ヨーロッパと日本のフリーマーケットや畑の公共性の違いから読み取る国民性|FEEL FARM FIELD #005 前編

Text: Lisa Bayne

2022.10.4

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こんにちは、ベイン理紗です。
この連載「FEEL FARM FIELD」では東京で活動をしている私が山梨に畑をもつ中で出会う人についてや発見を綴っていきます。

「FEEL(五感を)FARM(農から) FIELD(広げていく)」という意味を込めて、3つのキーワードをもとに、知らなかったこと・知りたいこと・分からないことに愚直に向き合うことの楽しさ、面白さをお届けします。

この記事を読みながら、頭と身体で五感や繋がりを感じること、日々転がり落ちている興味を拾い上げてみることを一緒にできたら嬉しいです。

それぞれの頭も身体も心も、それぞれのものでしかないのだから。

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日本を飛び出し、1ヶ月半かけてヨーロッパ8カ国18都市を回る旅をしたこの夏。実際に足を運び日本とは大きく異なる日々の中で、食を通して現地の生き方や価値観を見つけていくほど、私が住む日本のこれからについて考えさせられた。

帰国して数週間ほど経ったけれど、既に数ヶ月前のような気分。それくらい、今年の夏は日本とは違う国々で濃い日々を過ごしてた。

前回の連載で世界は広い!と大口を叩いていたけど、もしかしたら意外と狭いのかもしれないな、なんて今は思ったり。第5回の連載では日本を飛び出し、約10000km離れたヨーロッパで過ごした中で食を通して感じた、「日本に必要なもの」について考えてみた。そして、食を通して生産者と消費者を密接に繋ぐため挑戦し続けるドイツの農園「WILMARS GAERTEN」(ヴィルマーズガーデン)でのスペシャルイベントリポートを、今回は前編・中編・後編と3回に分けてお届けします。

7月から9月にかけてヨーロッパを回るのは、身体の体力がどうのこうのというより、頭の回転と小さな初めての体験の連続でいっぱいいっぱいだった気がする。近いうちに移住するための下見が目的だったこともあって観光施設やレストラン、ホテルに行くことはほとんどなかったから、各国の生活習慣や街並みだったり、日常に浸透していくような過ごし方をしてる時間だったりの方が圧倒的に多かった。

そこで特に見えてきたのは、日本という島国と、移民と多国籍が交わるヨーロッパの、倫理観や生活習慣、文化が違うところ。

わたしは日本人でもありオーストラリア人でもあることや家族でよく海外にいたことから、生活習慣や環境に対して多少の誤差や違いを双方で感じ、それが文化や宗教で異なることも理解していた。けど、長期間で数カ国を渡ることもしたことがなければ、その中で本当に一人で生活することもしたことがなかったから、より気付いたり考えたりすることができたのかもしれない。そんな中私が注目したのは、スーパーやフリーマーケットから読み取る国民性と畑の公共性について。

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丁寧に陳列と梱包がされた日本のスーパーとは違って、無造作におかれた野菜や果物たちがごろごろと並べられている。これはドイツのベルリンにある小さな朝市。

フランス、イタリア、オランダなど他のどこの国に行ってもこのような形態で、形の崩れやすいイチゴや粒の小さなブドウやブルーベリーなど以外はすべて裸のまま置かれている。1つに対して指定の重さが表示されており、はかりにおいて個数と重さで値段が決まる。このような朝市では時たま値切り交渉をしていたり、お気に入りの出店へ向かって先に良い状態のものを買うために早起きしたりする人もいる。消費者も食材にこだわり自分が口に入れるものをしっかり吟味する様子がとれた。隅に梱包用の袋が置いてあるが、これもわりかし紙袋を置いているケースが多い。人によっては買い物用カゴすら持たず、ショッピングバッグに突っ込んでいた人も少なくない。

これができる理由として、スーパーやデパートすべての出入り口にセキュリティが存在していることや、購入した際に出てきたレシートのバーコードをスキャンしたら店を出ることができるというシステムがある。レジに並んだ際も、店員に鞄の中身を見せるなど盗難防止対策がしっかりしている。お会計のときにちゃんと出せばいいよね、それならわざわざ買い物かごを持たなくていいよね、というある意味超現実的な思考回路かもしれない。

