治んないなあ、っていうこと、俺もあったし。 けっこう新しめの病院に行ってるのに、全然治らなかったんだよ。それで最終的におじいさん先生がやってる古い病院に行ったら、『こんなもんは軟膏つけてれば治るよ』って、先生みずから軟膏を塗ってくれて。なんて優しいんだろう!と思ったら、本当にその軟膏だけで蕁麻疹が治っちゃった。 あと『体を洗いすぎちゃダメだよ』って言われて、それ以来、タオルでゆっくりしか洗わないようにしてるんだけど、本当に肌の調子がいいわけ。それと同じことだよね、相性の合う医者を探すっていうのは。」(p137)

辛い精神状態のときに病院を何件も回る、というのはかなり過酷な話ではあるけれどもそういう先生に出会うことは悩みの改善の手助けになる。気分の波があるのであれば元気な状態のときに病院を探して自分の状態を伝えるのも良いかもしれない。

10代の頃、クラスメイトたちがなんであんなに楽しそうに笑っているのかわからなくて、孤独を感じ、自分が何かおかしいのだろう、という諦めを抱いていた。20代になっても、皆が当たり前にできることができないことへの苛立ちや、突如訪れる原因不明の気分の落ち込み、周りに理解者がいないことなどで生きづらさは消えなかった。病院に通って、自分には発達障害と心因性の疾患があることが分かり、常に自分を覆っていた謎の薄暗いベールの正体が分かってすごく楽になった。

そのおかげで同じ経験をしている人の本やYouTuberを探すことができるようになったし、ずっと興味があった「こころ」というものの理解の幅を広げる事ができている。

病院だけでなく環境の変化も重要だった。社会に出てから、芸術や音楽に携わる人たちと出会って、自分と似た悩みや興味を持つ人たちのコミュニティが増えたことも大切なきっかけとなった。

最近ではインフルエンサーなど私と同じ世代で表に出ている方たちが、自分の抱えている疾患や病気について公表することが徐々に増えてきている。私自身も応援している人がそういった事柄について話すのをみて勇気をもらう視聴者の一人だ。

#001でも書いた通り、僅かでも私に対して同じ気持ちを持ちながら応援してくれる人がいるのであれば私も自分の経験を話すことで誰かの力になりたい。

星野「いろんな人がいる、多様性がある、とどれだけ言ったところで、見落とされてしまう人は絶対にいます。 だから、自分が何か意見を言うときに、そうじゃない人たちもきっといるよな、っていう気遣いが常にないと、極端な理論になって、ゆくゆくはそれが戦いになると思うんです」

いとう「だからこそ『傾聴と共感』が重要だと俺は思うんだよね」

星野「なんというか、そこをすっ飛ばしてしまうと、ろくなことにならないんじゃないかとは思います」(p173)

ファスト文化が進み、時間をかけて考えたり話し合ったりすることが減り、いかに素早く結論づけるかに重きを置く流れのなかで「傾聴と共感」は大切なキーワードだろう。

不安定な世の中で多くの人がさまざまな生立ちや環境で育ち、病名や疾患と診断される人もいれば、グレーゾーンの人もいて、関係のない話と思っていた人が自分ごとになることもある。

「メンヘラ」はその言葉の背景を考えて使う必要があるし、他にも自分が嫌悪感を抱くワードに対して「なぜ」嫌な感じがするのかとか、嫌いな主張をしている人たちは全員が全く同じ考えを持って主張しているのかとか、繰り返し自問してから言葉を発することがとても大事だと思う。

私自身それを強く戒めながら生きる努力をしたい。

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