レストランで食事をしたときに出てくるカトラリーでプラスチックが出てきたのはたった1度だけだった。イートインは鉄製のスプーンや布製のナプキンで、テイクアウトでは紙製の箱や容器、木製のスプーンやトレーで統一されていた。必要なものは必要な人、必要な分だけ、必要最低限の用途を、無駄なく用意していた。

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(左上) 日本で馴染みのあるフリーマーケットは、ヨーロッパでは毎週のように盛んに行われている。壊れかけの電化製品や片方しかない靴から貴重なヴィンテージの洋服や伝統ある工芸品、インテリア、手作りのものまで幅広く展開した出店がたくさん存在している。またドイツのハンブルクでは年に2回の自転車専門のフリーマーケットがあるなど、ヨーロッパ近辺の使用品回収とアップサイクルへの感度の高さを感じた。

(左下)これはドイツで5年に1度だけ行われる「docmenta(ドクメンタ)という芸術祭で訪れたワークショップブース。このようなスペースは芸術祭にとどまらない。街の中にある企業ビルへ入ると、ホールやライブラリーには街の中にある企業のビルへ入ると、ホールやライブラリーには企業の取り組みや来客、地域の声をマッピングやグラフィックにして提示している。ディスカッションをする場所や交流するためのスペースが設置してあるのにも、個々の積極性や声を大切にしていることや、価値観をシェアする場としての役割があるのだと思う。

(右)右の写真は同じくドクメンタのメイン会場横にあるファームスペース。今回のドクメンタは地域社会やコミュニティを重視したテーマだったこともあり、社会性・経済性に紐づいた環境配慮、自然保護に対する作品やワークショップがとても多かった。その一環でもあるこのスペースには、きゅうりのつたで作られた日避けカーテンの下にお茶する場所があったり、伐採された竹や藁を利用して作られた鉢が並べられていたりと、公共性を意識した芸術作品と自然共生が交わっていてとても面白い実験だと思った。ドクメンタについて知りたい人は調べてみてね。

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こうやって見ていくと、日本との大きな違いが要所要所で見えてくると思う。それは、どこにポイントを置いて、どう自分で考えて、その結果それぞれの意見や意思が行動にどうなるかという一連の流れがとても分かりやすく、ハードルが低いところ。いかに食事や畑が私たちの生活と密接に関わっているかを見た。スーパーの食材や蚤の市の在り方、芸術祭の取り組みや企業の場所作りも、レストランでメニューを選ぶみたいに来場者や消費者へ機会を与えている姿勢がしっかりとある。それに応えるかのように、自分がなぜその「選択」をするのか聞かれればすぐに答えられるような絶対的意見と意思を持つ一人ひとりのアンテナの張り具合。

そして、それらを主張するための自信と直感を持つことの大切さを実際に行ってみて感じた。警察とマスクをするしないで揉めている人、電車で席を取り合ってる人も含めて、ね。たとえそれが集団的意見からずれていても、少々強引でひん曲がっていたとしても、良くも悪くもそれはそれぞれの意見であることが当たり前。それらを主張した上でなにが起きていくのか、それをまた考えて行動して繰り返すことが今ものすごく私たちと日本に必要だと思った。これもあくまで私の意見だけど。みんなはどう?

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中編では、わたしがいろんな刺激を受けたドイルにある農園「Willmars Garten(ヴィルマーズガーデン)」について紹介するよ。

#000 畑からお届け。モデル・ベイン理紗の連載がスタート
#001 前編 モデル/アーティスト・ベイン理紗の初めての畑づくり「初めまして北杜市。こんにちは0site。よろしくベイン畑」
#001 後編 世界と日本を回りながら社会を見つめた一人の表現者が「0(ゼロ)になれる場所」をつくったわけ
#002 前編 「初めましては、ルッコラとレタス。そして、いただきます」ベイン理紗が育てた野菜を初めて食べてもらうまで
#002 後編 「さ、畑やってみよっ」都市での野菜づくりHOW TO教えます!
#003 大人が若者の話を「聞く」ことの大切さ。ベイン理紗が畑を始めるにあたって手を差し伸べてくれたFARMERS AGENCYの元社長・西川幸希との対談
#004 前編 「葉大根」が生んでくれた「初めまして、久しぶり、Hello!」。モデル/アーティスト・ベイン理紗が自分で育てた野菜を収穫し、東京で配ってみた
#004 後編 パンクロッカーから養鶏農家に。ベイン理紗が東京から山梨に移住した先輩に聞いた、人生の転機

 

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